2008年06月21日
じっそう節
じっそう節
じっそー ぶし
jissoo bushi
語句・じっそう 不明。囃子言葉が題名になっている一例。「実相」と当て字をして「じんとよー」と同じく「ほんとうに」と解釈する人もいる(「やさしい琉歌集」小濱光次郎著)。だが根拠が乏しい。
思ゆらば里前(すり)島とまいてまうれ 島や中城(すり) 花の伊舎堂(はらじっそう まうりなんずみ かなよ)
うむゆらば さとうめ(すり) しまとぅめてぃ いもり しまやなかぐしく(すり) はなぬいしゃどぅ(はら じっそー まうりなんずみ かなよ)
'umuyuraba satume (suri)shima tumeti 'imori shima ya nakagushiku(suri) hana nu 'ishadu(hara jissoo mauri naNzumi kana yo)
○(私を)思ったら貴方 村を探していらっしゃい 村は中城 華やかな伊舎堂(にいるわ)(囃子は省略)
語句・とめてぃ 探して。<とぅめーゆん。探す。 「【Cf.尋[と]ム;『混効験集』(坤)に「とまえる:物を探索之事;又人などに尋るにも云う」とある。】拾う;(妻を)娶る;(探し)求める。[同義語kameejunより上品な語]」(琉)。・いもり いらっしゃい。<「いめーん」「居る 行く 来る の敬語」(琉) 命令形。・しま 村。・なかぐしく 現在の中頭郡中城村。・はな いわゆる植物の「花」以外に「華やかな」「遊びの盛んな」という意味から遊郭を意味することもある。・いしゃどぅ 中城村の地名。この歌を元に1959年に建てられた歌碑がある。詳細は中城村HP。
久高前の浜にけむり小のたつす 久高西銘主がたばこけむり
くだかめぬはまに ちむりぐゎぬたちゅし くだかにしみしゅがたばくちむり
kudaka me nu hama ni chimurigwa nu tachushi kudaka nisimi shu ga tabaku chimuri
○久高前の浜に煙が立っていて 久高西銘主の煙草けむりかしら
語句・が 属格の「の」の他に自問の疑問をあらわす「が」もある。その場合文末に「やら」などが付くがここでは省略されている。
(舞踊)
かりゆしの遊び うちはれてからや 夜の明けて太陽のあがるまでも
かりゆしぬ'あしび 'うちはりてぃからや ゆぬ'あきてぃてぃだぬ'あがるまでぃん
kariyushi nu 'ashibi 'uchihariti kara ya yu nu 'akiri tida nu 'agaru madiN
○おめでたい遊び はれてからは 夜が明けて太陽があるまでも
語句・うちはりてぃ <うち=接頭語で「うちふりてぃ」(すっかり惚れて)のように「すっかり」「すべて」のような意味で続く語句を強調しているが特に訳す必要はない。+はりてぃ はりゆん 晴れる。(疑いが)はれる。ここでは天候を意味しているより心象(「心が晴れる」、めでたいを意味する「ハレの日」)に近いと思われる。
夜のあけて太陽やあがらわんゆたさ 巳午時までも御祝さびら
ゆぬ'あきてぃてぃだぬ 'あがらわんゆたさ みまんとぅちまでぃん 'うゆえさびら
yu nu 'akiti tida nu 'agarawaN yutasa mimaN tuchi madiN 'uyuwe sabira
○夜が明けて太陽は上がってもよいさ 午前11時頃までも御祝いしましょう
語句・あがらわん あがっても。 <あがら<あがゆん+ わ=ば。 +ん 強調。も。 ・みまん 午前10時から昼まで。巳、午は十二支で時間、方位を表す。十二支で24時間をあらわし、子が午前0時、午が正午の12時。しかがって巳午は10時から12時あたりをあらわすか、またはその間11時をあらわしている。午前11時頃が妥当。「みんま」と発音する場合と「みまん」との場合がある。「巳み」「午んま」で「みんま」が正式な発音となるが、「みんま + の + 時」という意味で「みんまぬとぅち」→「みんまんとぅち」→「みまんとぅち」になったという説もある(胤森弘氏)。
古典曲であり、舞踊曲。
野村流も安冨祖流も歌詞は同じ。
しかし屋嘉比工工四にはなく、民謡からの古典への移入だと思われている。
囃子言葉
「はらじっそう まうりなんずみ かなよ」
から「じっそう節」と呼ばれている。
この「じっそう」については、この民謡が歌われた頃は意味があったのであろうが
現在では意味は不明。「実相」と対応するという意見もないわけではないが、根拠が乏しい。
舞踊では「いちゅび小」のチラシとして歌われる。
歌持ち(前奏)は取納奉行節によく似ている。
1959年に中城村に建立されたこの歌碑を訪れたことがあるが、立派であった。
近くに「スヌ万歳」の三本ガジマルがあった。
「花の伊舎堂」とあるように昔は華やかな土地であったのだろう。
▲中城城跡の南側、伊舎堂駐在所の横にある「三本ガジュマル」。
中城商工会のホームページによると
「伊舎堂の集落は、昔中城城跡の近くにありましたが、現在の地に移住するとき、最初に移り住んだ三組の夫婦が、無事移住することができたことを記念して植えたと言われています。
現在ある木は三代目です。」とある。
じっそー ぶし
jissoo bushi
語句・じっそう 不明。囃子言葉が題名になっている一例。「実相」と当て字をして「じんとよー」と同じく「ほんとうに」と解釈する人もいる(「やさしい琉歌集」小濱光次郎著)。だが根拠が乏しい。
思ゆらば里前(すり)島とまいてまうれ 島や中城(すり) 花の伊舎堂(はらじっそう まうりなんずみ かなよ)
うむゆらば さとうめ(すり) しまとぅめてぃ いもり しまやなかぐしく(すり) はなぬいしゃどぅ(はら じっそー まうりなんずみ かなよ)
'umuyuraba satume (suri)shima tumeti 'imori shima ya nakagushiku(suri) hana nu 'ishadu(hara jissoo mauri naNzumi kana yo)
○(私を)思ったら貴方 村を探していらっしゃい 村は中城 華やかな伊舎堂(にいるわ)(囃子は省略)
語句・とめてぃ 探して。<とぅめーゆん。探す。 「【Cf.尋[と]ム;『混効験集』(坤)に「とまえる:物を探索之事;又人などに尋るにも云う」とある。】拾う;(妻を)娶る;(探し)求める。[同義語kameejunより上品な語]」(琉)。・いもり いらっしゃい。<「いめーん」「居る 行く 来る の敬語」(琉) 命令形。・しま 村。・なかぐしく 現在の中頭郡中城村。・はな いわゆる植物の「花」以外に「華やかな」「遊びの盛んな」という意味から遊郭を意味することもある。・いしゃどぅ 中城村の地名。この歌を元に1959年に建てられた歌碑がある。詳細は中城村HP。
久高前の浜にけむり小のたつす 久高西銘主がたばこけむり
くだかめぬはまに ちむりぐゎぬたちゅし くだかにしみしゅがたばくちむり
kudaka me nu hama ni chimurigwa nu tachushi kudaka nisimi shu ga tabaku chimuri
○久高前の浜に煙が立っていて 久高西銘主の煙草けむりかしら
語句・が 属格の「の」の他に自問の疑問をあらわす「が」もある。その場合文末に「やら」などが付くがここでは省略されている。
(舞踊)
かりゆしの遊び うちはれてからや 夜の明けて太陽のあがるまでも
かりゆしぬ'あしび 'うちはりてぃからや ゆぬ'あきてぃてぃだぬ'あがるまでぃん
kariyushi nu 'ashibi 'uchihariti kara ya yu nu 'akiri tida nu 'agaru madiN
○おめでたい遊び はれてからは 夜が明けて太陽があるまでも
語句・うちはりてぃ <うち=接頭語で「うちふりてぃ」(すっかり惚れて)のように「すっかり」「すべて」のような意味で続く語句を強調しているが特に訳す必要はない。+はりてぃ はりゆん 晴れる。(疑いが)はれる。ここでは天候を意味しているより心象(「心が晴れる」、めでたいを意味する「ハレの日」)に近いと思われる。
夜のあけて太陽やあがらわんゆたさ 巳午時までも御祝さびら
ゆぬ'あきてぃてぃだぬ 'あがらわんゆたさ みまんとぅちまでぃん 'うゆえさびら
yu nu 'akiti tida nu 'agarawaN yutasa mimaN tuchi madiN 'uyuwe sabira
○夜が明けて太陽は上がってもよいさ 午前11時頃までも御祝いしましょう
語句・あがらわん あがっても。 <あがら<あがゆん+ わ=ば。 +ん 強調。も。 ・みまん 午前10時から昼まで。巳、午は十二支で時間、方位を表す。十二支で24時間をあらわし、子が午前0時、午が正午の12時。しかがって巳午は10時から12時あたりをあらわすか、またはその間11時をあらわしている。午前11時頃が妥当。「みんま」と発音する場合と「みまん」との場合がある。「巳み」「午んま」で「みんま」が正式な発音となるが、「みんま + の + 時」という意味で「みんまぬとぅち」→「みんまんとぅち」→「みまんとぅち」になったという説もある(胤森弘氏)。
古典曲であり、舞踊曲。
野村流も安冨祖流も歌詞は同じ。
しかし屋嘉比工工四にはなく、民謡からの古典への移入だと思われている。
囃子言葉
「はらじっそう まうりなんずみ かなよ」
から「じっそう節」と呼ばれている。
この「じっそう」については、この民謡が歌われた頃は意味があったのであろうが
現在では意味は不明。「実相」と対応するという意見もないわけではないが、根拠が乏しい。
舞踊では「いちゅび小」のチラシとして歌われる。
歌持ち(前奏)は取納奉行節によく似ている。
1959年に中城村に建立されたこの歌碑を訪れたことがあるが、立派であった。
近くに「スヌ万歳」の三本ガジマルがあった。
「花の伊舎堂」とあるように昔は華やかな土地であったのだろう。
▲中城城跡の南側、伊舎堂駐在所の横にある「三本ガジュマル」。
中城商工会のホームページによると
「伊舎堂の集落は、昔中城城跡の近くにありましたが、現在の地に移住するとき、最初に移り住んだ三組の夫婦が、無事移住することができたことを記念して植えたと言われています。
現在ある木は三代目です。」とある。
Posted by たる一 at 11:22│Comments(0)
│さ行
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