2008年02月01日
秋の踊り
秋の踊り
あきのおどり
(本土の標準語の発音なのでひらがなのみ。発音記号は略、以下同じ)
一、空も長月はじめ頃かや 四方のもみじを
そらもながつき はじめごろかや よものもみじを
〇空も九月(陰暦)はじめ頃だろうか 四方の紅葉を
語句・ながつき 旧暦の九月。新暦では10月から11月くらい。なぜ「長月」というかには諸説あるが、「夜長月」(よながつき)から来ているなど説が有力。・もみじ 「もみじ」とは一般の落葉樹の葉の色が変わることをいうが、本土ではカエデが赤くなることを指す場合が多い。ところが沖縄では平均気温が15度以下に下がることがないために紅葉(こうよう)する木は「ハゼ」類、コバテイシ(和名「ももたまな」。沖縄では「くふぁでぃーさ」「くふぁでぃーし」)など数えるくらいしかない。
二、そめる時雨にぬれて牡鹿のなくもさびしき 折りにつげ来る
そめるしぐれにぬれておしか[おじか]のなくもさびしき おりにつげくる
〇染める時雨に濡れて牡鹿が鳴くのも寂しい(その)折りに告げ(に)来る
語句・しぐれ 大辞林に「秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降る雨」とある。秋の象徴であるわけだ。
三、雁の初音に心うかれてともにうちつれ
かりのはつねにこころうかれて ともにうちつれ
〇雁の初音に心浮かれて 共に連れて
語句・かり 鳥類 ガン 渡り鳥。V字形の編隊を組む。泣き声はこちら
四、出づる野原の桔梗苅萱 萩の錦を
いずるのはらのききょうかるかや はぎのにしきを
〇出た野原の桔梗、苅萱、萩の錦(あでやかさ)を
語句・ききょう 秋の七草の一つ。昔から武士に好まれた。ちなみに秋の七草は「萩・尾花・葛(くず)・撫子(なでしこ)・女郎花(おみなえし)・藤袴(ふじばかま)・桔梗(ききょう)」 ・かるかや もともとは屋根をふく植物が「かや」と呼ばれ、刈るので「かるかや」「かるがや」と呼ばれた。写真はコチラ ・はぎ 写真はこちら 秋の七草。・にしき 色々な糸を組み合わせた織物。美しいものの例にも使う。
五、きても見よとや招く尾花が 袖の夕風
きてもみよとやまねくおばなが そでのゆうかぜ
〇来て見なさいよ、と招く尾花が 袖の夕風
語句・おばな ススキの別称 秋の七草のひとつ。
六、吹くも身にしむ 夕日入江の海士のこども[ころも][おのこ]や
ふくもみにしむ ゆうひいりえのあまのこどもや
〇吹いて身にしみる 夕日(の)入江の海士のこどもは
語句・こども 野村流工工四には「ことも」。安冨祖流工工四には「男の子」(おのこ)。由絃會工工四集では「こども」。また「ころも」という歌われ方もあるようだ。
七、棹のしずくに袖をぬらして 波路はるかに
さおのしずくにそでをぬらしてなみじはるかに
〇棹の滴に袖を濡らして 波路ははるかに(遠くに)
八、沖に漕ぎ出で月は東の山の木の間に今ぞほのめく
おきにこぎいで つきはひがしのやまのこのまにいまぞほのめく
〇沖に漕ぎ出て 月は東の山の木の間にちらっと見える
あきのおどり
(本土の標準語の発音なのでひらがなのみ。発音記号は略、以下同じ)
一、空も長月はじめ頃かや 四方のもみじを
そらもながつき はじめごろかや よものもみじを
〇空も九月(陰暦)はじめ頃だろうか 四方の紅葉を
語句・ながつき 旧暦の九月。新暦では10月から11月くらい。なぜ「長月」というかには諸説あるが、「夜長月」(よながつき)から来ているなど説が有力。・もみじ 「もみじ」とは一般の落葉樹の葉の色が変わることをいうが、本土ではカエデが赤くなることを指す場合が多い。ところが沖縄では平均気温が15度以下に下がることがないために紅葉(こうよう)する木は「ハゼ」類、コバテイシ(和名「ももたまな」。沖縄では「くふぁでぃーさ」「くふぁでぃーし」)など数えるくらいしかない。
二、そめる時雨にぬれて牡鹿のなくもさびしき 折りにつげ来る
そめるしぐれにぬれておしか[おじか]のなくもさびしき おりにつげくる
〇染める時雨に濡れて牡鹿が鳴くのも寂しい(その)折りに告げ(に)来る
語句・しぐれ 大辞林に「秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降る雨」とある。秋の象徴であるわけだ。
三、雁の初音に心うかれてともにうちつれ
かりのはつねにこころうかれて ともにうちつれ
〇雁の初音に心浮かれて 共に連れて
語句・かり 鳥類 ガン 渡り鳥。V字形の編隊を組む。泣き声はこちら
四、出づる野原の桔梗苅萱 萩の錦を
いずるのはらのききょうかるかや はぎのにしきを
〇出た野原の桔梗、苅萱、萩の錦(あでやかさ)を
語句・ききょう 秋の七草の一つ。昔から武士に好まれた。ちなみに秋の七草は「萩・尾花・葛(くず)・撫子(なでしこ)・女郎花(おみなえし)・藤袴(ふじばかま)・桔梗(ききょう)」 ・かるかや もともとは屋根をふく植物が「かや」と呼ばれ、刈るので「かるかや」「かるがや」と呼ばれた。写真はコチラ ・はぎ 写真はこちら 秋の七草。・にしき 色々な糸を組み合わせた織物。美しいものの例にも使う。
五、きても見よとや招く尾花が 袖の夕風
きてもみよとやまねくおばなが そでのゆうかぜ
〇来て見なさいよ、と招く尾花が 袖の夕風
語句・おばな ススキの別称 秋の七草のひとつ。
六、吹くも身にしむ 夕日入江の海士のこども[ころも][おのこ]や
ふくもみにしむ ゆうひいりえのあまのこどもや
〇吹いて身にしみる 夕日(の)入江の海士のこどもは
語句・こども 野村流工工四には「ことも」。安冨祖流工工四には「男の子」(おのこ)。由絃會工工四集では「こども」。また「ころも」という歌われ方もあるようだ。
七、棹のしずくに袖をぬらして 波路はるかに
さおのしずくにそでをぬらしてなみじはるかに
〇棹の滴に袖を濡らして 波路ははるかに(遠くに)
八、沖に漕ぎ出で月は東の山の木の間に今ぞほのめく
おきにこぎいで つきはひがしのやまのこのまにいまぞほのめく
〇沖に漕ぎ出て 月は東の山の木の間にちらっと見える
つい「あちぬうどぅい」と読みたくなる「秋の踊り」は、完全に大和口の舞踊曲である。
本来は「道輪口説」(michiwa kuduchi)という曲で、組踊り「義臣物語」の中で使われる。歌詞はまったく違う。
「島うた紀行」によると
「歌は田島利三郎(1869-1931)が明治26-28年頃、沖縄滞在中に詩をつくり、仲毛芝居にもっていったところ、役者たちがいい歌なので節をつけて踊ってみようということになった。田島氏の詩は「道輪口説」にのせたらうまくあうので採用。役者たちはエボシ(昔成人した公家や武士が用いた帽子の一種。神官などがいまは用いている)をかぶり、袴をはいて扇子をもって踊ったら観客にたいへんうけたという。その後この踊りは忘れられていたのを新垣松含が復活。大正時代親泊興照、宮城能造氏らが改作し今日に至っていると伝えられている」(第3巻 P215)
リズム、音階、最後を下げるところなど曲調はかなり大和風。
また歌詞に出てくる情景がいかにも大和の景色ではないかと思える。
ちなみに広島に住む私などは、紅葉、鹿、海とくれば秋の宮島を連想する。
そもそも沖縄には「秋」という季節感が弱い。長い夏のあと、気がつくと北風が吹き出し「冬」に入る。もっとも冬といってもこちらの「晩秋」という感じだからないとは言いがたいが。
さて歌詞。大和口だから理解は割とスムースにいけると思うが最初、理解が難しかった。
この歌詞は七、七、七…と続く連詩になっていて、つなげると一連のパノラマのように情景が見えてくる。やってみよう。上の歌詞を砕いた○以外を全部つなげると…
空も長月(三日月の)はじめ頃だろうか
四方の紅葉を染める時雨に濡れて牡鹿が鳴くのも寂しい
(その)折りに告げ(に)来る雁の初音に心浮かれて 共に連れて出た野原の桔梗、苅萱、萩の錦(あでやかさ)を来て見なさいよ、と招く尾花が
袖の夕風(が)吹いて身にしみる夕日(の)入江の海士のこどもは棹の滴に袖を濡らして 波路ははるかに(遠くの)沖に漕ぎ出て 月は東の山の木の間にちらっと見える
さて。この歌詞、和歌の「古今集」によく似た唄がたくさん出てくる。
(こちらを参考、引用しています。)
たとえば
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
○(夏の間)袖が濡れるようにしてすくった水が(冬の間)凍っていたのを、立春の今日吹く風が溶かすだろうか。
これよりさらに
見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
○見渡すと青い柳や白い桜をごちゃまぜにして、都が春の錦のような美しさであるよ。
奥山に紅葉ふみわけなく鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
○奥山で紅葉を踏み分けて鳴く、その鹿の声を聞く時、秋はしみじみと悲しいものであるよ。
初雁のはつかに声を聞きしより中空にのみものを思ふかな
○(初雁の)わずかにあなたの声を聞いてから、私は心が落ち着かずもの思いばかりをしていることですよ。
といろいろ揚げたが、和歌を参考にして作った歌詞といえるかどうか、読者の判断にゆだねたい。
コメントでいろいろご指摘をうけたように、6番の「こども」にはいろいろな歌われ方がある。どれも文意からあてはめることができるので、どれが間違いであるともいま判断できない。今後の検討課題。
本来は「道輪口説」(michiwa kuduchi)という曲で、組踊り「義臣物語」の中で使われる。歌詞はまったく違う。
「島うた紀行」によると
「歌は田島利三郎(1869-1931)が明治26-28年頃、沖縄滞在中に詩をつくり、仲毛芝居にもっていったところ、役者たちがいい歌なので節をつけて踊ってみようということになった。田島氏の詩は「道輪口説」にのせたらうまくあうので採用。役者たちはエボシ(昔成人した公家や武士が用いた帽子の一種。神官などがいまは用いている)をかぶり、袴をはいて扇子をもって踊ったら観客にたいへんうけたという。その後この踊りは忘れられていたのを新垣松含が復活。大正時代親泊興照、宮城能造氏らが改作し今日に至っていると伝えられている」(第3巻 P215)
リズム、音階、最後を下げるところなど曲調はかなり大和風。
また歌詞に出てくる情景がいかにも大和の景色ではないかと思える。
ちなみに広島に住む私などは、紅葉、鹿、海とくれば秋の宮島を連想する。
そもそも沖縄には「秋」という季節感が弱い。長い夏のあと、気がつくと北風が吹き出し「冬」に入る。もっとも冬といってもこちらの「晩秋」という感じだからないとは言いがたいが。
さて歌詞。大和口だから理解は割とスムースにいけると思うが最初、理解が難しかった。
この歌詞は七、七、七…と続く連詩になっていて、つなげると一連のパノラマのように情景が見えてくる。やってみよう。上の歌詞を砕いた○以外を全部つなげると…
空も長月(三日月の)はじめ頃だろうか
四方の紅葉を染める時雨に濡れて牡鹿が鳴くのも寂しい
(その)折りに告げ(に)来る雁の初音に心浮かれて 共に連れて出た野原の桔梗、苅萱、萩の錦(あでやかさ)を来て見なさいよ、と招く尾花が
袖の夕風(が)吹いて身にしみる夕日(の)入江の海士のこどもは棹の滴に袖を濡らして 波路ははるかに(遠くの)沖に漕ぎ出て 月は東の山の木の間にちらっと見える
さて。この歌詞、和歌の「古今集」によく似た唄がたくさん出てくる。
(こちらを参考、引用しています。)
たとえば
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
○(夏の間)袖が濡れるようにしてすくった水が(冬の間)凍っていたのを、立春の今日吹く風が溶かすだろうか。
これよりさらに
見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
○見渡すと青い柳や白い桜をごちゃまぜにして、都が春の錦のような美しさであるよ。
奥山に紅葉ふみわけなく鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
○奥山で紅葉を踏み分けて鳴く、その鹿の声を聞く時、秋はしみじみと悲しいものであるよ。
初雁のはつかに声を聞きしより中空にのみものを思ふかな
○(初雁の)わずかにあなたの声を聞いてから、私は心が落ち着かずもの思いばかりをしていることですよ。
といろいろ揚げたが、和歌を参考にして作った歌詞といえるかどうか、読者の判断にゆだねたい。
コメントでいろいろご指摘をうけたように、6番の「こども」にはいろいろな歌われ方がある。どれも文意からあてはめることができるので、どれが間違いであるともいま判断できない。今後の検討課題。
Posted by たる一 at 23:55│Comments(10)
│あ行
この記事へのコメント
今晩は。
「桔梗 刈萱」というのが多いですけど、ぼくの先生は「ここは桔梗枯るかやで、桔梗は枯れてしまったのだろうか。それに比べる萩の花は盛りである。という意味です」とおしゃってました。
それと「海士のこどもやでは堅めの口語体には合わない。こどもではなくてオノコです」と説明してました。
このあたりは資料によってどちらもあって困ります。
「棹のしずく」というのは浅瀬では棹を使うため、手首に水が垂れてきます。深い沖に出ると櫓を使うことを教えてもらいました。
「桔梗 刈萱」というのが多いですけど、ぼくの先生は「ここは桔梗枯るかやで、桔梗は枯れてしまったのだろうか。それに比べる萩の花は盛りである。という意味です」とおしゃってました。
それと「海士のこどもやでは堅めの口語体には合わない。こどもではなくてオノコです」と説明してました。
このあたりは資料によってどちらもあって困ります。
「棹のしずく」というのは浅瀬では棹を使うため、手首に水が垂れてきます。深い沖に出ると櫓を使うことを教えてもらいました。
Posted by コロリ at 2008年02月09日 23:09
コロリさん
ニービチではありがとうございました。
あとから付け加えるつもりだったのですが、
この歌は田島利三郎(1869-1931)の作だそうです。
村芝居の役者たちが「道輪口説」にこの歌詞を乗せたところ
うまくあうので採用されたとか。
明治26年あたりのことだそうです。
そのあとも改作されているのでいろいろな歌詞があるのでしょう。
いろいろな解釈があり、歌詞もあり、のほうが面白いと私は思います。
ニービチではありがとうございました。
あとから付け加えるつもりだったのですが、
この歌は田島利三郎(1869-1931)の作だそうです。
村芝居の役者たちが「道輪口説」にこの歌詞を乗せたところ
うまくあうので採用されたとか。
明治26年あたりのことだそうです。
そのあとも改作されているのでいろいろな歌詞があるのでしょう。
いろいろな解釈があり、歌詞もあり、のほうが面白いと私は思います。
Posted by たるー at 2008年02月10日 08:51
あらためて、おめでとうございます。
なるほど。意外と新しいんですね。
口語体と書きましたが、文語体の間違いです。
なるほど。意外と新しいんですね。
口語体と書きましたが、文語体の間違いです。
Posted by コロリ at 2008年02月10日 09:04
コロリさん
どうもです。
コロリさんもがんばってくださいね。
それから桔梗も秋の七草の一つですから
「枯れてしまったか?」というのはすこしおかしいですね。
どうもです。
コロリさんもがんばってくださいね。
それから桔梗も秋の七草の一つですから
「枯れてしまったか?」というのはすこしおかしいですね。
Posted by たるー(せきひろし) at 2008年02月10日 11:00
どちらも秋の花とされていますが、花期は桔梗が早いです。
そのあたりを考慮したのだと思います。
そのあたりを考慮したのだと思います。
Posted by コロリ at 2008年02月10日 13:46
なるほど、そこまで詳しくは気づきませんでした。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
Posted by たるー at 2008年02月10日 18:15
あまのこども、の処は文脈から言って、
あまのころも(海士の衣)だと思います。
あまのころも(海士の衣)だと思います。
Posted by よーよー at 2008年03月01日 11:53
よーよーさん
すべてヤマト口だと思っていたのですが
ここだけ沖縄語の法則があったのですね。
「こども kodomo <ころも koromo 」
(「R、Dの混同」と胤森氏の本にあるウチナーグチの法則)
なるほどです。
すべてヤマト口だと思っていたのですが
ここだけ沖縄語の法則があったのですね。
「こども kodomo <ころも koromo 」
(「R、Dの混同」と胤森氏の本にあるウチナーグチの法則)
なるほどです。
Posted by たるー at 2008年03月01日 13:36
本棚をのぞいてみました。
野村流工工四(伊差川世端 世礼国男)では
「ことも」
安冨祖流工工四では
「男の子(おのこ)」
となっています。
野村流のこの歌詞では「ことも」が「こども」なのか「ころも」なのか、わかりません。
一方安冨祖流でははっきり「男の子」と記しています。
わが由絃會工工四集では「こども」。
「おのこ」「こども」「ことも」「ころも」。。
いろいろ歌詞の混乱があるようではあります。
野村流工工四(伊差川世端 世礼国男)では
「ことも」
安冨祖流工工四では
「男の子(おのこ)」
となっています。
野村流のこの歌詞では「ことも」が「こども」なのか「ころも」なのか、わかりません。
一方安冨祖流でははっきり「男の子」と記しています。
わが由絃會工工四集では「こども」。
「おのこ」「こども」「ことも」「ころも」。。
いろいろ歌詞の混乱があるようではあります。
Posted by たるー at 2008年03月01日 13:50
みなさんのご指摘をうけて本文を少し書き足しておきました。
Posted by たるー(せきひろし) at 2008年03月01日 13:57
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