2007年08月19日

いちゅび小節 2

いちゅび小節
'いちゅびぐわ ぶし
語句・いちゅび イチゴ


一、いちゅび小に惚りてぃ座喜味村通てぃ通てぃ通いぶさ 喜名ぬ番所
'いちゅびぐわにふりてぃ ざちみむらかゆてぃ かゆてぃ かゆいぶさ ちなぬばんじゅ
'ichubi gwa ni huriti zachimi mura kayuti kayuti kayuibusa china nu banju
イチゴちゃん(彼氏のこと)に惚れて、座喜味村通って、通って 通いたい 喜名の役所
語句・ざちみむら ざきみ村 「き」が「ち」に。


さー思やが来ん かなしが来ん
さー'うむやがちょん かなしがちょん
saa 'umuya ga choN kanashi ga choN
さー(囃子言葉) 思う人が来た 愛する人が来た
語句・うむや 思う人 <うむやー 沖縄語では動詞(たとえば「思う」)の語尾に「aa」をつけると「・・する人」となる。これは英語の用法とよく似ている。たとえば「play」を「player」にするように。ここでは詩的許容で、歌詞短縮されて「うむや」となる。・かなし 愛する人 ・ちょん 来た <ちょーん 動詞「ちゅん」来る の完了形。


二、いちゅび小やなじき あしな迄通てぃ アバ小忍ぶんち 毎夜通てぃ
'いちゅびぐわや なじき 'あしなまでぃかゆてぃ 'あばぐわしぬぶんち めゆるかゆてぃ
'ichubigwa ya najiki 'ashina madi kayuti 'abagwa shinubuNchi meyuru kayuti
イチゴ(取り)は口実 あしな(不明)まで通って ねえさん忍ぶといって毎晩通って
語句・なじき ふり そぶり 口実(琉) ・あしな 不明 勝連町平敷屋に「あしな浜」というのがある。地名か? ・あばぐわ ねえさん ・しぬぶんち 忍ぶといって <しぬぶ(忍ぶ)+んち(といって) 


さー忍ばらんさ 戻いるすがや
さーしぬばらんさ むどぅいるすがや
saa shinubaraNsa mudui ru sugaya
さー 忍べないよ 戻るこそするのかねえ
語句・むどぅいるすがや 戻ることそするのかねえ →(意訳) 戻るのかねえ(忍べないのなら) <むどぅい 戻る + る = どぅ + す <しゅん  する + がや のかねえ


三、思いあてぃからや 通てぃ徒なゆみ てぃらさしぬ御門に 足どぅ待てぃる
'うむい'あてぃからや かゆてぃ 'あだなゆみ てぃらさしぬ'うじょに 'あしどぅまてぃる
'umui 'atikara ya kayuti 'adanayumi tirasa tirasashi nu 'ujo nu 'ashi du matiru
思い(が)あってからは 通って徒になるか?(なるまい) 「てぃらさし」(不明)の御門に 足こそ待つ
語句・あてぃ あって <あん ある ・てぃらさしぬ 不明 てぃら→照屋(てぃーら)か? 「琉歌大成」では「てぃらさ」(照らす)の語句を入れた歌が4歌あったが、関係はなさそう。しかしそれを採用し直訳すれば「日の照らない」門に。 ・あしどぅまてぃる この場合の「足」が何をさすのか不明。

(二番と同じ)


四、情あたくとぅる 野山てぃるひじん あたい原なちょてぃ 通てぃ行ちゅる
なさき'あたくとぅる ぬやまてぃるふぃじん 'あたいばるなちょてぃ かゆてぃ'いちゅる
nasaki 'atakutu ru nuyama tiru hwijiN 'ataibaru nachoti kayuti 'ichuru
情け(が)あったので 野山という返事も 菜園(に)なっていて 通っていくのだ
語句・あたくとぅる あったので <あた 「あん」の過去形「at」+くとぅ ので +る = どぅ 強調 (この どぅ は 最後の いちゅる(いちゅん の連体形)にかかっている)・ぬやま 野山 「やま」には「山」という意味のほか、林、山林、ごたごた、乱雑、という意味がある。 ・てぃる という ・ひじん 返事も <ふぃじ+ん(も)  ・あたいばる 菜園 「あたい」は「家の辺り」「屋敷内の畑〔菜園〕」と(琉)にある。「はる」も畑。 


(二番と同じ)


五、腰小に一惚り 目眉小に一惚り 髪小に一惚れ 丁度三惚れ
がまくぐわにちゅふり みまゆぐわにちゅふり からじぐわにちゅふり ちんとぅみふり
gamakugwa ni chuhuri mimayugwa ni chuhuri karajigwa ni chuhuri chiNtu mihuri
腰にひと惚れ、目眉にひと惚れ、髪にひと惚れ、ぴったりみっつ惚れ
語句・がまく 腰 腰骨あたりの曲線 ・ちゅふり ひと惚れ 「ちゅ」(ひとつ)には「ちょっと」という意味(ちゅはり ちょっとの晴れ間)と、「一杯」という意味(ちゅふぁーら 腹いっぱい)という両方がある。ここでは、一目惚れというときの「ひと」に意味が近いように思える。・ちんとぅ 丁度 ぴったり 


さー色美らさぬ 忍びが来ゃんで
'いるじゅらさぬ しぬびがちゃんで
'irujurasanu shinubi ga chaN dee
色(気の)美しいので 忍び(人)が来たとは
語句・じゅらさぬ 美しいので <ちゅらさぬ 連濁で「じゅ」 <ちゅらさん 美しい ちゅらさぬ は 「美しいので」 ・ちゃんで 来たとは <ちゃん 「ちゅーん」(来る)の過去 +でー<でぃ+や とは


六、通るがな通てぃ 自由ならんありば 神仏てぃしん 当てぃやならん
かゆるがなかゆてぃ じゆならん'ありば かみふとぅきてぃしん 'あてぃやならん
kayuru gana kayuti jiyu naraN 'ariba kamihutuki tishiN 'atiya naraN
通う限り通って、自由(に)ならないのであれば 神仏というものも当てにはならない
語句・がな 限り ・てぃし というもの(こと)


(二番と同じ)

七、音に豊まりる 喜名ぬ高平安座 恋人がやたら 武士がやたら
'うとぅにとぅゆまりる ちなぬたかへんざ くいじんがやたら ぶしがやたら
'utu ni tuyumariru china nu takaheNza kuijiN ga yatara bushi ga yatara
有名な喜名の高平安座 恋人であったろうか 達人であったろうか
語句・うとぅにとぅゆまりる 音に響(とよ)む →音に聞こえる→有名な ・ちなぬたかへんざ 地名 多幸山に「喜納ぬ高平安座」という地名が出てくる。


(五番と同じ)





いちゅび小節。
イチゴの歌。
語感は、女性のことのようでもあるが、実は女性が男性を思い、
イチゴを取りにいく名目で忍びに行く話し。

いちゅび小節

以前訳したもの意外にも多々歌詞はあって、今回は
「正調 琉球民謡工工四 第3巻」にあるもの。

いちゅび小節には、不思議な歌詞が多い。
私の勉強不足か、もしくは隠語があるのだろうか。

三番。
「てぃらさしぬ」「足どぅ待てぃる」が解せない。
「てぃら」は「寺」とも「照ら」とも、あるいは地名の「照屋」ともとれる。
歌(民謡)は口承が中心だったから、漢字でなくても意味は伝わった。
「足」(あし)という言い方は、文語的。
しかし「琉歌大成」にもこういう用法は出てこない。つまり伝統的な琉歌にはなかった。

四番
直訳では
情け(が)あったので 野山という返事も 菜園(に)なっていて 通っていくのだ

どうもわかるようでわからない。

七番
「恋人」というのは「くいじん」と読むが
別の歌では「恋仁」と当て字したものもある。

琉球語辞典にはなく、沖縄語辞典には「恋に浮き身をやつす者。恋に夢中な者」とある。
ということは、歌詞の当て字から「こいびと」という意味にとると若干意味がかわる。





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Posted by たる一 at 09:21│Comments(6)あ行
この記事へのコメント
 「いちゅび小」の歌詞のおさらいをしようと思ってブログを覗かせていただきました。気になった点が2、3ありましたので私権を書き込んでおきます。見てくださるかなぁ。

 まず、「ちゅふぁーら」ですが、これは中国福州あたりに由来する外来語のはずです。台湾では「ツゥパーラ」というのだと桜坂の飲み屋の台湾おばぁに教えてもらったことがありました。ちなみに、「くわっちー」も「くぉーチー」(おもてなし)という、正確な発音はわかりませんが、おそらくは琉球の留学生が持ち帰った外来語がもとになったものだと記憶しています。
Posted by Hi-Shy at 2007年09月17日 20:03
 次に、「がまく小」以下「ちんと三惚れ」までの訳についてですが、わたしたち、島人の感覚からすると、肉体の一部に「小」を付ける時には(秀でた場合でも劣った場合でも)「そのような肉体的特徴を有した者」という意味にまず解するというのが普通です。
 例えば、「がっぱい小」が「おでこの出っ張った奴」、「七三小」が「髪の毛を七三に分けた奴」「くんだ小」が「膝から下がイカした娘」といった具合です。
Posted by Hi-Shy at 2007年09月17日 20:17
 「いちゅび小節」の全体の歌詞を見回すと恋多き青年が主人公になっていることがわかります。そういう意味でも、ここは「曲線美の娘にひと惚れ、目眉の秀でた娘にひと惚れ、豊かな黒髪の娘にひと惚れ、きっちり三人に三惚れ」と訳するのが適切化と思われます。
 お節介なことを申し上げました。歌詞を参照したい時にはまた覗かせていただきます。頑張ってください。
Posted by Hi-Shy at 2007年09月17日 20:19
 先のコメントのあとで〈続き〉を読みました。さらにいくつか指摘させてください。
 2番の歌詞をわたしたちは次のように説明しています。
  「いちごちゃん(に会うこと)は煙幕で、懇意のネェちゃんが目的で・・・・」 この歌の主人公はあくまでも気の多い若者なのでしょう。毛遊びのあった時代の奔放な恋愛感が偲ばれます。
Posted by Hi-Shy at 2007年09月17日 22:32
 3番は、「てぃらさしぬ御門」を「太陽射しの門」と訳すべきで、「惚れた娘のまばゆく感じられる家の門の前に足を運んでその娘を待つよ」という風に解釈したらいかがでしょうか。
最後に、4番の歌詞です。「わたしは次のように解釈しています。
恋心というものがあったればこそ、(娘の住む家が)野山隔てているという返事にも、その野山を小さな畑ほどの大きさだと思いなして通って行くよ」
以上、長々と失礼いたしました。
Posted by Hi-Shy at 2007年09月17日 22:34
Hi-Shyさん
たくさんのご指摘ありがとう。

①まず、「ちゅふぁーら」について。
 
外来語の可能性についてはあると思います。
「ちゅふぁーら」は「腹一杯」の意味ですが、
「ちゅ」=ひとつ とすると + 「ふぁーら」はなんなのでしょう。

「腹」は普通「ワタ wata」ですので、「腹 はら」を「ふぁーら」というのは
無理があります。

② 五番の歌詞
辞書に「gamaku gwaa」=柳腰の美人 とあります。
たしかに、おっしゃるように 小の用法には
身体的な特徴につくときに、その特徴を持つ人、を指す場合が
ありますから、そのように訳すのが自然ですね。

③唄の主人公の件ですが
主語があいまいな「日本語」では難しいのですが
Hi-Shyさんのご指摘にもう一度再検討したくなりました。

④てぃらさしぬ
「ら」=「だ」 てぃだ さしぬ というご指摘。
そうすると「さしぬ」が 「さちゅん」(さす)の活用でいえば
「さちぬ」となるので、困っています。

以上、出勤前なので、荒っぽい返事ですが
意見を書いておきました。

いつもありがとうございます。
Posted by せきひろし at 2007年09月19日 06:14
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