2007年05月12日

諸鈍節

諸鈍節
しゅどぅんぶし
shuduN bushi


枕ならべたる夢のつれなさや 月やいりさがて 冬の夜半
まくらならびたる 'いみぬちりなさや ちちや'いりさがてぃ ふゆぬやはん
makura narabitaru 'imi nu chirinasa ya chichi ya 'irisagati huyu nu yahaN
枕並べている夢の情けないことよ 月は西(に)下がって冬の夜中
語句・いり西 東は「'あがり」

(コメント)
前回の「しゅんだう節」の歌詞(諸鈍長浜に打い引く波や諸鈍女童の目笑歯ぐき、諸鈍美童の雪色の歯ぐき 何時が夜の暮れて御口吸わな)が本来の歌詞だったと思われる。

屋嘉比朝喜の工工四には「諸富節」として「諸鈍美童の雪色の歯ぐき 何時が夜の暮れて御口吸わな」の歌詞があげてある。

舞踊では「諸屯」というくくりで、出羽(んじふぁ 'Njihwa)に「仲間節」、中踊り(なかうどぅい naka wudui)にこの「諸鈍節」、入羽(いりふぁ 'irihwa)に「しゃうんがない節」という構成となる。

ちなみに出羽とは舞台下手から出てくること
中踊りは、本踊りともいう。
出羽は、下手に入るときの踊り。

「ちれなさ」(ちりなさ)の訳に「独りきりで」としたものがある。
「連れ無さ」と見たのだろう。
「ちりなさ」は情けない、寂しい、と沖縄語辞典にはある。

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Posted by たる一 at 07:54│Comments(8)さ行
この記事へのコメント
諸鈍は舞踊でもっとも難しくとくに枕のところは三角目付といって古典舞踊中の一番の難所です。難しい曲ですがいつか上手になって弾けるようになりたいと思います。

「仲間節」
思事ぬあてぃん(ヨウ)ゆすにかたらりみ 面影とぅ連りてぃ忍でぃ拝ま(ヨウンナ)
(恋の悩みなんか他人に話せないし、あの人の面影を心に抱きしめて遠くからこっそり見てるだけ)
「諸鈍節」
枕並びたる夢ぬちりなさゆ(里主ヨウ)月ん西下がてぃ冬ぬ夜半(アリ里主ヨウ)
(首里に単身赴任しているはずのダンナと一緒に寝てる夢を見ちゃった。えーん、寂しいよう(ノ_<。)。夢から覚めたらもう月も沈みかけて冬の夜中の寂しさがひしひしと迫ってくる。ダンナ早く帰ってきてくれ)
「しやうんがない節」
別て面影ぬ立たば伽みしょり なりし匂い袖に移しあむぬ(ヨウンナ ションガネ スリ ションガネ)
(デートの後別れてからもまた逢いたくなったらとりあえずこれ使って。袖に私の匂いついてるから)
Posted by ふーちゃん at 2007年05月19日 10:57
楽しい訳をありがとうございます。

想像力を働かせて、また自分に引き寄せて訳してみるのもとても
面白く、私もよくやって遊びます。

「とぅじみしょり」を「とりあえずこれ使って」のところ笑えました。

人の恋心は時代が違ってもそれほど変わらないようですね。
Posted by せき at 2007年05月19日 11:49
伽召しょりの所は(これを使ってひとりで)伽して下さいとするとエロカワを通り越してエロくなってしまうので訳は難しいです。(^-^)
Posted by ふーちゃん at 2007年05月19日 12:53
「とぅじ」は古語の「とぎ」「伽」から来ているようですが
古語 tugi  →  沖縄語 tuji

古語辞典をチラッとみる限りでは
「友達」「連れ」という意味から「夜伽」(夜の連れ、つまり慰めあう相手)がうまれ、それが娼婦などの行為を「伽」=慰めとなったようですね。

エロカワ、意味がわからないので連れに聞いてしまいましたよ(笑)
Posted by せきひろし at 2007年05月20日 09:59
湛水流も学んでいる者として一言。
まず諸鈍とは尚元王時代に奄美加計呂麻島で琉球王府に反旗を翻した諸鈍の難具盛原と今の奄美大島宇検村名柄の頭長柄八丸が結託して蜂起した為に尚元王が大将名護親方、副将摩文仁親方をして直々に奄美征伐をした沖縄で言う「大島征伐」奄美で言う「難具盛原の乱」の平定後に諸鈍の娘と尚元王のラブロマンスの歌詞であり情熱的です。しょんどう節は奄美民謡の現在でも残っている「諸鈍長浜節」の引用と言われており、諸鈍(諸屯)節はその恋のイメージで創作された古典楽曲とされています。(かなり山内盛彬先生などの文章を要約しました)
しょんどう節と類型の奄美大島近隣の「諸鈍長浜節」は徳之島にも存在し、徳之島方言化しています。沖永良部島では唄う人口こそ減りましたが、徳之島の唄を琉球音階に変換したような感じの「諸鈍ぬ長浜節」となりました、沖永良部島の段階でかなり歌詞が雑多に増えたりしたようです。与論島に伝播した頃には単純な流行唄に変化しており、沖永良部島の「諸鈍ぬ長浜節」とほぼ同一メロディーでありながら、歌詞は全く異なる「しごーぬ中棚節」に変化しました。案外「諸鈍節」や「しょんどう節」に関連する唄は沖縄本島から奄美全域に分布しているのです。
Posted by くがなー at 2011年03月07日 06:38
くがなーさん

非常にたくさんの貴重なコメントをありがとうございます。

不勉強のため知らない事も多く、少し時間のあるときにゆっくりとお返事を書かせていただけたら幸いです。

とりあえずの返信で申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
Posted by たる一 at 2011年03月08日 10:46
はじめてコメントさせていただきまず
私の母方の家系図では、始祖は1521年首里生まれの摩文仁親方となっていまず。系図の説明文によると嘉靖年間に起きた諸鈍の乱のときに
琉球軍の副将として参加した事とされています。
ところがネットの検索によると、諸鈍の乱で侵攻した琉球軍の副将である
磨文主一族の墓が度連集落の入り口にあることになっています。
又、系図では摩文仁親方は首里に帰って亡くなっています。摩文仁親方
と磨文主は同一人物なのか、ちょっとよく分かりません、
もしお分かりでしたら教
えてください。
尚ハンドルネームの文仁演は摩文親方から10代目、
同じく私は20代目です。
Posted by 文仁演 at 2011年04月05日 20:16
文仁演さん、コメントをありがとうございます。

>摩文仁親方
>と磨文主は同一人物なのか、ちょっとよく分かりません、
>もしお分かりでしたら教
>えてください。

私もわかりません。

歴史的な考察が出来る方のコメントをお待ちするしかないでしょうね。

もうわけありません。
Posted by たる一たる一 at 2011年04月08日 09:27
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