2007年04月19日
崎山節 (八重山民謡)
崎山節
さきやま ぶし
sakiyama bushi
一、ゆくい頂遊びぱな登りょうり (シュラヨーイヌ シュラヨーイヌ)登りょうり
(囃子言葉と繰り返しは以下略す)
ゆくいつぃじぃ 'あしびぱな ぬぶりょーり
yukui tsiji 'ashibi pana nuburyoori
○憩い(で)頂上 遊び(で)丘の上(に)登られになって
語句・ゆくい憩い 休憩・つぃじぃ頂上・ぱな丘の上
ニ、波照間ゆ 生まれ島ゆ 見上ぎりば
はてぃろーまゆ まりじ<u>ぃ</u>まゆ みー'あぎりば
hatirooma yu marijima yu mii'agiriba
○波照間島を 生まれた故郷を 見上げれば
語句・ゆを
三、我屋ぬ母 産ちゃる親ぬ 真面見るそんね
ばやぬ'あぶ なちゃる'うやぬ まむてぃみるそんね
bayaa nu 'abu nacharu 'uya nu matimu mirusoNne
○私の家の母 (私を)生んだ親の真正面の顔(が)見えるといいがなあ
語句・あぶ(離島で使う)母 石垣では「あっぱ」・まむてぃ真正面の顔<ま(真)+うむてぃ(顔) maa+'umutiが短くなったのではないだろうか(母音の融合)。・そんね・・といいがなあ <「そんが」(・・だけれども。・・そうなったらいいなあ)
四、見らでしば 目涙まり見らるぬ
みらでしば みーなだまりみらるぬ
miradeshiba miinada mirarunu
○見たいとする(思う)と 目に涙出て見られない
語句・みらでしば見たいとすると<見ら(みーるん 見る)の志向形 見たい)+で(と)+しば(すると)・みーなだ(みなだ)目の涙(みー=目 なだ=涙)みなだ、と短縮して歌う・まり生まれ、出て <まりるん(生まれる)・みらるぬ見られない「みらる」=見ることが出来る+ぬ(否定)
さきやま ぶし
sakiyama bushi
一、ゆくい頂遊びぱな登りょうり (シュラヨーイヌ シュラヨーイヌ)登りょうり
(囃子言葉と繰り返しは以下略す)
ゆくいつぃじぃ 'あしびぱな ぬぶりょーり
yukui tsiji 'ashibi pana nuburyoori
○憩い(で)頂上 遊び(で)丘の上(に)登られになって
語句・ゆくい憩い 休憩・つぃじぃ頂上・ぱな丘の上
ニ、波照間ゆ 生まれ島ゆ 見上ぎりば
はてぃろーまゆ まりじ<u>ぃ</u>まゆ みー'あぎりば
hatirooma yu marijima yu mii'agiriba
○波照間島を 生まれた故郷を 見上げれば
語句・ゆを
三、我屋ぬ母 産ちゃる親ぬ 真面見るそんね
ばやぬ'あぶ なちゃる'うやぬ まむてぃみるそんね
bayaa nu 'abu nacharu 'uya nu matimu mirusoNne
○私の家の母 (私を)生んだ親の真正面の顔(が)見えるといいがなあ
語句・あぶ(離島で使う)母 石垣では「あっぱ」・まむてぃ真正面の顔<ま(真)+うむてぃ(顔) maa+'umutiが短くなったのではないだろうか(母音の融合)。・そんね・・といいがなあ <「そんが」(・・だけれども。・・そうなったらいいなあ)
四、見らでしば 目涙まり見らるぬ
みらでしば みーなだまりみらるぬ
miradeshiba miinada mirarunu
○見たいとする(思う)と 目に涙出て見られない
語句・みらでしば見たいとすると<見ら(みーるん 見る)の志向形 見たい)+で(と)+しば(すると)・みーなだ(みなだ)目の涙(みー=目 なだ=涙)みなだ、と短縮して歌う・まり生まれ、出て <まりるん(生まれる)・みらるぬ見られない「みらる」=見ることが出来る+ぬ(否定)
(コメント)
前回の「崎山ゆんた」が西表島に強制移住させられた大勢の中の一人、カセモト姥の作品だったが、今回は「新村建設最初の役人 与那国寛紹(1698~1760)がユンタを改作して出来あがった節歌」(「島うた紀行」(第2集)P101)という。
「島うた紀行」ではこの歌の訳のところに「崎山ユンタ」の訳が間違えて掲載されている。
また、私の手許の八重山民謡の工工四2種類両方が、「崎山節」の名で「崎山ゆんた」の歌詞と同じになっているため、同じ歌かと私は勘違いしていた。
上の歌詞、一番で「登りょうり」とあるように歌の主人公は、歌っている人とば別人で、その人が島の高いところに登って故郷の波照間を眺めて母親を思い出している感傷的なシーンを歌ったもの。
古謡のため文章が短く、石垣方言辞典など駆使しても文法的に(私には)厳しいところが多いため悪戦苦闘した。
前回の「崎山ゆんた」が西表島に強制移住させられた大勢の中の一人、カセモト姥の作品だったが、今回は「新村建設最初の役人 与那国寛紹(1698~1760)がユンタを改作して出来あがった節歌」(「島うた紀行」(第2集)P101)という。
「島うた紀行」ではこの歌の訳のところに「崎山ユンタ」の訳が間違えて掲載されている。
また、私の手許の八重山民謡の工工四2種類両方が、「崎山節」の名で「崎山ゆんた」の歌詞と同じになっているため、同じ歌かと私は勘違いしていた。
上の歌詞、一番で「登りょうり」とあるように歌の主人公は、歌っている人とば別人で、その人が島の高いところに登って故郷の波照間を眺めて母親を思い出している感傷的なシーンを歌ったもの。
古謡のため文章が短く、石垣方言辞典など駆使しても文法的に(私には)厳しいところが多いため悪戦苦闘した。
Posted by たる一 at 12:31│Comments(4)
│さ行
この記事へのコメント
「廃村・無人島」に関する本を読んで知った崎山と、
この唄の崎山が同じ場所と
知ったのはほんの2年ほど前でした。
この唄はメロディーのなんともいえぬ寂しさ、
加えて歌詞の描く風景を想像するとほんとうに
絶海の孤島、水平線の見える小高い丘・・・・
沖縄、西表というよりも、小笠原方面を
想像してしまうのです。。。きっと先に読んだ本の影響なのですが。
僕にとってはそんな印象の唄です。
この唄の崎山が同じ場所と
知ったのはほんの2年ほど前でした。
この唄はメロディーのなんともいえぬ寂しさ、
加えて歌詞の描く風景を想像するとほんとうに
絶海の孤島、水平線の見える小高い丘・・・・
沖縄、西表というよりも、小笠原方面を
想像してしまうのです。。。きっと先に読んだ本の影響なのですが。
僕にとってはそんな印象の唄です。
Posted by SUZY at 2007年04月28日 01:17
suzyさん こんにちは。
唄持ちを繰り返し弾いているといろいろな想いにかられる曲ですね。
小笠原には足を運んだことがないのでわかりませんが
広大な海は私の生まれ故郷にもあり
その寂寞感はわかります。
いい唄は時代を超えて伝わるものですね。
唄持ちを繰り返し弾いているといろいろな想いにかられる曲ですね。
小笠原には足を運んだことがないのでわかりませんが
広大な海は私の生まれ故郷にもあり
その寂寞感はわかります。
いい唄は時代を超えて伝わるものですね。
Posted by せきひろし(たるー) at 2007年04月30日 07:12
これはニ揚で好まれる歌詞からの流れですね。
本来は本調子で
〇崎山ゆ新村ゆ立てぃだす
から始まり半ばから〇憩い頂遊びぱな登りょうり
の歌詞に繋がります。
原形の「崎山ゆんた」はリズムや囃しの形式が異なりますが、基本的に「崎山節」のメロディーと同一ですが拍子や間の取り方が異なります。「崎山ゆんた」のとーすぃが「みなとーま」になりますね。
本来は本調子で
〇崎山ゆ新村ゆ立てぃだす
から始まり半ばから〇憩い頂遊びぱな登りょうり
の歌詞に繋がります。
原形の「崎山ゆんた」はリズムや囃しの形式が異なりますが、基本的に「崎山節」のメロディーと同一ですが拍子や間の取り方が異なります。「崎山ゆんた」のとーすぃが「みなとーま」になりますね。
Posted by くがなー at 2012年01月28日 22:33
くがなーさん
本調子と二揚げのものとはずいぶん雰囲気が変わり、
二揚げのものは、より「開放的」な感じが私にはします。
本調子と二揚げのものとはずいぶん雰囲気が変わり、
二揚げのものは、より「開放的」な感じが私にはします。
Posted by たる一 at 2012年02月04日 09:42
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