2007年02月18日
おめやから節
おめやから節
'うみやからぶし
'umi yakara bushi
遊びそめなれて 立ち別る今日や 後とて引きゅさ 島の名残
'あしびすみなりてぃ たちわかるきゆや 'うしるとぅてぃふぃちゅさ しまぬなぐり
'ashibi suminariti tachiwakaru kiyu ya 'ushiru tuti hwichu sa shima nu naguri
○遊んで染め馴れて 立ち別れる今日は うなじを取って引く(思いだ)よ 故郷の名残り
(語句)・うしる (とくに女性の)襟あし うなじ ・しま 故郷
うみやからにほれて 夜の明けす知らん いきやす親がなし お返事しやべが
'うみやから に ふりてぃ ゆぬ'あきし しらん 'いちゃし'うやがなし 'うふぃじしゃびが
'umiyakara ni huriti yu nu 'aki shi shiraN 'ichashi 'uyaganashi 'uhwiji shabiga
○海の強者に惚れて 夜の明けたことも気づかず どのように親御様にお返事をしましょうか
(語句)・うみやから 海の強者 (後で述べるように別の解釈も可能)・ふりてぃ 惚れて <ふりゆん(惚れる) ・あけす 明けたこと 「し」は動詞の短縮形について名詞化する。・いちゃし どのようにして <いちゃ(如何に)+し(・・して の短縮したもの)・うやがなし 親御様 親を表す敬語 「かなし」は愛しい。例 首里天がなし(琉球王朝時代、王様を表す敬語・しゃびが しましょうか 敬語 <しゃ(すん)+あびーん(侍る を語源にした敬語)+が(疑問文につく)
(コメント)
古典、野村流声楽譜付工工四集にある「うみやから節」。安冨祖流工工四集にもある。
「改定 歌三線の世界」(勝連繁雄著)に
「屋嘉比朝寄工工四にはない」とあるから最初はなかったものが、後から工工四に取り入れられたもの。つまり民謡→古典化された曲。
(ちなみに屋嘉比朝寄工工四の実物がネットでみることができる。琉球大学付属図書館の伊波普猷文庫目録にある。
こちらへ。)
民謡にも「海ヤカラー」という曲がある。参考のため以下採録する。
海やから 'うみやからー 'umiyakaraa
一、誰がし名付きたがどんどんぬガマや遊び美童ぬ忍び所
○誰が一体名付けたのかドンドンの洞窟は 遊び娘が忍び遊ぶ所
二、ドンドンガマ通てぃ 忍でぃ ちゃさ我身や 出じみそりヤカラ 語て遊ば
○ドンドンの洞窟(に)通って忍んで来たよ 私は 出てきてくださいな (やから)語って遊ぼう
三、海やからに惚れてぃ かむるむんかまん 道端に泊まてぃ 親ぬ哀り
○海の強者に惚れて 食べ物(を)食べない 道端に泊まり 親が苦労(する)
四、なてぃんならりらん ぬちんぬかりらん いちゃさびが里前後ぬ事や
○行くにも行けない 退くにも退けない どうしましょうか 貴方 将来の事は
古典の「おめやから」という表記は旧かな使いであり、ウチナーグチでは「うみやから 'umi yakara」と読む。しかし、民謡以外、古典での表記には「海」という漢字が当てたものがない。
しかも歌の内容は、最初の2首しかなく、「うみやからにふりてぃ」というセンテンスにしか「うみやから」は登場しない。これだけで「海」の「やから」と決め付けることができるのだろうか、と疑問をもった。
そこで友人(MAGIさん)に、琉歌研究では権威がある「琉歌全集」(島袋盛敏)を調べてもらった。
要は、これにも「おめやから節」と上の2首があるようだが、「『うみやかな』という説もある」ということらしい。・つまり「うみ」は「海」ではなく「思う」という説もあるという。
確かに、発音では、海も「'うみ 'umi」 思うも「'うみ 'umi」で全く同じ。
はたして、どちらの説が正しいのか、今は私には知る由もない。
(解説の書式を変えてみました。別欄に解説を載せてきましたが、歌詞との対比が難しかったので、利用しやすいように、歌の下に語句の解説を載せ、比較しやすいようにしました。ご意見あれば、またどうぞ。)
'うみやからぶし
'umi yakara bushi
遊びそめなれて 立ち別る今日や 後とて引きゅさ 島の名残
'あしびすみなりてぃ たちわかるきゆや 'うしるとぅてぃふぃちゅさ しまぬなぐり
'ashibi suminariti tachiwakaru kiyu ya 'ushiru tuti hwichu sa shima nu naguri
○遊んで染め馴れて 立ち別れる今日は うなじを取って引く(思いだ)よ 故郷の名残り
(語句)・うしる (とくに女性の)襟あし うなじ ・しま 故郷
うみやからにほれて 夜の明けす知らん いきやす親がなし お返事しやべが
'うみやから に ふりてぃ ゆぬ'あきし しらん 'いちゃし'うやがなし 'うふぃじしゃびが
'umiyakara ni huriti yu nu 'aki shi shiraN 'ichashi 'uyaganashi 'uhwiji shabiga
○海の強者に惚れて 夜の明けたことも気づかず どのように親御様にお返事をしましょうか
(語句)・うみやから 海の強者 (後で述べるように別の解釈も可能)・ふりてぃ 惚れて <ふりゆん(惚れる) ・あけす 明けたこと 「し」は動詞の短縮形について名詞化する。・いちゃし どのようにして <いちゃ(如何に)+し(・・して の短縮したもの)・うやがなし 親御様 親を表す敬語 「かなし」は愛しい。例 首里天がなし(琉球王朝時代、王様を表す敬語・しゃびが しましょうか 敬語 <しゃ(すん)+あびーん(侍る を語源にした敬語)+が(疑問文につく)
(コメント)
古典、野村流声楽譜付工工四集にある「うみやから節」。安冨祖流工工四集にもある。
「改定 歌三線の世界」(勝連繁雄著)に
「屋嘉比朝寄工工四にはない」とあるから最初はなかったものが、後から工工四に取り入れられたもの。つまり民謡→古典化された曲。
(ちなみに屋嘉比朝寄工工四の実物がネットでみることができる。琉球大学付属図書館の伊波普猷文庫目録にある。
こちらへ。)
民謡にも「海ヤカラー」という曲がある。参考のため以下採録する。
海やから 'うみやからー 'umiyakaraa
一、誰がし名付きたがどんどんぬガマや遊び美童ぬ忍び所
○誰が一体名付けたのかドンドンの洞窟は 遊び娘が忍び遊ぶ所
二、ドンドンガマ通てぃ 忍でぃ ちゃさ我身や 出じみそりヤカラ 語て遊ば
○ドンドンの洞窟(に)通って忍んで来たよ 私は 出てきてくださいな (やから)語って遊ぼう
三、海やからに惚れてぃ かむるむんかまん 道端に泊まてぃ 親ぬ哀り
○海の強者に惚れて 食べ物(を)食べない 道端に泊まり 親が苦労(する)
四、なてぃんならりらん ぬちんぬかりらん いちゃさびが里前後ぬ事や
○行くにも行けない 退くにも退けない どうしましょうか 貴方 将来の事は
古典の「おめやから」という表記は旧かな使いであり、ウチナーグチでは「うみやから 'umi yakara」と読む。しかし、民謡以外、古典での表記には「海」という漢字が当てたものがない。
しかも歌の内容は、最初の2首しかなく、「うみやからにふりてぃ」というセンテンスにしか「うみやから」は登場しない。これだけで「海」の「やから」と決め付けることができるのだろうか、と疑問をもった。
そこで友人(MAGIさん)に、琉歌研究では権威がある「琉歌全集」(島袋盛敏)を調べてもらった。
要は、これにも「おめやから節」と上の2首があるようだが、「『うみやかな』という説もある」ということらしい。・つまり「うみ」は「海」ではなく「思う」という説もあるという。
確かに、発音では、海も「'うみ 'umi」 思うも「'うみ 'umi」で全く同じ。
はたして、どちらの説が正しいのか、今は私には知る由もない。
(解説の書式を変えてみました。別欄に解説を載せてきましたが、歌詞との対比が難しかったので、利用しやすいように、歌の下に語句の解説を載せ、比較しやすいようにしました。ご意見あれば、またどうぞ。)
Posted by たる一 at 16:15│Comments(2)
│あ行
この記事へのコメント
私は実際にあなたのblog を楽しむ!
I really enjoy your blog, it's great!
Tom
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Tom
Posted by Tom at 2007年02月19日 05:04
Tomさん
ありがとう。
これからも、楽しんでください。
ご意見もどうぞ!
ありがとう。
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Posted by たるー at 2007年02月20日 23:12
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