2006年10月26日

十七、八節

十七、八節
じゅうしちはち ぶし
juushichi hachi bushi


一、(女)十七、八頃や夜まんぐゐる待ちゅる(よ)夜ん暮りてたぼり 我自由さびら(ハラドンドンセー)約束小里前や くうんどあがやー
じゅうしちはちぐるや ゆまんぐぃるまちゅる(よー)ゆーんくりてぃたぼり わじゆさびら (はらどんどんせー)やくすくぐわーさとぅめや くーんどぅ'あがやー
juushichi hachi guru ya yumaNgwi ru(du) machuru yuuN kurititabori wajiyusabira (haradoN doN see) yakusukugwa satume ya kuuNdu'agayaa (括弧は以下省略)
十七八(の年)頃は 夕間暮れがとても待ち遠しい 夜も暮れてください 私自由(に)しましょう 約束(した)貴方は来ないのかねえ


二、(男)無蔵が待ち所 伊佐浜の碑文 無蔵が待ちかにら 我肝あまぢ 約束小無蔵やくうんどあがやー
んぞがまちどぅくる 'いさはまぬふぃぶん んぞがまちかにら わじむ'あまぢ やくすくぐわーんぞや くーんどぅ'あがやー
Nzo ga machidukuru 'isahama nu hwibuN Nzo ga machikanira wajimu'amaji yakusukugwaNzo ya kuuNdu'agayaa
貴女が待つ所(は)伊佐浜の碑文 貴女が待ちかねていないか 私の心(は)揺れて 約束(した)貴女は来ないのかねえ


三、(女)我身ん遊び好ち 里ん遊び好ち 互に遊び好ち 遊で忘ら 夢ぬ浮世や語て遊ばな
わみん'あしびじち さとぅん'あしびじち たげに'あしびじち 'あしでわしら 'いみぬ'うちゆやかたてぃ'あしばな
wamiN 'ashibijichi satuN 'ashibijichi tage ni 'ashibijichi 'ashidi washira 'imi nu 'uchiyu ya katati 'ashibana
私も遊び好き 貴方も遊び好き 互いに遊び好き 遊んで忘れよう 夢の浮世は語って遊びたいねえ


四、(男)無蔵が肝変わて我身すそにすらば刀刃にかきて 恨みはなさ 無蔵が心ん変わんなようや
んぞがちむかわてぃ わみんすそにすらばかたなばにかきてぃ 'うらみはな(ら?)さ んぞがくくるくわんなよーやー
Nzo ga chimukawati wamiN susoo ni suraba katanaba ni kakiti 'urami harasa Nzo ga kukuruN kawaNnayooyaa
貴女の心変わって私を粗末にすれば刀刃にかけて恨みをはらそう 貴女の心も変わるなよね

五、(女)里が差す刀さや二つあゆみ 夫二人持ちゅる事やねさみ 里が心ん変わんなよーやー
さとぅがさすかたな さやたーち'あゆみ うとぅたーちむちゅる くとぅやねさみ さとぅがくくるんかわんなよーやー
satu ga sasu katana ya saya taachi 'ayumi utu taachi muchuru kutu ya nesami satu ga kukuruN kawaNnayooyaa
貴方が差す刀はさや(が)二つあるのかしら (同じように)夫二人持つことはありえないでしょう 貴方の心も変わるなよね 


六、(男女)鳥ん鳴ちしみて やがて夜が明きさ りちゃよー 立ち戻ら ゆびぬ時分 今日や別やい 又明日遊ばな 西と東に別れて行かや
とぅいんなちしみてぃ やがてぃゆが'あきさ り(でぃ)ちゃよたちむどぅら ゆびぬじぶん ちゅうやわかやい また'あちゃ'あしばな 'いりとぅ'あがりにわかりてぃ'いかや
tuiN nachishimiti yagati yuga 'akisa ri(di)cyayoo tachimudura yubinu jibuN kyuya wakayai mata 'acha 'ashibana 'iru tu 'agari ni wakariti 'ika yaa
鳥も鳴かせてやがて夜が明けるよ さあ帰ろう 夕べの時分(になった)今日は別れて、また明日遊ぼう 西と東に分かれて行こうよ

解説
(語句)

・ゆまんぐぃ 夕まぐれ
・くーんどぅあがやー 来ないのかしらね~
くーん<「ちゅーん」来る の否定形 来ない
+ どぅ 強調 こそ
+ あがやー ・・なのかねえ
直訳すると「来ないこそなのかねえ」
余談だが「くんだあがやー」(こむらかえり)だと思い友人に聞いたら、「沖縄のオバーが笑っていた」といわれた。一文字違いで大いに意訳(笑)するところだった。


・あまぢ 揺れて
<あまじゅん(動) 動揺する 揺れる の連用形


・すそ 粗末
susoo <粗相 大和でも「すそにする」と言う。「裾」ではない。(裾は susu すす) 参考 うんじゅが情ど頼まりる
・はなさ はらさ の間違いだろう。


・あゆみ あるか? 
反語表現で「あるか? いや ない」という意味。
最後が「i」で終わる場合は、疑問詞のつかない疑問文。
・ねさみ ないだろう?
上と同じで「ないだろう?いや ない」
刀には二つ鞘(さや)がないから、私も夫を二人持つことはないよね!?という、どちらかというとやんわりとではあるが、相手に迫る疑問文だ。


・りちゃよ <でぃちゃよ さあ
「R」と「D」が入れ替わっている。

(コメント)
毛遊びを背景に十七、八歳頃の若者の、男女の気持ちを唄に乗せている。
待ち合わせの時の気持ち、出会って気持ちを伝え合う、も男女のかけひきもある。そして別れ。
軽い、遊びの唄であるがじつにコンパクトに、そして的確な表現に驚く。
人々に愛されている歌は作りもしっかりしている。




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Posted by たる一 at 18:10│Comments(4)さ行
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今日は「十七、八節」を1曲だけ弾きますよ十七、八節http://taru.ti-da.net/e1103869.html
照喜名朝一さん十七、八節【くらしの悩み、なんくるないさ!】at 2009年05月29日 01:02
この記事へのコメント
民謡の十七、八節ですね。
古典の「十七八」節は浄土三部経典のうちの「観無量壽経の十七節と十八節」の心境で詠まれた歌詞が本歌です。
よく「浄土経典の十七、十八願」と解説書に書いてある為に、安易に「佛説阿弥陀経」の十七、十八節で解釈しようとして理解不能に陥る方が多数いるようですが、「浄土経典」とは「佛説阿弥陀経」「無量壽経」と「観無量壽経」の三部で構成される「三部経典」です。これを知らない方がいらっしゃるようですのでついでながら書かせていただきました。
Posted by くがなー at 2012年01月28日 22:54
くがなーさん

非常に詳しいコメントをありがとうございます。

仏典との関係については全くの素人ですので、勉強になりました。

機会があれば調べてみたいと思います。
Posted by たる一たる一 at 2012年02月04日 09:49
たるーさん,こんばんは。今日の民謡で今日拝なびらの1曲目が,登川誠仁によるこの曲でしたが,良く聞いてみると,徳之島の餅貰い唄(ドンドン節)ですよね。
徳之島のほうが元の唄のような気がしますがどうでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=Gs1vN2Ivj9I
Posted by bonin at 2012年05月08日 23:34
boninさん

いつもコメントありがとうございます。

初めて聴きました。

機会があれば調べてみたいと思います。
Posted by たる一たる一 at 2012年05月11日 09:58
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