2006年04月25日

童神

童神
わらびがみ
warabi gami
こども神

一、天からの恵受けてこの世界に生まれたる産子 我身の守い育て
てぃんからぬみぐみ'うきてぃくぬしけに'んまりたるなしぐわ わみぬむいすだてぃ
tiNkara nu migumi 'ukiti kunu shikee ni 'Nmaritaru nashigwaa wami nu mui sudati
天からの恵みを受けてこの世界に生まれた愛児 私が守り育て

(イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー愛し思産子 泣くなよーや ヘイヨーヘイヨー)
いらよーへい いらよーほい いらよーかなし'うみなしぐわ なくなよーや へいよーへいよー
'irayoo hei 'irayoo hoi 'irayoo kanashi 'uminashigwaa nakunayoo yaa heiyoo heiyoo
○(ハヤシ省略)愛しい愛児 泣くなよね

太陽の光受けて(ゆーいりよーや へいよーへいよー)まささあてたぼり
ティ(ー)ダぬふぃかり'うきてぃ(ゆーいりよーや へいよーへいよー)まささ'あてぃたぼり
ti(i)da nu hwikari 'ukiti yuuiriyoo ya heiyoo heiyoo masasa 'atitabori
太陽の光を受けて霊験あらたかになってください


二、夏の節来りば涼風ゆ送て冬の節来りば懐に抱ちょて
なちぬしちくりばしだかじゆ'うくてぃふゆぬしちくりばふちゅくるにだちょーてぃ
nachi nu shichi kuriba shidakaji yu 'ukuti huyu nu shichi kuriba huchukuru ni dachooti
夏の季節が来ると涼しい風を送り冬の季節が来ると懐に抱いていて

月の光受けて 大人なてたぼり
ちちぬふぃかり'うきてぃ 'うふっちゅなてぃたぼり
chichi nu hwikari 'ukiti 'uhucchu natitabori
月の光受けて 大人になってください

三、雨風の吹ちん渡るこの浮世 風かたかなとて産子花咲かさ
'あみかじぬふちんわたるくぬ'うちゆ かじかたかなとーてぃ なしぐわはなさかさ
'amikaji nu huchiN wataru kunu 'uchiyu kajikataka natooti nashigwaa hana sakasa
雨風が吹いても渡るこの世界に 風よけになって愛児の花を咲かせたい

天の光受けて 高人なてたぼり
てぃんぬふぃかり'うきてぃ たかっちゅなてぃたぼり
tiN nu hwikari 'ukiti takacchu nati tabori
天の光受けて(霊感)高い人になってください


解説
(語句)

・わみぬむいすだてぃ 私が守り育てて
<わみ 私+ぬ が+むい 守り+すだてぃ 育てて
「ぬ」には「・・の」以外に主格を示す「が」がある。(例)
・かなし 愛しい
・うみなしぐわ 思う我が子→愛児
・まささあてたぼり 霊験あらたかになってください
「勝っている」とか「優秀になる」とかいう訳も多い。
勝るは「まさゆん」
まささん(まさしゃん)は「霊験あらたかである」の意味。
こういう意味を込めて作ったと古謝美佐子さん御本人から直接うかがった。


・しち 季節
・しだかじ 涼しい風
<しださん 涼しい
・ゆ 文語的表現の「を」
・だちょーてぃ 抱いていて
・ちち 月
正確なウチナーグチではthichi ツィチ(ツチではない)

ところが古謝美佐子さんはここだけヤマトグチで「つきのひかり」と歌われる。少し私は不満である。
・うふっちゅなてぃたぼり  大人になってください


・風かたかなとーてぃ 風よけになっていて
かたか=遮蔽 さえぎるもの 庇護 かばうこと
・たかっちゅ (霊感)高い人
背の高い人に、という訳が普通だろう。
しかし、セジだかい=霊感が強い という言葉がある。
一番とのからみでそちらを採用。
どうも古謝美佐子さんはこの歌に子どもの外見や知性以外に霊感の強い子どもになってほしいという願いを込めているところが沖縄らしい。

(コメント)
作詞 古謝美佐子 作曲 佐原一哉
本土でもかなりヒットしたが、胎教に良いと、夏川りみさんなどが歌うこれがさらにヒット。健康雑誌などでもCDが付録についていた(私も買った)。
血糖値が下がり、抗体が増えるなどという研究データが載せてあったが、他の曲での比較がなく、一般的な沖縄民謡などがもたらす効果ではないのだろうか。そのへんが不思議な歌である。
歌詞の中身も、古謝美佐子さんご本人に確認したが、やはり霊感の強い子に育ってほしいという気持ちを深く込めてもいるという。
古謝美佐子さんと佐原一哉さんはご夫婦。一度広島でコンサートがあった折に地元のエイサー団体ということでお手伝いをさせていただいた。その夜打ち上げをお二人が主催してくださり、元ネーネーズの3名との歌遊びという贅沢な時間を過ごさせていただいたことがある。そこでもお聞きしたが古謝美佐子さん自身も霊感の強い方だそうである。
「ゆーいりよー」は「芯のある強い」という意味もあると伺った。

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Posted by たる一 at 22:25│Comments(14)わ行
この記事へのコメント
「たかっちゅ」にはそういう意味があったんですね~。驚きました。
霊感の強い子になったらかわいそう、という気が僕などにはしてしまうのですが、必ずしも悪いイメージではないのでしょうか。
見方によっては感受性が強いということにもなる・・・・・・のかな?
すみません、ちょっとまとまらない文章になってしまいました(_ _;)
Posted by 茶太郎 at 2006年04月29日 02:11
茶太郎さん
コメントありがとう。
そうですねえ。普通に勝る、大きい、高いなどという訳でも意味は通るんですが、沖縄の年配の方などはもうすこし深い意味でうけとるのではないでしょうか。
沖縄では節ごとに年中神さまと「お付き合い」しているのですからそれを感じる人にと願うのは自然かもしれませんね。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年04月29日 07:31
生まれ高いとか、サーダカーとかいいますね。宮古では、神高い(カンダカー)といいます。

別ブログも読ませて頂きました。
また、平和に対する熱い思いも大変尊いことと思います。どうコメントしていいのか及びもつかず、人類の業を突破するような価値観が今ほど求められている時代はないと考えるだけで、何もわからない自分がもどかしく思います。

アメリカと日本、沖縄の力の構造やその軛(くびき)が乗り越えられないと先の大戦は直視できず、その真の反省もないのでしょう。

私は戦争というものが、虐殺を覆い隠す強者の手段に過ぎないと思います。ある種の美談や悲劇のみならず、もっと本質を見て子孫に手本を残す必要があると感じます。
 
我々亡きあとも国や大地は残るのですから。
 
また、血を流さない戦争もあるだろうし、文化の共存に関するいろいろな研究が待たれますね。

異文化に慣れることもそのひとつです。
無知や無理解が、知らずに人を傷つけることもあります。
難しく、かつ、遠い道ですが嫌いじゃありません。
がんばりましょう。
Posted by gabaizu at 2006年05月02日 22:43
はるか遠くの地にいかれて、職業も「戦争」といものとは無関係ではなかったgabaizuさんが、いまそういう過去を踏まえながら新しい地で新しく生きていかれる姿、とても尊いです。
遠くの地での苦労、悩み、いらだち、想い、さまざまではないでしょうか。

私はそういう行き方が、今はできないので、gabaizuさんに教えて欲しいだけです。

ありがとう。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年05月02日 22:52
「童神」と「月ぬ美しゃ」を聞くと、
魂が揺さぶられ、涙がでます。

やっぱり、天から降りた歌だったのですね~。

ありがとうございます!
Posted by ホワイトムーン・ザ・エンパワラー at 2006年05月05日 14:19
ホワイトムーン・ザ・エンパワラーさん コメントありがとうございます。
私自身は、霊験や「セジ高い」ことには無縁な人間ですが。
歌詞になるだけ忠実に訳すとこうなるのです。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年05月06日 09:29
三番の歌詞で、「浮世」を「世界に」と間違って書いておりました。

ご指摘いただいたOさん、ありがとうございました。
Posted by たるー(せきひろし) at 2009年12月17日 11:53
初めて投稿します。私「童神」好きで良くCD聞いています。
歌詞の三 「たかっちゅ」の解釈ですが、作者の古謝美佐子さんから直接聞いたとのことですが、「たかっちゅ」⇒高い人、霊感の強い人とのことですが、どうもしっくりきません。生し親が「セジ高い人になって欲しい」と願いますかしら?高い人⇒背の高い人が普通だろう。言葉足らずの解釈と思いますが・・・。そこで私は、「徳の高い人」・「感受性の豊かな人」と解釈して聞いています。「偉い人」ともニュアンスが違うようですね。
二、夏の節来りば涼風ゆ送てぃ 冬来りば懐に抱ちょてぃ。
   ここの歌詞は大好きです。古い昔風の座敷きに愛しい我が子にクバ
   扇で風を送り寝かしつける母親の姿が鮮やかに浮かびます。
いづれにしても、良い時代を想起させて貰いました。
Posted by ナカンダカリー at 2015年03月14日 09:49
ナカンダカリーさん、
初めまして。

私も3番の「たかっちゅ」は「徳の高い人」と訳すことに賛成です。

親が望むかどうかはその親の生き方によると思いますが、古謝さんが歌を通じて多くの人に呼びかけたかったのは、だれもが望むような「徳の高さ」や「志の高さ」などでしょうね。

ただ、古謝さんご自身が「せじ高い」方のようですのでそう望まれても不自然ではないと思います。きっと大変なご苦労もされたことでしょうが。

ご指摘ありがとうございます。
Posted by たる一たる一 at 2015年03月16日 17:50
随分遅れた書き込みですみません。
ヤマトグチの童神は自分の産んだ子を思う歌、うちなーぐちでは全ての子どもを大切に思う歌のように思えるのですが、この解釈は間違っているでしょうか。
Posted by marikina at 2017年10月09日 23:01
marikinaさん
その解釈は間違ってはいません。

「解釈」は、それぞれの感じ方ですので、作られたウタに込めた作者の意図とは少し違うし、違っていても良いと思います。

ただ、「なしぐゎー」というのは「自分が産んだ子ども」あるいは「自分の子ども」という意味です。「子ども」は「っくゎー」や「わらばー」や「わらび」ですから、従って「なしぐゎー」を「すべての子ども」と解釈することはできません。

ただ沖縄の方の子どもへの接し方は集団として親が子どもたちを育てる、つまり「どの子も自分の子どものように守り、叱り、育てる」ことが強いように思います。これも昔は本土でもそういう時代もありましたし、そういう思いを持った方もすくなくありません。時代とともに考え方が変化する中でウタの解釈も変化するとは思います。

何れにせよ、我が子を大切にするように子どもたちをみな大切にすることがこのウタの願いだろうと思います。
Posted by たるー at 2018年01月26日 10:36
ありがとうございます。
小学校の母親コーラスで歌いますが、意味が分からなくて困っていました。
とても助かりました。
Posted by ヒロ at 2019年02月22日 16:16
はじめまして
今度、子どもや子育てに関するイベントでBGMとしてこの曲を使ってとの話になりました。
(弦楽器で演奏したものを使う予定です)
その場合、著作権などはあるのでしょうか
Posted by haru at 2019年05月12日 12:22
haruさん、
コメントありがとうございます。

著作権はあると思いますが、ご使用に当たっては著作権協会にお問い合わせなさったほうが無難だと思います。

このような回答で、すみませんね。
Posted by たる一たる一 at 2019年05月13日 13:11
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