世宝節 2
世宝節
ゆたからぶし
yutakara bushi
作詞・作曲 普久原朝喜
一、
苦しみぬあてぃん胸内にとぅみてぃ(ヨ)他人に語るなよ 世界や嵐(ジントーヨ 世界や嵐)
くるしみぬあてぃん んにうちにとぅみてぃ(よ)ゆすにかたるなよ しけやあらし(じんとーよ しけやあらし)
kurushi nu 'atiN Nni'uchi ni tumiti (yoo) yusu ni kataruna yo sike ya 'arashi (jiNtoo yoo shike ya 'arashi)
〔括弧は以下省略〕
〇
苦しみがあっても胸の中にとめて他人に語るなよ 世界は嵐のように厳しいのだから(そうだね 世界は嵐だ)
語句・
んにうち 胸の中。・
しけ 世界。<しけー 世界。「sekai」の三母音化(e→i, ai→ee)。ちなみに「世間」は「しきん」(shikiN)。意味はほぼ同じように使われるが、「しけ」に「世間」の当て字がふられることがあり、若干混乱もある。
二、
苦しみぬ水ん飲でぃぬ後からどぅ 楽しみぬ水ん味ん知ゆる
くるしみぬみじんぬでぃぬあとぅからどぅ たぬしみぬみじんあじしゆる
kurushi nu mijiN nudi nu 'atu kara du tanushimi nu mijiN 'aji shiyuru
〇
苦しみの水も飲んで後からこそ楽しみの水も味を知ることができる
三、
宝玉やてぃん磨かにや錆びす 朝夕肝磨き 浮世渡り
たからだまやてぃんみがかにやさびす あさゆちむみがきうちゆわたり
takaradama yatiN migani ya sabisu 'asayu chimu migaki 'uchiyu watari
〇
宝石であっても磨かなければ錆びさせる 一日中心を磨いて浮世を渡れ
語句・
わたり 渡れ。「わたゆん」(わたる)の命令形。・
うちゆ 浮世。「浮世」は本土でも時代によって意味合いが変化してきた。平安時代は「憂世」(憂うべき辛い世)、仏教伝来後は「はかない世」、江戸時代には「浮世絵」のように「当世の」「好色な」。(参考;【語源由来辞典】)沖縄民謡では江戸時代以前の「憂世」「はかない世」の意味合いが多く使われているようだ。
四、
嵐声ぬあてぃん心落てぃ着きてぃ互に 和談そてぃ浮世渡り
あらしぐぃぬあてぃんくくるうてぃちきてぃたげに わだんそてぃうちゆわたり
'arashigwi nu 'atiN kukuru 'utichikiti tage ni wadaN soti 'uchiyu watari
〇
厳しい声があっても心落ちつけて互いに仲良く話し合い浮世を渡れ
語句・
あらしぐぃ <あらしぐぃー 'arashigwii 「【嵐(荒らし)声】悪い知らせ」【琉球語辞典】。「あらし」には「嵐」(あらし)と「争い」(あらしー)の意味がある。ここでは「悪い知らせ」というよりは「争い」の意味合いが含まれているように思う。・
わだん「【和談(和合)】仲良く話合うこと」【琉球語辞典】。
五、
誠する人ぬ後や何時までぃん 沙汰残てぃ人ぬ手本なゆさ
まくとぅするふぃとぅやあとぅやいちまでぃん さたぬくてぃふぃとぅぬてぃふんなゆさ
makutu suru hwitu ya 'atu ya 'ichimadiN sata nukuti hwitu nu tihuN nayusa
〇
誠実を貫く人は後世いつまでも噂が残って人の手本になるよ
語句・
あとぅ 「①将来②次③子孫」(参考【沖縄語辞典】。「後世」の意味がある。・
さた「沙汰。うわさ。また、評判」【沖縄語辞典】。
世宝節は取り上げるのは二回目。
「真夜中どぅやしが」ではじまる歌詞はよく知られているが、この唄の作者である普久原朝喜氏の録音による原曲はあまり知られていない。
音源は「沖縄民謡大全集」(株式会社エコー)にある。
ご周知のように、普久原朝喜氏(1903~1981)はコザ市(現在の沖縄市)越来生まれ。1923年に沖縄から大阪に渡り、1927年に「丸福レコード」(現在のマルフクレコード)を設立、「チコンキーふくばる」という異名通り蓄音機(ちこんきー)にさまざまな唄者の唄三線、歌劇を吹き込むとともに自身も作詞作曲をしながら多くの唄を吹き込んでいる。
近代沖縄民謡の父、祖などともいわれる。
この世宝節、物知り節同様「沖縄音階」を軸に創作されている。
歌詞は、当初このように「教訓歌」であったようだ。
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