2005年12月09日

屋嘉節

屋嘉節
やかぶし
yaka bushi

作詞 金城守賢。作曲 山内盛彬


一、なちかしや沖縄 戦場になやい 世間御万人ぬ袖ゆ濡らち
なちかしや うちなー いくさば になやい しきん うまんちゅぬ すでぃゆぬらち
nachikashi ya 'uchinaa 'ikusaba ni nayai shikiN 'umaNcu nu sudi yu nurachi
悲しい(の)は沖縄 戦場になり 世間御万人の袖を(涙で)濡らし
語句・なちかしや 悲しい。<なちかしゃん。なちかさん。nachikasyaN。
「懐かしい」は、あながちさん 'anagachisaN。ここでは「懐かしい」と訳すとおかしくなる。・しきん 世間。・ を。文語として使う。口語では使わない。



二、涙飲でぃ我んや恩納山登てぃ 御万人とぅ共に戦凌じ
なみだぬでぃ わんや うんなだき ぬぶてぃ うまんちゅとぅとぅむにいくさしぬじ
namida nudi waNya 'uNnadaki nubuti 'umaNcu tu tumuni 'ikusa shinuji
涙(を)飲んで 私は恩納山(に)登り 多くの人と共に戦(を)凌ぎ
語句・うんなだき 恩納村にある標高362,8mの山。「たき」とは「主として拝所(ugaNzu)のある山をいう」【沖縄語辞典】(以下【沖辞】)。・しぬじ しのいで。<しぬじゅん。「困難・危険のなかをくぐり抜ける」【沖辞】。



三、あわり屋嘉村の闇の夜の鴉 親うらん我身ぬ 泣かんうちゅみ
あわりやかむらぬ やみぬゆーぬがらし うや うぅらん わみぬ なかん うぅちゅみ
'awari yakamura nu yani nu yuu nu garasi 'uya wuraN waminu nakaN wucumi
哀れ 屋嘉村の闇の夜のカラス(よ) 親(が)いない私が泣かないでいられるか
語句・あわり  ①あわれ②みじめさ、苦労・やかむら 金武町屋嘉に作られた捕虜収容所を意味するとみられる。・がらし カラス。 



四、無蔵や石川村 茅葺きの長屋 我んや屋嘉村の砂地枕
んぞや いしちゃーむら かやぶちぬながやー わんややかむらぬ しなじまくら
Nzo ya 'ishicaamura kayabuchi nu nagayaa waN ya yakamura nu sinaji makura
貴女は石川村茅葺きの長屋 私は屋嘉村の砂地(が)枕
語句・いしちゃーむら石川村。現在はうるま市。・しなじ 砂地 



五、心勇みゆる四本入り煙草 さみしさや月に流ちいちゅさ
くくるいさみゆる しふんいりたばく さみしさや ちち に ながちいちゅさ
kukuru 'isamiyuru shihuN 'iri tabaku samishisa ya chichi ni nagchi 'ichusa
心励ますことができるのは四本入り煙草 淋しさは月に流していくよ
語句・いさみゆる 励ますことができる。<いさみゆん。励ます。




(コメント)
約20万人が亡くなった沖縄戦。
沖縄県民の4人に一人が亡くなる悲惨な戦争は、強大なアメリカ連合軍の侵攻に、本土防衛のための「捨石作戦」として市民を巻き込んでの展望のない「負け戦」であった。

その沖縄戦のあと捕虜収容所が沖縄の金武町の屋嘉などにあり、約2千人がそこで生活をさせられていた。
そこで生まれた歌だといわれている。

作詞 金城守賢。作曲 山内盛彬

といわれているが、たくさんの歌詞があり、また微妙に違う歌詞もある。
いろいろな人が沖縄戦、その後の暮らしに思いがあり、それを歌に盛り込んでいったというのがよく分かる。それだけ人々に愛され、歌われたのだろう。

歌碑は金武町の屋嘉ビーチのバス停の横に「屋嘉収容所跡地」の碑があり、その裏が「屋嘉節」の歌碑になっている。

屋嘉節

屋嘉節

収容所跡の碑
屋嘉節
「日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑…第二次世界大戦中(昭和20年)米軍は、この地に捕虜収容所を設け、投降した日本軍将兵約7千人を収容して厳しい監視下におかれた。一時捕虜の数が増え、約3千人がハワイに移送された。 その時の将兵等はPWと呼ばれ敗戦の悲哀の中から郷土出身の一兵士により『屋嘉節』が作られた発祥の地でもある。 この収容所は1946年(昭和21年)2月閉鎖となり、米軍保養所となって1979年(昭和54年)8月31日全面返還されるに及んだ。 昭和58年10月25日竣工」と記されている。



私も「捕虜」として、金武町の捕虜収容所にいたことがある。
もちろん本物ではない。映画のエキストラとして。

今から10数年映画「MABUI」のロケにエキストラとして参加し、ガマからでてきた捕虜の格好をして米軍のトラックにのせられ、収容所に入っていくシーンや、再現されたヤミ市の群集シーンなどなどにはずかしながら出ている。

その映画のなかで平良進さん(ナビーの恋、ウンタマギルーに出演。平良トミさんの実の夫)がカンカラ三線を弾くシーンでこれを歌われた。

かんから三線は、捕虜収容所で、米軍のミルクの缶を胴にして、ベットの足を棹とし、パラシュートの糸を弦にしてつくられたもの。



いくつかの記録映像にも捕虜集要所で、このカンカラ三線を弾きながら女性たちが踊っているシーンが残っている。沖縄の人々にとって歌と三線は苦しい時代も生きていくエネルギーを与えてくれるものだったのだろう。そしてどのような時も文化を作り出し生きていく糧にする姿勢はすばらしい。

この歌の背景にあるものは戦争となれば一般市民がもっとも悲惨な目にあうということだ。そして、戦(いくさ)はどんな理由であってもはじめてはならないという気持ちが込められていると私は思う。

はたしてわずか60年前の戦争の教訓を日本人はどれだけ大切にしているのだろうか。

戦争はどんな理由でも起こしてはならない、その努力をすることが大事だ。武力では解決しない、と日本国憲法に刻み込んだ私たちの教訓。

その憲法ですら風前のともし火。

被爆地ヒロシマでは、戦艦「ヤマト」ブーム。

この屋嘉節を歌いながら、もう一度「戦争」の無意味さを心に刻みたい。

屋嘉節

屋嘉節

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Posted by たる一 at 13:58│Comments(8)や行
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大江健三郎さんの「沖縄ノート」記述にまつわる、集団自決訴訟が大阪地裁であった。 ...
沖縄集団自決訴訟【毎日が日曜日blog2】at 2007年11月10日 23:46
この記事へのコメント
屋嘉節について
4番目に書かれている歌詞の「心勇みゆる.....淋しさや月に」のところは、正確には「.......淋しさや月日(ちちひ)」が正しい歌詞だということです。生前、金城守賢は、金城実に訂正を申し出ています。
金城実のCD,戦時戦後をうたう(キャンパス)で唄われております。
現在「屋嘉節」の曲は、昭和初期に創作された「首里から下りての三番目」という芝居の中で使われている「山内節」という曲でうたわれている。作曲者の山内盛彬翁の名前を取って呼び習わしているこの曲は、沖縄芝居の世界では知られている曲である。今は、「屋嘉節」は「山内節」の曲で、「PW節」は「無情の唄」の曲で歌うのが定着しているが、当時は「屋嘉節」の歌詞を「無情の唄」の節で歌ったり、その逆であったりもしたそうです。
参考、上記は、「ウチナーのうた」音楽之友社に書かれております。
私も沖縄に移住して7年目、コザで唄三線やっております、やっと興味のあるページを見つけました、今後の記事を期待しております。ゆたしく
Posted by ウチナー ムーク at 2005年12月17日 22:15
ウチナー ムークさん
コメントありがとうございます。
しかも確かに「淋しさや月に」という歌詞には意味が通じないところを感じていました。
これは「ウチナーのうた」音楽之友社の歌詞だったように思います。

いわれるように、月になにかを流すという表現には無理があります。

さみしさや月日流ちいちゅさ
samisisa ya chichihwii nagachi'ichu sa

ですね。

仲宗根幸市氏(「島うた紀行」琉球新報カルチャーセンター)では
歌詞曲ともに謎の部分があり歌詞は金城守賢(山田有昴、新城長保らが関与)渡名喜庸仁(佐喜真弘、宮城信輝、知念幸助らが関与)氏らが名乗りでている。
金城氏が没し依然として作詞について不明のところがある。

と書かれています。

大変参考になるお話ありがとうございます。



Posted by たるー at 2005年12月18日 01:44
間違って2回も同じコメントを送ってしまいました。メールを始めたばかりなので、申し訳ございませんでした。
汀間当の記事はどこに書いてありますか?検索したのですが、自分がまちがっているのか、わかりません。「ゆたしく うにげさびら」
Posted by ウチナー ムーク at 2005年12月18日 14:57
ウチナー ムークさん
いいえ。ありがとうございます。
同じ内容ですのでひとつ消去してもさしつかえないですか?

「汀間とぅ」はまだアップしておりません。
そのうちに書くつもりです。
よろしく。
Posted by たるー at 2005年12月18日 21:54
はい、ひとつ削除お願いします。
ウチナー口は、難しいですね、自分はコザに住んでいますが、コザの人と具志川の人、勝連の人と、同じ言葉でも言い方がちがうのですね。
そちらは、雪ですか?自分は京都出身なのですが、こちらも、でーじ寒いです(ひーさん)
では、ゆたしく うにげさびら
Posted by ウチナー ムーク at 2005年12月18日 23:21
ひとつ削除しました。
京都と大阪と神戸でも方言が違うので昔驚きました。同じ完成弁だと思っていたのに(笑)

コザですかあ。いいですねえ。
しかもウチナームーク。うらやましい限りです。

沖縄も今年は寒いようですね。お風邪など召されないよう。
Posted by たるー at 2005年12月18日 23:34
初めまして。TBを送らせていただきました。

「屋嘉節」を先日、習いました。
意味を詳しく知りたくて、当ブログを発見して感動しました。
これからも、参考にさせていただきます。

ちなみに、「MABUI」も見ましたよ。私の三線サークルのリーダーは「月桃の花」のエキストラに出演してます。
Posted by pianocrafat at 2007年11月10日 23:50
pianocrafatさん
コメントありがとうございます。

屋嘉節、大切な歌ですよね。

その歌にもつながる映画にかかわれたことは
人生の宝です。
Posted by 関洋(せきひろし)関洋(せきひろし) at 2007年11月11日 21:24
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