2009年09月19日

吉屋物語

吉屋物語
ゆしや むぬがたり
yushiya munugatari
吉屋(ちるー)の物語
語句・ゆしや 吉屋チルー。 吉屋鶴とも書く。 「【吉屋鶴〔思鶴['Umi-Chiru]とも;古くは単に‘よしや’〕】(恩名ナベと並び称される)女流歌人(1650?-68?);読谷山[ユンタンザ]〔今の読谷村[よみたんそん]〕に生まれ8歳のとき那覇仲島へ遊女として身売りされ18歳で没したといわれる。」【琉辞】。

作詞 小浜 守栄
作曲 喜屋武 繁雄


一、誰がし名付きたが吉屋言る人や 琉歌ぬ数々や代々に残て
たがしなじきたが ゆしやてぃるふぃとぅや 'うたぬかじかじやゆゆにぬくてぃ
tagashi najikita ga yushiya tiru hwitu ya 'uta nu kajikaji ya yuyu ni nukuti
一体誰が名付けたのか 吉屋という人は 歌の数々を代々残して
語句・たがし <たー 誰。 +が 疑問の助詞。 +し 強調の助詞(たとえば、文語「いちゃし」「ぬがし」のように、‘一体’くらいの意味) ・てぃる という。

(連ね)
友小達や揃て手まいうち遊ぶ 我身や病む母ぬ御腰むむさ
どぅしぐゎやするてぃ てぃまい'うち'あしぶ わんややむふぁふぁぬ'うくしむむさ
dushigwa ya suruti timai 'uchi 'ashibu waN ya yamu hwahwa nu 'ukushi mumu sa
友達は揃って手まりで遊ぶ 私は病気の母のお腰をもむよ


二、あてなしが童家庭の困難に 女郎花に落てて行ぢゃるいたさ
'あてぃなしがわらび ちねぬくんなんに じゅりばなに'うてぃてぃ 'んじゃる'いたさ 
'atinashi ga warabi chine nu kuNnaN ni juribana ni 'utiti 'Njaru 'itasa
無邪気な子ども 家庭の困難のために 女郎に落ちて去って行ったよ
語句・あてぃなし 「(思慮分別もない)無邪気な者」【琉辞】。「あてぃ」には「思慮」という意味がある。 ・ の。・じゅり 「娼妓[しょうぎ]、女郎」、「料理茶屋の女」【琉辞】。 「尾類」は当て字。琉球語辞典では「女郎系」ではなく九州諸方言の「ジョーリ」(料理)の影響があると見ている。「じゅりばな」ともいう。 ・んじゃる 去る。

(連ね)
恨む比謝橋や情きねん人ぬ 我ん渡さと思て掛きてうちぇさ
'うらむふぃじゃばしやなさきねんふぃとぅぬ わんわたさとぅむてぃかきてぃうちぇさ
'uramu hwijyabashi ya nasaki neN hwitu nu waN watasa tumuti kakitiuche sa
恨めしい比謝橋は情けのない人が私を渡そうと思って掛けておいたものよ
語句・ が。 ・わたさ わたそう。


三、女郎花に落てて行ちゅる道しがら 渡る比謝橋に恨みくみて
じゅりばなに'うてぃてぃ'いちゅるみちしがら わたるふぃじゃばしに'うらみくみてぃ
juribana ni 'utiti 'ichuru michi shigara wataru hwijabashi ni 'urami kumiti
女郎に落ちて行く道すがら渡る比謝橋に恨みを込めて

(連ね)
頼む夜や更きて音沙汰んねらん 一人山ぬ端ぬ月に向かて
たぬむゆやふきてぃ'うとぅさたんねらん ふぃちゅいやまぬふぁぬちちにんかてぃ
tanumu yu ya hukiti 'utusataN neraN hwichui yama nu hwa nu chichi ni Nkati
(あなたが来ると)頼む夜は更けて音沙汰もない 一人山の端の月に向かって


四、仲島ぬ花と美らさ咲ちなぎな 詠だる琉歌数に心くみて
なかしまぬはなとぅちゅらささちなぎな ゆだる'うたかじにくくるくみてぃ
nakashi nu hana tu churasa sachinagina yudaru 'uta kaji ni kukuru kumiti
仲島の花と美しく咲きながら詠んだ歌の数々に心を込めて
語句・なかしま 「那覇市泉崎のもと海上にあった小島(に明治41年まであった遊里)」【琉辞】。 吉屋鶴はここに居たとされる。 ・なぎな <なぎーな ・・ながら、・・なのに。 ・うた かつては「琉歌」は「うた」と呼ばれた。

(連ね)
流りゆる水に桜花浮きて 色美らさあてどすくて見ちゃる
ながりゆるみじにさくらばな'うきてぃ 'いるじゅらさ'あてぃどぅ すくてぃんちゃる
nagariyuru miji ni sakurabana 'ukiti 'irujurasa 'atidu sukuti ncharu
流れている水に桜花を浮かべて 色美しいのですくってみる
語句・んちゃる <んーじゅん ぬーん。 見る。・・してみる。 沖縄語で「見る」は「んーじゅん」。「テレビを見る」は「テレビんーじゅん」。「みーゆん」は「見える」。 ここでは「・・してみる」。


五、琉歌にちながりて 見染みたる里と 想い自由ならん此ぬ世しでて
'うたにちながりてぃみすみたるさとぅとぅ 'うむいじゆならんくぬゆしでぃてぃ
'uta ni chinagariti misumitaru satu tu 'umui jiyu naraN kunu yu shiditi
歌に繋がれて見初めた貴方と愛は自由にならない この世に生まれて(いるのに
語句・しでぃてぃ 生まれて。 <しでぃゆん 孵化する。生まれる。

(連ね)
拝で拝みぶしゃ首里天加那志 遊でうちゃがゆる御茶屋御殿
'うがでぃ'うがみぶしゃ しゅいてぃんがなし 'あしでぃ'うちゃがゆる 'うちゃや'うどぅん
'ugadi 'ugamibusha shuitiNganashi 'ashidi 'uchagayuru 'uchaya'uduN
お会いしてお会いしたいことよ!首里の王様 遊んで浮かび上がる御茶屋御殿
語句・うがでぃ <うがぬん 拝む。お会いする。「会う」「見る」の謙譲語。・うちゃがゆる <うちゃがゆん 「浮き上がる、鮮明[鮮やか]になる」【琉辞】。 


六、思い世に残す死出ぬ旅ゆいか 白骨に語る御茶屋御殿
'うむいゆにぬくす しでぃぬたびゆ'いか しらくちにかたる 'うちゃや'うどぅん
'umui yu ni nukusu shidi nu tabi yu 'ika shirakuchi ni kataru 'uchaya'uduN
思いを世に残す死出の旅にいきます 白骨に語る御茶屋御殿
語句・ を。・しらくち 白骨。




恩納ナベとともに女流歌人として有名な吉屋チルーを歌にしたもの。
吉屋チルーは、上述したが8歳のときに那覇仲島に遊女として身売りされ18歳で亡くなったといわれる。

歌があり、間奏で連ね(ちらに chirani)が歌われる。
連ね(ちらに)とは、歌、歌劇の中で琉歌を感情込めて詠むこと。
(よく 二曲つなげて歌う「ちらし」と間違われる)

吉屋チルーの代表的な歌に

及ばらんぬとめば思ひ増す鏡 影やちやうもうつち拝みぼしやの
'うゆばらんとぅみば 'うむいますかがみ かじやちょん'うちゅち'うがみぶしゃん
'uyubaraN yumiba 'umui masu kagami kaji ya choN 'uchushi 'ugami busjaN
(思いが)およばないと思うので思いがさらに増す鏡 面影さえ映してくれたら拝みたいのに

この歌の解説として、
「一代の名花よしやが仲里按司と恋仲であったことは平敷屋朝敏の『苔の下』物語によって有名である。しかし仲里按司には正妻があり、また身分もはるかに違うので、とうていその恋が成就するはずはない。よしやは遊女といいながら、心に染まぬ客は、片端からはねつけて会おうとしないから抱主には虐待されたこともあったようである。そこでその恋が、いかばかりか苦しい恋であったか、哀怨悲怨、気の毒極まりない女であった」
(琉歌大観 島袋盛敏)

経済的困窮により親に遊女へと売られ、恋の自由もうばわれた女流歌人の残した歌の数々は、みるものに深い同情を与える。

音源としては、「吉屋物語/姑がなし」(マルフクレコード)にある。



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