はじうすい坂

たる一

2012年05月27日 17:42

はじうすい坂
はじうすいびら
hajiusui bira
語句・はじうすいびら 東村の有銘にある坂の名前。隣村同士の男女が誤解のすえに自殺した場所とされる。「はじうすい」とは「恥」を「覆う」(うすゆん。うすいん)から来ている。


作詞;仲宗根幸市   作詞;普久原恒勇   唄;山里ユキ 


(連ね)野山越ぃる道や幾里ひじゃみてぃん 闇にただ一人忍でぃ行ちゅん
(ちらに) ぬやまくぃるみちや いくりふぃじゃみてぃん やみにただふぃちゅいしぬでぃいちゅん
(chirani) nuyama kwiru michi ya 'ikuri hwijamitiN yami ni tada hwichui shinudi 'ichuN
野山を越える道は何里離れていても闇の中ただ一人で忍んで行く
語句・くぃる 越える。 ・ふぃじゃみてぃん 隔てていても。<ふぃじゃみゆん 離れる。


源河山脇に あたら花散らち 一道なてぃ結ぶ 二人が情き
じんかやまわちに あたらはなちらち ちゅみちなてぃむしぶ たいがなさき
jiNka yama wachi ni 'atara hana chirachi chumichi nati mushibu tai ga nasaki
源河の山脇に一度しか咲かない花を散らして 一つの道になって結ばれる二人の愛
語句・じんか 名護市羽地村の源河。<じんかー。・あたら 「もったいない」「大切な」<あたらさん。 また、あったら。とも。 九州、宮崎でも「もったいない」ことを「あったれー」という。「新しい」とは違う。


哀り露果てぃてぃ 肌染だる所 道歩む人ぬ 枝小覆すてぃ
あわりちゆはてぃてぃ はだすだるとぅくる みちあゆむふぃとぅぬ いぇだぐゎうすてぃ
'awari chiyu hatiti hada sudaru tukuru chi 'ayuu hwitu nu yeda gwa 'usuti
哀れにも露のように命果てて ここは二人が肌を染めたところ 道歩む人は枝で覆う所
語句・うすてぃ<うすゆん。「かぶせる」「おさえる」など。


はじうすい坂に 咲ちゅる二人が花 一期いちまでぃん 沙汰ゆ残ち
はじうすいびらに さちゅるたいがはな いちぐいちまでぃん さたゆぬくち
hajiusui bira ni sacharu tai ga hana 'ichigu 'ichimadiN sata yu nukuchi
はじうすい坂に咲いている二人の花 いつまでも後世に噂を残して
語句・さた うわさ。・ を。文語表現。口語では目的格の助詞がない。

名護市の源河から東村の有銘に抜ける県道14号線に「はじうす坂」と呼ばれる場所がある。


「はじうすい坂」と呼ばれる由来はこういう話に基づいている。

要約すると昔、羽地源河の男と久志(現東村)有銘の女が約束をして出会う場所だったが、ある日女が行くと男はおらず、偶然その男が同じ村の女たちと遊んでいるのを目撃した。
絶望した女はその出会う場所で自殺した。遅れていった男はその惨状を見て絶望して又自殺した。それを見た村人が亡骸に木の枝を折ってかぶせた。また、この道を通る人はその坂に枝や葉を置いていかなければ安全に通行することができないと信じられていた。

この逸話の真偽を確かめる術は私にはないが、人々には深く信じられて、その名前がつき、葉や木を折って置いていく習慣は今でもあるという。

その話をテーマにこの唄がつくられたが、それほど昔ではなく1990年で、作詞されたのは、私もこのブログでは大変参考にさせていただいていた仲宗根幸市氏である。

仲宗根幸市氏は2012年4月22日に交通事故という不慮の死を遂げられた。

唄のすばらしさ、民衆が唄を愛することの意味を著作を通じていろいろと教えて頂いた。

その方が残されたこの唄もすばらしい名曲だと思う。

作曲は普久原恒勇氏であり、歌っていうのは山里ユキさんという、それぞれがそれぞれの分野のエキスパートの協力の賜物。

仲宗根幸市氏の追悼もかねて、この唄を取り上げさせていただいた。

なお、最初の「ちらね」(「ちらに」と読む)は、このはじうすい坂にある歌碑に「詠み人知らず」として掲示されている琉歌である。

(写真はいずれもMAGIさん撮影)


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