浜育ち
浜育ち
はますだち
hama sudachi
〇
浜育ち
一、
ヨー我んね 生まりうてぃてぃから ヨー我んね あんまー居らん かなしさよ
よーわんねー んまりうてぃてぃから よーわんねー あんまーうらん かなしさよ
yoo waNnee 'Nmariti kara yoo waNnee 'aNmaa uraN kanashisa yoo
〇
ねえ私は生まれ落ちてから ねえ私はお母さんが居ない 悲しいことよ
語句・
わんねー 私は。<わん 私。+ や は。このように私(わん)が助詞と融合して形が変化する例は、[わーが](私が)。[わったー](私たち)。[わんにん](私も)。など。
二、
悲しただ一人ぬ我った主 物見んだん 哀りさよ
かなしただちゅいぬわったすむぬんーだん 'あわりさよ
kanashi tada chui nu watta su munu NndaN 'awarisa yoo
〇
悲しくもただ一人の私のお父さんは物が見えない かわいそうに
語句・
んーだん 見えない。<んーじゅん。んじゅん。 見る。
三、
浜千鳥や 友連りてぃ遊ぶ ヨー千鳥 我んね 親連れて釣りどする
はまちじゅや どぅしちりてぃ 'あしぶ よーちじゅや わんねー 'うやちりてぃ ちりどぅする
hamachijuya ya duchi chiriti 'ashibu yoo chijuya ya waNnee 'uya chiriti chiri du suru
〇
浜千鳥は友達連れて遊ぶ ねえ千鳥よ 私は親連れて釣りをするだけ
語句・
ちりどぅする 釣りをするだけ。直訳では「釣りこそする」だが、「どぅ」の用法には行為を限定する(「・・しかしていない」「・・するだけ」)こともある。
四、
白波ぬ音ん ヨー我んね あんまー声とぅ思てぃ 我ね聞ちゅん
しらなみぬ'うとぅん よーわんねー あんまーくぃとぅむてぃ わねちちゅん
shiranami nu 'utuN yoo waNnee 'aNmaa kwi tumuti wane chichuN
〇
白波の音も ねえ私は お母さんの声だと思って私聞くの
語句・
くぃ 声。実際の発音は「くぃー」(kwii)。歌の中では「くぃ」と短縮されることが許される(詩的許容)。つまり一音節(kwi)となる。ヤマトゥンチュには難しい発音である。「く」と「き」の中間より「き」に近く聞える。
五、
朝夕白波ぬ ヨー音とぅ浜千鳥共に我ね暮らす
'あさゆしらなみぬ よー'うとぅとぅ はまちどぅり とぅむにわねくらす
'asayuu shiranami nu yoo 'utu tu hamachiduri tumu ni wane kurasu
〇
一日中白波の ねえ 音と浜千鳥と一緒に私は暮らす
誰がいつごろ作った歌なのか資料がない。
饒辺愛子さんのCD「決定版 肝がなさ節」に収録されている。
ネットで見ると、多くの歌手の方々が愛唱されている。
生まれた後母親がなくなり、父親は視覚障害がある。
海辺で育ち、浜千鳥と母親の声に聞える白波を友に淋しくくらしているのが「私」である。
三線は、一番、二番と微妙に工工四が異なっている。
琉歌形式ではなく、歌詞の長さがそれぞれ違う。
しかし、弾き歌ってみると情感も深く味わいが濃い。
饒辺愛子さんの歌も、情け深く、それを節々にうまく表現している。
「よー里前」という曲に歌いかえられて、全く別の歌詞(恋愛テーマ)になってもいる。
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