与那国のまや小

たる一

2007年01月14日 10:55

与那国のまや小
ゆなぐにぬまやーぐゎー
yunaguni nu mayaagwaa
与那国の猫ちゃん
語句・まやー 猫。<まやー。・ぐゎー ちゃん。小(ぐゎー)は、①小 まや小・・子猫。②愛称 まや小・・猫ちゃん。③強意 くーてん小・・ほんの少し。④卑小化 妻小・・かかあ。などの用法がある。話し手の気分で自由。したがって子猫でも猫ちゃんでも、猫の奴、といった意味の多様な取り方がある。



参考「八重山古典民謡工工四 下巻」(大濱安伴 編著)。「八重山古典音楽安室流保存会工工四全巻」。


一、与那国ぬ猫小 鼠だましぬ猫小 ハリ二才だましぬ やから 崎浜ヨー主ぬ前ハリ ヨーヌヨーシュヌマイハリ シターリヨーヌ ヨーヌヨーシュヌマイハリ
ゆなぐにぬ まやーぐゎー うやんちゅ だましぬ まやぐゎー (はり) にーさい だましぬ やから しきはま (よー)しゅぬまい
(はり よーぬよーしゅぬまいはり したーりよーぬ よーぬよーしゅぬまいはり)
yunaguni nu mayaa gwaa uyaNchu damashi nu mayaagwaa (hari)niisai damashi nu yakara sikihama (yoo)shu nu mai
(hari yoo nu yoo shu nu mai hari shitaari yoo nu yoo nu yoo shu nu mai hari)
〔囃子言葉は以下略〕
与那国の猫ちゃん ネズミをだます猫ちゃん 青年をだましたやつ 崎浜 お役人様
語句・ゆなぐに「与那国」 の呼称。「おもろそうし」(1600年頃)には「いにやくに」という表記が見られ、また1609年の薩摩侵攻後の検地で「与那国」の呼称が定着した。さらに古くは「米、砂」の意味がある「よね」(ゆな)から来ているという説もある。石垣島では「ゆのーん」と呼ぶ。地元与那国では「どぅなん」と発音する。与那国島ではよく「Y」が「D」に入れ替わる。・にーさい 青年。若者。沖縄語の「にーせー」。・やから やつ。やから。・うやんちゅ ネズミ。沖縄語では「うぇんちゅ」weNcu。・しきはま 「さきはま」と発音するものもある。「八重山島民謡誌」によれば、「租納『ダデク頂(チヂ)』の南の下にある濱のこと」とあるが地図で確認できなかった。・しゅぬまい 士族、役人、旦那様の敬称。沖縄語では「しゅぬめー」。


二、底ぬ家ぬ犬小とぅ中ぬ家ぬ猫小とぅきざん橋 行かゆてぃミャウてぃば ガウてぃばし
すくぬやーぬいんぐわとぅ なかぬやーぬ まやぐわとぅ きーざんばし いかゆてぃ みゃうてぃば がうてぃばし
suku nu yaa nu iNgwaa tu naka nu yaa nu mayaagwaa tu kiizaNbashi ikayuti myau tiiba gau tibashi
底の家の犬ちゃんと中の家の猫ちゃんと石橋で出会って(猫が)ミャウと言えば(犬が)ガウと言って
語句・いんぐゎー 犬。・きざんばし 石橋。石で段が作られた橋。「きざ」は「刻む」から。「きざばし」とも言う。「きざぬ橋」から「きざんばし」。「太陽の橋」(てぃーだんばし)という歌詞もある。「島うた紀行」では「太陽の当たる端」と訳してある。・いかゆてぃ 出逢って。沖縄語の「いちゃゆん」(出逢う)に対応。・てぃば といえば。<てぃ と。+いい+ば。


三、西からや大嶺主 東からや八重山主だ 真中から目かかぬとびきてぃ はいりきたんとん
いりからや うぶんみしゅ あーり からや やーましゅだ まんなかから みかかぬ とぅびきてぃ はいりきたんとん
iri kara ya ubuNmishuu aari kara ya yaamashu da maNnaka kara mikaka nu tubikiti hairikitaN toN

西からは大見役人が 東からは八重山役人だ 真中から 醜いものが飛んできて驚いて入ってしまったとさ
語句・いり 西。・あーり 東。沖縄語では「あがり」。・みかかぬ 醜いの。


四 大月と大太陽と上がる目や一つ 波座真の主と我との仲や一つ
うぶしきとぅ うぶてぃだとぅ あがるみや ぴーてぃーち はざまぬ しゅ とぅ ばんとぅぬなかや ぴーてぃーち
ubushiki tu ubutida tu agaru mi ya pitiichi hazama nu shu tu baN tu nu naka ya pitiichi
お月様と太陽と上がる目(道?場所?)は一つ 波座真の役人と私との仲は一つ
語句・うぶしき 大月。月の敬称、お月様。「しき」は「ちき」と歌う歌詞もある。・みー 「みー」には、目。穴。欠点。刻み目。境遇。順番を表す。中。間。実。命、運命。いっぱい。などの意味がある。「島うた紀行」では「場所」と訳してある。「運命」あたりがいいのではないだろうか。


五 大月ぬ欲しゃむぬ うしゃんぎどぅ欲しゃむぬ 波座真ぬ主ぬ欲しゃむぬ 女童欲しゃむぬ
うぶしきぬ ふしゃむぬ ふーたんぎ どぅ ふしゃむぬ はざまぬ しゅぬ ふしゃむぬ みやらび ふしゃむぬ
ubushiki nu husha munu huutaNgi du husha munu hazama nu shu nu husha munu miyarabi husha munu
お月様の欲しいものはウサギだけが欲しいもの 波座真の役人の欲しいものは娘だけが欲しいもの
語句・うしゃんぎ ウサギ。「ふたんぎ」と書いたものもある。・みやらび 娘。


六 八折屏風ぬ中なぎ 花染み手拭ば取り落とぅし うり取いが 名付き女童見舞いきたとん
やぶりべーぶ ぬ なかなぎ はなずみてぃさじ ば とぅりうとぅし うーりとぅいがなづぃきみやらび みまいきたんとぅん
yaburi beebu nu naka nagi hanazumitiisazi ba turi utushi naziki miyarabi mimaikitatoN
八折屏風の中に花染め手ぬぐいをわざと取り落として それを取るふりをして娘(を)見回りきている
語句・べーぶ 屏風。「びょーぶ」もある。・なじき 口実。言い訳。



(コメント)
先日の八重山民謡の「鳩間節」に続いての八重山民謡だが、与那国民謡。
「猫小節」(まやーぐゎーぶし)ともいう。

与那国島の東部、割目(ばるみ)という小字には、この歌碑がある。





歌碑は大川親雲上の墓の横にある。


▲大川親雲上の墓。

なぜここに歌碑があるのか、この歌碑に書かれている。

「その昔、与那国島に大川加仁と称する農夫がいた。 ある日のこと、 ウブンドゥ山で仕事をしていると、けたたましい猫の鳴き声が聞こえてきた。 駆けつけてみると小猫がヤシガニに足をはさまれて、穴の中に引きずり込まれるところであった。すかさず加仁がヤシガニから小猫を助け出すと、 小猫はなついて、 加仁と暮らすようになった。
この猫は利口で、鼠を捕るのが巧みであった。
その頃、首里王府の蔵では鼠が大発生し、 米俵が食い荒らされて非常に困っていた。対策に頭を悩ませていた王府は、 鼠を退治するのが上手な猫を徴用し、優秀な猫を献上した者には親雲上の位階を与えるとの布令を全島に発した。 そして、与那国島から選ばれたのが、 加仁の猫であった。 みごと一匹も残らず鼠を退治した猫の功績によって、 加仁は国王から親雲上の位階を賜った。 帰途の船中でうれしさのあまり謡ったのが、 この歌だと伝えられている。 しかし、 歌詞の内容は物語の猫とは全く縁遠いものに思われる。 往時の権力である役人の横暴とその社会の賄女制度の裏面を擬人体で謡っていることが考察される。与那国在藩宿舎の様相並びに役人と賄女等の関係の実態をあからさまに風刺した作と言えよう。」

参考:宮良保全 『遺稿集 与那国の民謡とくらし』

つまり、与那国には昔から伝わる大川という農民と猫との伝承があった。しかし、この「猫小節」の歌詞はそのことを詠ったものではなく、役人とその妾の横暴を猫にたとえたもの、というすこし複雑な関係であるということになる。








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