このブログを続けてきて、今日でやっと一年。明日から2年目に入る。
一年で162曲、まあ重なっている曲もあるので曲数とはいいがたいのだけど、一年365日としたら、3日に一曲以上のペースではある。
でも、そんなことはどうでもよく、私の歌三線の師匠やウチナーグチ研究の方法を学んだ師匠たちに感謝したい。
たくさんの方からのご意見、ご指摘もありがたい。
言語学は全くの素人であり、沖縄語もネイティブにはしゃべれない、どころか「広島弁」「変」といわれる。
後から見直して間違いも、所々あったり、あいまいな部分もある。
そうしたところで直せるところは今後も直し続けていきたい。
歌三線というものが、もう私の生活から切り離せなくなった以上、歌う歌の意味を知りたいという欲求は抑えようがない。
沖縄に住まない理由のひとつは、こういう欲求が沖縄に暮らすと失せてしまいそうな気がすることもある。
歌の意味を訳したからといって、歌が「理解」できたとはいえない。
少なくとも私が胤森さんから習った手法は、信用できる複数の辞書を使って多面的に語句を調べることだった。しかし、辞書も「首里語」中心であり、宮古・八重山方言はまったく別でもあり、各地の方言は射程外。
そして何より、辞書に載っている意味は一部の「反映」でしかないと最近よく感じるようになった。
たしかに辞書がなければ、動詞、形容詞の活用も固有名詞も暗闇の中であった。しかし歌に込めた民衆の「想い」や「願い」、「情け」は同じ語句であっても状況によって変わる。
そこまで訳そうとすると、もう主観が入る。
ブログにも書いたが、胤森さんからこんな話を聞いた。
「情けは人のためならず」はよくしられているように「情けはその人の為にするものではない」「情けはその人の為にはならない」と解釈されるが元々は前者の意味だった。後者は、あとから付け加えられたもの。
しかし、訳としては後者のほうが直訳に近い。
こういう風に同じ言葉が複数の意味を持つことが、短い詞の形式である琉歌でも興りやすいということは肝に銘じておかなくてはいけない。
一年、もっといろいろなことを学んだ。
今後一年、またぼちぼちと、細長く続けていきたいと思う。
誰のためでもなく、自分のために。
そしてそれが誰かのためになるならハッピーだ。
大好きな沖縄の歌と今後も長ーく付き合って行きたいものだ。