2014年12月22日

トウカニー節

トウカニー節
とーかにーぶし
tookanii bushi
語句・とーかにーぶし 不明。読み方は「とうかにー」なのか「とぅかにー」「とーかにー」なのか判別できない。だが、おそらく宮古民謡の「トーガニアヤグ」の「トーガニ」から来ているのではないかと思われる。「トーガニ」も意味は現在でも不明とされている。仲宗根幸市氏によれば「一説には『カニ』という唐(中国)帰りの美声の若者がうたいはじめたことからきているという。しかし、それだけでは疑問はつのるばかりである。タウガニ、トーガニ、トーガリ(ガレ)は語源的に未解明。」(「島うた紀行」第三集。仲宗根幸市編著)


唄・三線 多嘉良 朝成
(「沖縄民謡大全集」《四》より。)


一、あねるガジマル木ざぎどぅ いきばさち 石ば抱き ふどぅべいくよ うらとぅ我ぬとぅや うら抱きばぬ抱き ふどぅべいくよ
あねるがじまるぎざーぎどぅ いきばさち いしばだき ふどぅべーいくよ うらとぅばぬとぅや うらだき ばぬだき ふどぅべーいくよ
'aneru gajimarugi zaagidu 'ikibasachi 'ishi ba daki hudubee 'iku yoo 'ura tu banu tu ya 'ura daki banu daki hudubee 'iku yoo
そんなガジュマルの木でさえもこれから行く先、石を抱いて育っていくよ。貴方と私とは、貴方を抱き私を抱き、育っていくよ
語句・あねる「そんな。そのような。」【沖縄語辞典(国立国語研究所)】(以下【沖辞】と略す)。八重山語(「沖辞」には「八重山群島方言」とあるが、現在ユネスコでは、日本における「危機的言語」の八つのうち、ひとつは「八重山語」として、一つの独立した言語とみなしていることにに準じた表記にする。)ならば「あねーるぃ」。・ざーぎどぅ 〜でさえも。これは八重山語である。「ざーぎ」でさえ。+どう。こそ。強調の助詞。・ふどぅべー 「成長して。育って」。八重山語の「ふどぅびん」(成長する)から。ウチナーグチでは「ふどぅ うぃーゆん」と言う。・いくよ いくよ。大和語の「行く」か、八重山語の「いくん」の活用形から。ウチナーグチ(「いちゅん」の活用形)ではない。・うら 八重山語で「貴方」。・ばぬ 八重山語で「わたし」。



二、うらとぅ我ぬとぅや 天からぬ 御定みぬ 縁がやたら 前から見らばん 後から見らばん 夫婦なりばし
うらとぅばぬとぅや てぃんからぬ うさだみぬ いんがやたら まいからみらばん くしからみらばん みーとぅなりばし
'ura tu banu tu ya tiN kara nu 'usadaminu yiN ga yatara mai kara mirabaN kushi kara mirabaN miitu naribashi
お前と私とは天がお定めになった縁なのだろうか。前から見ても後ろから見ても夫婦であるよ
語句・うさだみ 「天命」【沖辞】。・まい 八重山語で「前」。ウチナーグチでは「めー」。・くし 後ろ。これはウチナーグチ。



三、沖縄から御状ぬ下りば 一筆啓上じょうたぬいきゆが スルバンぬ玉ゆはじきみたりば 三三が九ち
うちなーから ぐじょーぬくだりば いっぴつけいじょー じょーたいぬいきゆが するばんぬたまゆはじきみたりば さざんがくくぬち
'uchinaa kara gujoo nu kudariba 'ippitsukeijoo jootanu 'ikiyuga surubaN yu hajikimitariba sazaN ga kukunuchi
沖縄からお手紙がくれば一筆啓上(じょーたいぬいきゆがー不明)算盤の玉をはじいてみたら三三が九
語句・いっぴつけーじょー 大和語。その後もおそらく大和語の影響が強い。意味も掴みかねる。



「トウカニー節」はどこから

前々回は本島民謡の「あやぐ節」、そして前回は宮古民謡の「宮古のあやぐ」を見てきた。

本島民謡として歌われている「あやぐ節」(または「宮古のあやぐ」)は、どこから来たのか、どういう流れで海を渡ってきたのか、非常に興味がある。

その問題意識で探している時にこの曲に出会った。


「昭和戦前・戦後 黄金期の名人が甦る 沖縄民謡全集」(以下「全集」と略す。)という12枚組CDの中に収録されている「トウカニー節」である。

「全集」のライナーノーツにある解説を引用しておこう。

「八重山民謡の『トーガニスーザー節』を元に、歌詞の後半は沖縄本島方言に書き換えられ、見事なまでに昇華させた名優、多嘉良 朝成(たから ちょうせい)(1884年〜1944年)の歌声である。この歌は後に『沖縄本島のあやぐ』『新宮古節』『中城情話』『奥山の牡丹』等すべてこの曲がもと歌であり、広い意味では沖縄民謡の代表曲『ナークン ニー』もこの曲が源である。昭和5年頃の収録。」

この「トウカニー節」が「あやぐ節」だけでなく
「ナーク ンニー」「ナークニー」などの元歌というのである。

しかも八重山民謡の「トーガニスーザー節」(八重山では「トーガニシゥザ節」)を元に作り変えられたものだという。

実は上の歌詞の多くは八重山語が含まれていて、
歌詞も「トーガニシゥザ節」の歌詞とそっくりなのである。

トーガニシゥザ節との関係

この歌「トーガニシゥザ節」は後日とりあげるつもりなのだが、
手元にある、當山善堂『精選 八重山古典民謡集』にある歌詞のうち(三)と(四)がそっくりである。

(三)あねーりぅがじまる木ざーぎぃとぅ ぴにば下れー石ば抱き 育(ふどぅ)べー行くさー うらとぅばんとぅや うらだぎばぬだぎ育べーいからー

(四)貴方(うら)とぅ我(ば)んとぅやよ 天からどぅ夫婦なりで 標結い給れーる後(しー)から見りゃん前(まい)から見りゃん夫婦生りばしー

そっくりというより、八重山の「トーガニシゥザ節」を沖縄語読みになおしたもののようにさえ思える。

「あやぐ節」にでてくる「がじまる木」の下葉(気根)は八重山の「トーガニシゥザ節」にははっきりでてくるのに、「トウカニー節」では「いきばさち」という語句に置き換えられている。その理由はわからない。

一番では、

トーガニシゥザ 宮古の美しい島から産まれたトーガニシゥザは素晴らしい。沖縄から八重山まで流行っているトーガニシゥザよ

と宮古のトーガニを褒め称えている歌なのである。

つまり、宮古の「トーガニアヤグ」や「伊良部トーガニ」などがあり、そこから「トーガニシゥザ節」となり、そこから本島のこの「トウカニー節」が産まれた、あるいはそういう流れで変化してきたと考えることは自然だといえよう。

しかし、この「トウカニー節」が何時作られたものなのか、多嘉良 朝成氏ご自身が作られた(作り変えられた)ものかどうかは、わからない。(「演者」と書かれているだけで「作詞」などが書かれていない。)

それはわからないが、この「全集」に収録されている多嘉良 朝成氏のほかの歌を聴くとき、この方の才能の深さ、また八重山、宮古民謡などへの造詣の深さをうかがい知ることができる。

ネットのコトバンクを引用すれば

多嘉良 朝成
《職業俳優 音楽家(声楽)
生年月日明治17年
出身地沖縄県 那覇市首里
経歴明治40年「球陽座」に入り、後に「中座」に入る。大正5年の琉球新報主催の「俳優人気投票」では20人中の1位となる人気を得る。大正11年平良良勝らと「若葉団」を結成したが、間もなく解散。その後「新生劇団」を結成。大阪から映画の撮影技師を招き、沖縄芝居の「連鎖劇」などを作り、また沖縄民謡をレコードに吹き込むなど、沖縄芝居の向上に尽くした。昭和12年に舞台から引退する。野村流音楽協会の教師を兼ねて舞踊研究所も開き、後進の指導に当たった。歌劇の二枚目に出演し、喜劇俳優としても活躍した。
没年月日昭和19年 (1944年)
家族妻=多嘉良 カナ(民謡歌手)》(引用終わり)

またコトバンクに妻のカナ氏は、

多嘉良 カナ
《職業民謡歌手 女優
旧名・旧姓川平
生年月日明治32年
出身地沖縄県 平良市
経歴夫の多嘉良朝成と一座を率い、民謡歌手としてだけでなく沖縄歌劇の俳優としても活躍。東京・大阪などの国内から、朝鮮、台湾、ハワイ、アメリカ本土まで巡業を行ない、大阪のレコード店からレコードも出している。フランスのシャンソン歌手ダミアを引合いに“沖縄のダミア”ともよばれた。
没年月日昭和46年 (1971年)
家族夫=多嘉良 朝成(俳優)》(引用終わり)


「全集」で多嘉良 朝成氏は、「農民口説」、「百名節」、「伊集早作田節:中作田節」、「挽物口説」、「兼島節」(一名:伊良部トウガニー)、「歌劇 親アンマー」などの録音に参加している。

カナ氏は宮古島生まれということだけで、この「トウカニー節」が、宮古島の「トーガニアヤグ」、そしてそれが八重山につたわっての「トーガニシゥザ節」を元にして作り変えられた証拠にはならないが、それを強く示唆するものだろう。

ナークニーとの関連も含めて、とても興味深い。

次回は「トーガニシゥザ節」を見ることにする。



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Posted by たる一 at 15:59│Comments(2)た行沖縄本島
この記事へのコメント
とうがにー
とぅがりー
唐帰り

すーざー
しーじゃー
兄者
兄さん

トウガニースーザー
唐帰り兄さん

ではないでしょうか。
人称代名詞の一つとして親族名称を使っていると考えられます。

ごく最近まで狭いコミュニティにおいては「台湾げーい」「フィリピンやー」などと、その家の家長の体験を名称として使用している例があることから、当時唐まで行くというのが人生の一大イベントであったと考えられ、
唐から帰ってきた若者がもてはやされる光景を想像しました。

唐帰り(とうがえり)ならば「とうげーい」になりそうですが、そこは宮古風に変化したということで・・・
Posted by ねーみん☆ at 2015年01月26日 18:24
ねーみん☆さん、コメントありがとうござます。

謎は深まるばかりです。

「スーザ」については「トーガニー」http://taru.ti-da.net/e7158912.html
の一番のところでも書いておりますが、

「兄」という意味と、八重山語では「素晴らしい」という意味もあり後者に理解される方もいらっしゃいます。

「トーガニ」のほうは、おっしゃるように理解することも可能ですが、それを裏ずけるものがなにもないので、そういいきれません。

ナークニーがなぜ宮古根と書いたりするのかとも関係がありそうです。

また何か気づきやご指摘ありましたらよろしくお願いします。
Posted by たる一たる一 at 2015年01月27日 11:19
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