2005年11月07日

汗水節

汗水節
あしみじぶし
'ashimizi bushi
語句・あしみじ 汗水。

作詞 仲本稔 作曲 宮良長包


一、汗水ゆ流ち働ちゅる人ぬ心嬉しさや他所ぬ知ゆみ
(ユイヤサーサー)他所ぬ知ゆみ(シュラーヨー シュラーハタラカナ)

〔()の囃子言葉及び繰り返し、以下省略〕
あしみじゆながち はたらちゅるふぃとぅぬ くくるうりしさや ゆすぬしゆみ
ゆいやさーさー ゆすぬしゆみ しゅらーよー しゅらーよー しゅーらー はたらかな
'ashimizi yu nagachi hataracuru hwitunu kukuru 'urishisaya yusunu shiyumi
yuiya saasaa yusu nu shi yumi syuraa yoo syuraa syuraa hatarakana
汗水を流して働いている人が心嬉しい事はよその人は知るまい
(恋人よはたらきたいな)

語句・ を。文語的に使われる。・ゆす よそ。他人。・しゆみ 知るか? 疑問文だが、「知るまい」という反語。・しゅーらー 「しおらしい。かわいい。愛らしい。」【沖縄語辞典】。よく囃子言葉につかわれる。本来の意味を失って調子を合わせるだけの囃子もあるので、「恋人よ」という強い意味はない可能性もある。民謡などの囃子言葉に意味を求めないことを良しとする訳者もいる。この囃子は後からつけられたという話しもある。


二、一日に一厘 百日に五貫守てぃ損なるな昔言葉
いちにちにぐんじゅー ひゃくにちにぐくゎん まむてぃすくなるな んかしくとぅば
'ichinichi ni guNzuu hyakunichi ni gukwaN mamuti sukunaruna Nkashikutuba
一日に50文手にすれば百日に5貫貯まる 守って損ねるものではないぞ昔言葉(を)
語句・ぐんじゅー 50文の「50」を「ぐんじゅー」。なぜ一厘と書いて「ぐんじゅー」と読むか。廃藩前(琉球王朝時代)の鳩の目銭50文(50枚)が寛永銭1枚(一厘)に相当。それで、ぐんじゅー(50文)=一厘。ぐひゃく(500文)=一銭。ぐくわん(5貫)=10銭。という関係があった。・すくなるな 損ねるな。<すくなゆん 「そこなう。損ずる。こわす」【沖縄語辞典】。


三、朝夕働らちょてぃ積み立てぃる銭や 若松ぬ盛い年とぅ共に
あさゆうはたらちょーてぃちみたてぃるじんやわかまちぬむていとぅしとぅとぅむに
'asayuu hatarachooti chimitatiru ziNya wakamachinu muteei tusitutumuni
朝夕働いていて積み立てるお金は若松のように若々と栄える 重ねる年と共に
語句・むてい 栄えること。<むてーゆん 「栄える。繁栄する」【沖縄語辞典】


四、心若々とぅ 朝夕働きば 五、六十になてぃん はたちさらみ
くくるわかわかとぅ あさゆうはたらきば ぐるくじゅうになてぃん はたちさらみ
'kukuruwakawakatu asayuu hatarakiba gurukuzuu ni natiN hatachi sarami
心若々と 朝夕働くならば必ず 五、六十歳になっても 二十歳くらいの若さであろう
語句・はたらきば 働くなら必ず。<はたらちゅん 働く。已然形+「ば」=・・すると必ず。・さらみ であろうぞ。文語的。


五、寄ゆる年忘てぃ育てぃたる生し子 手墨学問や 広く知らし
ゆゆるとぅしわしてぃ すだてぃたるなしぐゎ てぃしみがくむんや ひるくしらし
yuyuru tushi washiti sudatitaru nashigwaa tishimigakumuN ya h(w)iruku shirashi
寄る年波も忘れて育てた我が子には 学問をさせ世の中を広く知らしめよ


六、御万人ぬ為ん 我が為とぅ思てぃ 百勇み勇でぃ尽しみしょり
うまんちゅぬたみん わがたみとぅうむてぃ むむいさみいさでぃちくしみしょり
umaNchu nu tamiN waga tami tu umuti mumu 'isami'isadi chikushimishoori
人々の為も自分の為だと思って 勇気百倍で人々に尽くしてください
語句・うまんちゅ 「[御真人・御万人]人民。一般の庶民。多くの人。万人」【沖縄語辞典】。多くの人々、くらいだろう。・むむ 「百、または、多くの・大いになどの意を表す接頭辞」【沖縄語辞典】勇気をたくさん、くらいの意味。勇気百倍と現代風に訳してみた。・いさみいさでぃ 勇んで、の強調。<いさみゆん 勇む。・ちくしみしょり お尽くしください。<ちくしゅん 尽くす。+ みしょーり <みせーん (なさる。される)の命令形。




(コメント)
作詞 仲本稔 作曲 宮良長包。

 「島うた紀行」(仲宗根幸市)によると1928年「沖縄県学務部社会課が貯蓄奨励民謡の歌詞を募集した」ことがきっかけで生まれた歌。勤倹貯蓄を進める新作民謡。

当時は大不況の真っ只中で、琉球列島はどこも「ソテツ地獄」といわれた時代。太平洋戦争に突入する直前の時代に生まれた。

シュラヨという囃子言葉は、あとからつけられたらしい。
八重瀬汗水節大会などがあり、今だに人気の高さを物語る。

当時具志頭郵便局の初代局長だった仲本稔が24歳の時に「勤倹力行の奨」という題名だったが宮良長包が作曲した際に「汗水節」と改名したようだ。

勤倹貯蓄だけでなく働くことのすばらしさ、子どもに教育をうけさせることの意義、人々のために働くことの意義が、当時の戦争に突入して行く時のスローガン(贅沢は敵だ、富国強兵など)と重なる部分もあるとみる向きもあるが、この歌詞を見る限り、そうした国家主義や戦争に傾斜して行く傾向を含んでいない。

宮良長包のリズミカルな曲調ともあわせ多くの人に愛され、教訓歌として今も歌い継がれている所以であろう。

ちなみに、2014年1月24日の沖縄タイムスに「汗水節最古の楽譜確認 元はゆったりした曲」という見出しで、最も古い楽譜が発見されたことが報じられている。

歌詞も一部今伝えられているものとは違う部分があるようだ。

いずれ確認してみたい。

2013年筆者は始めて、汗水節の歌碑を訪れた。
八重瀬町具志頭にある。





▲5番の歌詞が「老ゆる」となっていた部分が「寄ゆる」に訂正されている。比較的最近、修正されたようにみえる。






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Posted by たる一 at 22:04│Comments(4)あ行沖縄本島
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・メモ1先日の記事で紹介した「徐葆光と琉球」のシンポジウム、なんとこのブログを見て参加してくださった方がいて、当日の資料を送ってくださいました。この場を借りて、ありがとう...
メモメモメモ......φ(. . )【“蔡温時代”の探訪ノート】at 2006年04月14日 00:35
この記事へのコメント
初めまして、茶太郎と申します。
いつも興味深くブログを拝見しています。
私のブログで汗水節に触れる記事を書いたので、こちらに記事の中からのリンクとトラックバックをさせていただきました。
ご了承いただければ幸いです。
Posted by 茶太郎 at 2006年04月14日 00:36
茶太郎さん、ありがとうございます。
茶太郎さんのブログもまたゆっくり読ませていただきますね。
ご活用していただいて嬉しい限りです。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年04月14日 18:36
はじめましてどうぞよろしくお願い致します!
 沖縄県読谷村出身 ・・・ 現在:浦添市在住です!
Facebookで、「汗水節之碑」が話題になったので 貴殿の歌詞と意訳が,Bestと思い リンク貼らせていただきました!
 これからも宜しくお願いいたします!
Posted by たけ~! at 2016年08月16日 07:57
最高沖縄らしくてほんと素敵
Posted by 問題 at 2021年01月20日 11:25
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