赤田首里殿内

たる一

2005年12月27日 18:58

赤田首里殿内
'あかたしゅんどぅんち('あかたすんどぅんち)
'akata shuNduNchi


一、赤田首里殿内黄金灯篭下げて うりが明がりば弥勒御迎
'あかたしゅんどぅんちくがにどぅるさぎてぃ'うりが'あかがりばみるく'うんけー
'akatashuNduNchi kuganiduru sagiti 'uri ga 'akagariba miruku 'uNkee
赤田首里殿内に黄金の灯籠をつり下げて それが明るくなれば弥勒様をお迎え(豊年がくる)


二、東明がりばしみなれがしゆい かしら結いたぼり我親加那志
'あがり'あかがりば しみなれーがしゆい かしらゆてぃたぼーりわ'うやがなし
'agari 'akagariba shiminaree ga shiyui kashira yutitaboori wa'uyagamashi
東が明るくなれば勉強にいくでしょう 髪を結ってください 私の親御様


三、弥勒世の昔 くい戻ち今に御万人のまじり遊ぶ嬉しさ
みるくゆーぬんかしくいむどぅちなまに 'うまんちゅのまじり'あしぶ'うりしゃ
弥勒世(豊年の世)の昔をくい戻して今に 万人が皆遊ぶ嬉しさ

解説
(語句)
一、
・'あかたしゅんどぅんち 'akata(赤田)shuN(首里の)duNchi殿内 
首里は首里語で「しゅい」平民語では「すい」。
  「首里の」shui nu が短縮されて 「しゅんshuN」(または すんsuN)
この歌は「あかたすんどぅんち」とよく歌われる。
・みるく'うんけー miruku 'uNkee 弥勒神をお迎えする。
   'uNkee はもともと「お迎え omukai」が、おそらく
    ①三母音化(o→u)で「umukai」となり
    ②「mとnの入れ替え」で「uNukai」
    ③さらに「あい ai」が「長母音「ee」に変わり「uNukee」
    ④短縮して「uNkee」
    この変化の順番は私には定かではない。
    が、しかし、この四つの変化はウチナーグチの法則の大きなものなので是非覚えたい。
「みるくゆがふ miruku yuugafuu」という歌詞もある。
安波節にも同様の歌詞がある。

二、
・'あがり 'agari 東。西は'いり 'iri 太陽の「上がる」「入る」という動きからきている。
・しみなれーが shiminaree ga 学問しに 勉強しに
・しゆい siyui するでしょう  しゅんsjuN する の推量形
 しかし 学問するでしょう、ではあまりにも固い直訳なので
 「勉強にいくでしょう」

 「'いちゅい'ichui」行くでしょう。という歌詞もある。

・わ'うやがなし wa'uyaganashi 私の親御様
  いまどきは流行らない言葉だが(失礼)。
 「かなし 加那志kanashi」をつけて尊敬を表す。「しゅてぃんがなし 首里天加那志」は首里王朝を尊敬する語。 

三、
・くいむどぅち kuimuduchi くり戻し 
・まじり majiri みんなが すべてが



(コメント)
八重山民謡にも「弥勒節」があり、節がよく似ている。

一番以外はいろいろな歌詞で歌われる。

本島で歌われるこの「赤田首里殿内」は「シーヤープー」とも言われ、子どもをあやすときなどに手遊び歌としても歌われる。

つまり、そのハヤシ言葉は

シーヤープー シーヤープー 
ミーミンメー ミーミンメー(耳の眼mimiN mee)
イーユヌミー イーユヌミー(魚の目'iyu nu mii)
ヒージントー ヒージントー(肘の??hwijiN too)

この歌、「ホテルハイビスカス」でおじい役の登川誠仁氏が木の上で三線を引きながら歌う。

弥勒信仰については、仏教での釈迦につぐ有力な人物がこの弥勒らしい。50数億年後に現れて人々を救うらしい。

しかし、中国では実在の人物がこの弥勒の再来と言われた。それが布袋(ほてい)だ。
弥勒は美しい外観をしているが、この布袋はなぜかお腹で出て恰幅がよい。七福神といわれる架空の神の中で、唯一この布袋だけが実在だといわれる。
その布袋をモデルにして、沖縄では弥勒伝説が語られるのだ。
弥勒。ミルクと発音する。
エイサーでは「ムルクムナリ」が有名だが、その歌も弥勒伝説が元である。


              
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