親心

たる一

2020年02月05日 09:08

親心
うやぐくる
‘uya gukuru
親心


作詞・作曲 普久原朝喜
歌三線 山里ユキ


一、銭やこの世の廻りもの 難儀辛苦や世の習ひ 産子育てや世間の人並 育てる産子や万貫の宝
じんやくぬゆぬまわりむん なんじしんくやゆぬならゐ なしぐゎすだてぃやしきんぬちゅなみ すだてぃるなしぐゎやまんぐゎんぬたから
jiN ya kunuyu nu mawarimuN naNji shiNku ya yuu nu narai nashigwaa sudati ya shikiN nu chunami sudatiru nashigwaa ya maNgwaN nu takara
お金はこの世の廻りもの 苦労は世の中では当たり前だ 子育ては世間の人並み 育てる子どもは万貫(当時200円ほど。高額だった)に匹敵する宝
語句・じん 銭。・なしぐゎ自分が産んだ子ども。・まんぐゎん万貫。一貫は二銭だったから二百円になる。



二、產子育てることやれば 一時の苦労や塵どやる 産子育てや楽しみものさみ 産子育てやお国の為にも
なしぐゎすでぃるくとぅやりば いちじぬくろーやちりどぅやる なしぐゎすだてぃやたぬしみむんさみ なしぐゎすだてぃやうくにぬたみにん
nashigwa sudatiru kutu yariba ‘ichiji nu kuroo ya chiri du yaru nashigwa sudati ya tanushimimuNsami nashigwa sudati ya ‘ukuni nu taminiN
子どもを育てることであれば一時の苦労など塵ほどのものに過ぎない 子どもの成長は楽しみであろう 子育てはお国の為にも
語句・やりば 〜であるなら。・どぅやる 〜である。



三、何時が産子も物思て 親の苦労もわかて呉て 親に孝行もお国の為にも 尽ちょて呉ゆる宝の産子
いちがなしぐゎんむぬうむてぃ うやぬくろーんわかてぃくぃてぃ うやにこーこーんうくにぬたみにん ちくちょてぃくぃゆるたからぬなしぐゎ
‘ichi ga nashigwaN munu ‘umuti ‘uya nu kurooN wakati kwiti ‘uya ni kookooN ‘ukuni nu taminiN chikuchooti kwiyuru takara nu nashigwa
いつか子どもは考えるようになり 親の苦労が分かってくれて 親に孝行することをお国のためにも 尽くしてくれる宝の我が子
語句・いちが いつか。<いち。いつ。+が。疑問の助詞。



四、男の産子や墨習らち 女の産子や夫持たち 産子多さやお国の為にも お国の栄や臣下ど宝
ゐきがぬなしぐゎやしみならち ゐなぐぬなしぐゎやうとぅむたち なしぐゎうふさやうくにぬたみにん うくにぬさけーやしんかどぅたから
wikiga nu nashigwa ya shimi narachi winagu nu nashigwa ya utu mutachi nashigwa ‘uhusa ya ‘ukuni nu taminiN ‘ukuni nu sakee ya shiNka du takara
男の子は学問を習わせ、女の子には結婚させ 子どもの多さはお国のためにも お国の栄えは家族や仲間を宝とすることにある
語句・しみ 学問。<しみなれー。学問。・うとぅ夫。「音」も「うとぅ」だが、こちらは声門破裂音がある。・しんか仲間。「部下;〔転じて〕家族、仲間。」【琉球語辞典(半田一郎)】



(コメント)

三線教室の生徒の一人がこれをやりたい、と言ってきたので持っていたCD「山里ユキ特集」を改めて聴き、工工四も見つけた。




久しぶりの当ブログである。実は、これまでは電車通勤の時間などを活用して書いてきたが電車通勤もなくなり、「たるーの三線 ゆがふ家」という三線屋と「しまうた酒菜 ゆがふ家」という居酒屋を昨年立ち上げたのでブログにかける時間も取れず忙殺されていた。

それでも、このブログを読んでくださる方々が多いことを痛感することが最近よくあり、店の仕込みなどの休み時間を見つけて書いてみた。だがそれは所詮私ごとにすぎない話なので本題に入ろう。

作詞作曲は普久原朝喜(1903-1981)氏である。
ご存知のように朝喜氏は戦前戦中そして戦後の沖縄民謡を自分の作品と古典や民謡唄者の演奏を録音しレコード化することによって大きな貢献をされた方である。

作品には「入営出船の港」「浦波節」(「物知り節」ともいう)「移民小唄」「恨みの唄」「世宝節」「布哇節」「無情の唄」などがある。そしてこの「親心」である。

ウタの時代背景を色濃く反映したウタである。もちろん時代背景を反映しないウタなどないと思うが、特に戦時中は検閲という国家権力によるウタへの統制があったために、検閲をかなり意識したとみられるウタは多い。朝喜氏のこの「親心」もその一つだろう。そしてそれを軍国主義への協力と見ることは十分可能である。

「親心」は子育てをテーマに、子どもは宝である、だから親の苦労など大したことはない。子どもも成長すれば親に孝行する。国のためにも。男の子には勉強をさせ、女の子には良い結婚をさせることが国の為にもなる、何故ならば子どもたちが幸せになることが国の繁栄になるのだから。とうたう。

現在の目線で見れば明らかな男女差別、性差別を含んでいる。朝喜氏が戦後の沖縄民謡の復興にも大きな役割を果たされたことを踏まえても、このウタに含まれる軍国主義的、性差別的部分を看過することはできない。

それでもこの朝喜氏が検閲をも通過できるように歌詞を作った中に、ある工夫があると思うのは考えすぎだろうか。

それは二度も繰り返される「お国のためにも」の「も」である。おそらく激戦時期より前に作られたのではないか、と思えるほど「国の為に命を捧げよ!」的な表現はなく、男尊女卑的ではあるが子どもたちを大切にしよう、子育ては自分のためでもある、が「国のためでも」あるというロジックが許された時期のウタなのであろう。

最後の「お国の栄えは家族や仲間を宝とすることにある」。このような思想は「国の為に命を捧げよ」とした軍国主義の色濃い時代には決して許されなかったはずだ。






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