恩納ナビー

たる一

2019年07月10日 07:34

思納ナビー
うんな なびー
'uNna nabii
恩納村のナビー
語句・うんな 沖縄本島中部の地名、恩納村。・なびー 女性の名前。「鍋」の意味でつけられることが多かった。「恩納ナビー」は恩納村生まれのナビーということ。


作詞 西 泉 作曲 知名 定繁


(ツラネ)恩納岳あがた里が生れ島森ん押しぬきて此方なさな
うんなだきあがた さとぅがんまりじま むいんうしぬきてぃくがたなさな
'uNnadaki ’agata satu ga Nmarijima muiN ’ushinukiti kugata nasana
恩納岳の向こう側が愛する貴方の生まれた村 丘(恩納岳)も押しのけてあなたの村をこちら側にしたいよ
語句・うんなだき恩納岳。「たき」は拝所のある山のこと。・あがた「あっちの方。あちら側」沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)・んまりじま生まれた村。・むい「丘。山。」【沖辞】。「森」と当て字がしてあることが多いが「盛りあがった土地」のことを「むい」という。・くがた「こっち側。こっち」【沖辞】。・なさな<なしゅん。為す。+な。よう。「したいよ」。

一、恩納岳隔み自由ならん語れ恨で詩詠だる人ぬ昔 自由ならん吾が思い
うんなだきふぃじゃみ じゆならん かたれー うらでぃうたゆだるふぃとぅぬんかし じゆならんわがうむい
'uNnadaki hwijami jiyu naraN kataree 'uradi 'uta yudaru hwitu nu Nkashi jiyu naraN waa ga 'umui
恩納岳が貴方と私を隔てているので一緒にいることもままならない と恨んで歌を詠む人は昔の話だが恋がままならない 私の愛と同じ
語句・ふじゃみ隔て。・かたれー 「①仲間となること。仲間入りを約束すること。②男女の一緒になる約束。」【沖辞】。「語」が当て字になっていることがよくあるが、会話することに限らず「仲を深めること」。「味方」の「かた」に近いものがある。



(ツラネ)明日からぬ明後日 里が番上り滝ならす雨の降らなやしが
あちゃからぬあさてぃ さとぅがばんぬぶい たちならすあみぬふらなやしが
'acha karanu 'asati satu ga baN nubui tachi narasu 'ami nu hurana yashiga
3日後は貴方が首里に勤番で行く日 ひどい雨でも降って行けなくなればいいのに
語句・あちゃからぬあさてぃ直訳すれば「明日からの明後日」、つまり3日後。・ばんぬぶり 首里城での勤番に行くこと。・たちならすあみ 滝のような雨。・ふらな 降ってほしい。

二、至極降て呉りば 吾が思い叶て枕並びゆる 節ん有ゆら 吾が思い自由ならん
しぐくふてぃくぃりば わがうむい かなてぃまくらならびゆるしちんあゆら わがうむいじゆならん
shiguku hutikwiriba waga 'umui kanati makura narabiyuru shichiN 'ayura waga 'umui jiyunaraN
激しく雨が降ってくれたら私の思いが叶い 枕を並べる時もあるのだけれど 私の思いは自由にならない
語句・しぐく 「至極。ひどく。非常に。」



(ツラネ)姉べたや 良かてい シヌグしち遊で わした世になりば 御止みさりて
あにびたや ゆかてぃ しぬぐしちあしでぃ わしたゆになりば うとぅみさりてぃ
'anibita ya yukati shinugu shichi 'ashidi washitayuu ni nariba 'utumi sariti
姉さんたちは良かった シヌグで遊んで 私たちの時代になるとシヌグも禁止されて自由ならない私の思いは
語句・あにびた姉たち。・しぬぐ「農村で祭りの時、男女で行う舞踊。村の若い男女が神前の広場で入り乱れて踊る。儒教思想輸入により尚敬王時代に禁止されたことがある。」【沖辞】。

なぐさみん知らんシヌグ迄止みて はたち美童ぬ 肝ぬいたさ自由ならん吾が思い
なぐさみんしらん しぬぐまでぃとぅみてぃ はたちみやらびぬ ちむぬいたさ じゆならんわがうむい
nagusamiN shiraN shinugu madi tumiti hatachi miyarabinu chimu nu 'itasa jiyu naraN waga 'umui
慰めも知らず シヌグ遊びを禁止されて二十歳娘の心は痛いことだろう 自由にならない私の思い



(ツラネ)恩納松下に禁止の碑の立ちゅし恋忍ぶ迄の禁止や無さみ
うんなまちしたに ちじぬふぇぬたちゅし くいしぬぶまでぃぬ ちじや ねさみ
'uNna machi shita ni chiji nu hwee nu tachushi kui shinubu madi nu chiji ya neesami
恩納村の松の木の下に何かを禁止する御触書が立っている まさか恋の逢引までも禁止するお触れではないだろうね
語句・ちじ 禁止。・ふぇー 御触書。・ねさみないだろうか。

四、情ねん役人ぬ 恋ぬみち禁止てい山原ぬ花や何時が咲ちゅら我が思い自由ならん
なさきねん かみぬくいぬみちちじてぃ やんばるぬはなや いちがさちゅら わがうむいじゆならん
nasaki neeN Kami nu kui nu michi chijiti yaNbaru nu hana ya 'ichi ga sachura waga 'umui jiyu naraN
情けない役人が恋の道を禁止して山原の花は何時咲くだろうか 私の愛は自由にならない
語句・かみ いわゆる「お上」。


(たるーのコメント)

女流詩人として名が知られる「恩納ナビー」が詠ったとされる琉歌をツラネとし、知名定繁氏が作曲し、また補作詞をした。

ツラネとは「ツラニ」「ツィラニ」と発音するが、「①長歌 琉歌の長歌。②連歌。琉歌でふたり以上で読みつらねること。また、よみつらねた歌」【沖辞】である。琉歌のツラネには一定のメロディーがある。

知名定繁氏(1916-1993)は普久原朝喜氏などの影響を受け沖縄民謡歌手、作詞・作曲家としても沖縄民謡界の重鎮である。また宮廷音楽湛水流の研究や同箏曲譜などの編纂を行った。創作曲に「でぃぐぬの花」「門たんかー」「別れの煙」「嘆きの梅」などがある。

「恩納ナビー」は実在した明確な証拠はないが、18世紀前半に恩納村に生まれ、この曲のツラネになった琉歌を詠んだとされている。


▲ナビーの恩納村の生誕地にある石碑。「マッコウ家」とあるのはマッコウ(ハリツルマサキ)の木があった言い伝えがあり、「マッコウ ナビー」とも呼ばれていた。


▲琉歌「恩納松下に禁止の碑の立ちゅし恋忍ぶ迄の禁止や無さみ」を紹介した歌碑。


▲万座毛の駐車場にはいくつかの歌碑がある。
この曲に紹介された琉歌以外には
波の声もとまれ 風の声もとまれ 首里天がなし 美御機拝ま
(歌意)波の音も静まれ 風の音も静ま 首里の王様のお顔を拝見したい
という琉歌もある。

庶民に生れながら想いを自由に琉歌に乗せて、山をも動かし雨まで降らせようとする情熱的で力強いナビーという一人の娘の才能はこの「恩納ナビー」という曲で見事に現代に蘇っているようである。



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