行きゅんにゃ加那  (奄美民謡)

たる一

2009年11月24日 07:00

行きゅんにゃ加那
いきゅんにゃかな
ikyuNnya kana
行くのかい愛する人
語句・いきゅんにゃ 行くのかい? 「にゃ」は沖縄語の「なー」(軽い疑問)。

歌 西和美

(たとえば「きぃ」「ï」は中舌母音を表す)

一、行きゅんにゃ加那 わきゃくとぅ忘れて行きゅんにゃ加那 汝きゃくとぅ思ばや 行き苦しゃ スラ行き苦しゃ(スラ行き苦しゃ)
いきゅんにゃかな わきゃくとぅわすれて いきゅんにゃかな なきゃくとぅうめばや いきぐりしゃ すら いきぐりしゃ (すら いきぐりしゃ)
ikyuNnya kana wakyakutu wasurete ikyuNnya kana nakyakutu umiba ya iki gurisya sura ikigurisha (sura ikigrisha)
行くのかい?愛する人 私のこと忘れて行くのかい?愛する人 貴方のこと思えば行き難い スラ行き難い 
(以下 囃子は省略)


二、走りぃよ船 きぃぶしやまきゃまきゃ 走りぃよ船 わきゃ島かくりてぃ 雲ばかり すら雲ばかり
はりぃよふに きぃぶしや まきゃまきゃ はりぃよふに わきゃしまかくりてぃ くもばかり すらくもばかり
harU+EF yo huni kïbusha makya makya harï yo huni wakya shima kakuriti kumo bakari sura kumo bakari
走れよ船 煙巻き巻き走れよ船 私の故郷は隠れて雲ばかり 


三、目ぬさみぃてぃ ゆるやゆながとぅ みぃぬさみぃてぃなきゃくとぅうみぃばや にぃぶららんよ スラにぃぶららんど
みぃぬさみぃてぃ ゆるやゆながとぅ みぃぬさみぃてぃ なきゃくとぅうみぃばや にぃぶららんよ すらにぃぶららんど
mï nu samïti yuru ya yunagatu mï nu samïti nakyakutu umiba ya niburaraN yo sura niburaraN do
目が覚めて 夜は一晩中目が覚めて目が覚めて 貴方のこと思うと眠られないよ 
語句・ゆながとぅ 沖縄語の「ゆながた」(一晩中)に対応。 


四、戻てぃこよ うむかげたちゅんとき もどてぃこよ くてぃさやあたんてぃも わったい暮らそ スラ吾二人暮らそ
むどぅてぃくゆ うむかげたちゅんとぅき むどぅてぃくゆ くてぃさやあたんてぃむ わったいくらそ すら わったいくらそ
muduti ku yu umukage tachuNtuki muduti ku yu kutisa ya ataNtimu wattai kuraso sura wattai kuraso
戻って来いよ 面影浮かぶ時戻ってこいよ 苦しさがあっても二人くらそう
 
はじめて奄美民謡をとりあげる。

沖縄民謡に奄美民謡を含めるかどうかには議論があるが、方言の分類では議論なしに琉球方言のなかの「奄美・沖縄方言群」というひとまとまりに属する。

(▲「沖縄語辞典」を参考に筆者作成)

現在、行政区では鹿児島県に所属するが、言語、文化では琉球王朝の支配の影響を色濃くのこしている。

しかしウチナーグチとよばれる首里方言とは違い、奄美方言には母音に中舌母音が含まれる。この点では宮古・八重山方言と類似点がある。

また「島唄」(しまうた)という呼び方は本来奄美方言で「自分の生まれシマのうた」という意味を、近年沖縄の歌にも適用したもの。


今回は奄美民謡を代表する唄のひとつ「いきゅんにゃ加那」。

人の生き別れ、あるいは死に別れを歌ったものといわれる。

徳之島の民謡「取ったん金くゎ」、沖縄本島の「トゥータンカーニー」と同系列の唄だといわれる。

古くから「行きゅんにゃ加那」と呼ばれたのではなく昔は「いゆんめやんめ」だったという意見もある。(参考「しまうた半学」

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