あがろーざ節 (八重山民謡)

たる一

2008年09月14日 08:16

あがろーざ節
'あがろーざ ぶし
'agarooza bushï

《「'」は声門破裂音。「」、やか「ï」は中舌母音を表す。》


一、あがろーざぬんなかに ヤゥイ 登野城ぬんなかに ヤゥ ハリヌクガナ
'あがろーざぬ'んなかに よーい とぅぬすくぬ'んなかに よー はりぬくがな
'agarooza nu 'Nnaka ni yooi tunusuku nu 'Nnaka ni yoo hari nu kugana
東里村の真ん中に (囃子言葉) 登野城の真ん中に (囃子言葉)
(以下、囃子言葉省略)
語句・あがろーざ 「東里(あがりざと)村」という説があるがはっきりはしていない。 ・んなか 真ん中。 ・とぅぬすく 登野城。「石垣市旧四箇村の最も東の集落。かつては支庁、市役所などがあり、行政の中心地だった」【石垣方言辞典】(宮城信勇著)。・はりぬくがな 囃子言葉。「はりぬくが」と歌われる歌者もいる。


二、九年母木ば植べとぅーし 香さん木ばさしとぅーし
くにぶんぎば'いべとーし かばさんぎばさしとーし
kunibuNgi ba 'ibetooshi kabasaNgi ba sashitooshi
みかん(など柑橘類)の木を植えてあって 香り高い木が植えてあって
語句・くにぶんぎ 本島方言で「みかんなどの柑橘類の総称」。 石垣方言では「ふぬびゃーきー」という。・ を。 ・いべとーし 植えてあって。 <いびるん いびん 植える。 +し ・・して。 本島方言の「し」(「s(j)unの継続形qsiが弱まった形」(琉)」と同じ。多くの歌詞に「とぅーし」とあるが「とーし」と発音する。


三、九年母木ぬ下なか 香さん木ぬ下なか
くにぶんぎぬしたなか かばさんぎぬしたなか
kunibuNgi nu shïta naka kabasaNgi nu shïta naka
みかんの木の下に 香り高い木の下に
語句・なか に。本島方言の「なかい」と同義だと思われる。存在する場所を示している。


四、子守りゃ達ぬ揃るゆてぃ 抱ぐぃ姉達ぬゆらゆてぃ
ふぁむりゃだぬするゆてぃ だぎなだぬゆらてぃ
famuryada nu suruyuthi dagïnada nu yurati
子守り達が揃い寄って 子を抱くもの達が集まって
語句・ふぁむりゃ 子守り。<ふぁ<ふぁー 子。 + むりゃ<むりゃー 「むれー」とも言うが、「・・人」の意味の語尾を延ばす形(aa)かもしれない。・だぎ 子どもを抱くもの。「な」は「なー」(本島方言の「小」ぐゎーに相当)。「抱く」は「だぐん」。


五、子守りゃ達ぬ言葉ぬ 抱ぐぃ姉達ぬむにゃいぬ
ふぁむりゃだぬくとぅばぬ だぐなだぬむひゃいぬ
famuryada nu kutuba nu dagïnada nu munyai nu
子守り達の言葉は 子を抱くもの達の語ることは
語句・むにゃい語ること。 「むに」は「言葉」と同義。


六、腕ば痛み守りひゅうば かやば痛み抱ぎひゅうば
'うでぃばやみ むりひゅーば かやばやみだぎひゅーば
'udi ba yami murihuuba kaya ba yamidagi huuba
腕を痛むほど子守り(ひゅう・・不明)ので 手首を痛むほど子を抱き(不明)ので
語句・ひゅー 不明。


七、大人ゆなりとーり 高人ゆなりとーり
'うふぴとぅゆなりとーり たかぴとぅなりとーり
'uhupïtu yu naritoori takapïtu naritoori
大人になられよ 高い人になられよ
語句・なりとーり なられよ。 <なるん 成る。 連用形(1又は2)+ おーるん いらっしゃる。という補助動詞 命令形 おーり 


八、墨書上手なりとーり 筆取るぃ上手なりとーり
んかきじょーじなりとーり ふでぃとぅりじょーじなりとーり
shïNkakïjoojï naritoori hudïturïjoojï naritoori
筆達者になられよ 筆を取るのが上手になられよ
語句・んかきじょーじ 「筆達者。能筆。『筆書き上手』の意」(石)。本島の「墨」(しみ)=学問を意味するのと相似。筆書き上手=筆取る上手→筆達者→学問にすぐれた人。


九、沖縄旅受けおーり 美御前旅受けおーり
'うきなたび 'うけおーり みょまいたび'うけおーり
'ukïnatabï 'ukeoori myomaitabï 'ukeoori
沖縄本島への旅を お受けなさい 首里の王様への旅を お受けなさい
語句・うき 沖縄本島。当時の「沖縄」は本島のみを指している。 ・みょまい 首里の王様。王様への旅とは、首里王府に奉公すること。


十、月ぬ形買いおーり 星ぬ形買いおー
ぬかたかいおーり ふしぬかたかいおーり
chïkï nu kata kaioori hushï nu kata kaioori
月の模様(の服)を買いなされ 星の模様(の服)を買いなされ
語句・かた 模様。


十一、産しゃる親とぅゆまし 守りゃる姉名とぅらし
なしゃる'うやとぅゆまし むりゃる'あんまなとぅらし
nasharu 'uya tuyumashi muryaru 'aNma na turashi
生んでくれた親を有名にせよ 子守りしてくれた母の名を上げよ
語句・なしゃる 生んでくれた。 <なしん 産む。 ・とぅゆまし 世に鳴り響かせよ→有名にせよ。 <とぅゆましん 轟かせる。 命令形。 ・とぅらし 与えよ。取らせよ。 <とぅらしん 与える。取らせる。(石) 命令形。



八重山民謡。

この歌は1842年、「鷲の鳥」を作ったとされる大宜味信智が、大川の東の村(東里)の子守歌(ユンタ)をもとに工工四を発表したとされている。(「八重山民謡誌」)
しかし宮古島には「東里真中」(あがす゜ざとぅんなか)という歌があり、ルーツ論争がある。(「島うた紀行」)

ともに子守歌ではあるが、宮古の「東里真中」は、東里の真中に蜜柑の木を植え、それを念入りに育て大きく実らせてその下で守り育てたものが蜜柑玉で遊ぼう、というような内容。
こちらの「あがろーざ」では、蜜柑(九年母木)は子守の情景の一部で、その下での子守りをするものに、そだてた子どもが大人になり勉強に励み、首里に仕え、出世してお土産に綺麗な模様の服を買ってきて、親や子守りをしたものの名をあげよ、という内容。

メロディーは似ているというが、みなさんはどうであろうか。
工工四を弾いてみるが、あまり似ている感じがしない。
歌詞は共通点が多いが、上述したように観点が違う。
昔は同根であった歌が、時代と風土が違う中で変化したものなのだろうか。

いくつか疑問、問題点を列挙しておく。

歌者の間でも「ハリヌクガニ」と「ハリヌクガナ」の囃子言葉が違う。

また二番、「とぅーし」と書かれた歌詞ばかりだが、歌は多く「とーし」と聞える。

六番、「ひゅーば」の「ひゅー」は不明である。


しかし、ゆったりとした情のこもったみごとな八重山歌。
子どもへの夢も歌にこめられ、さぞかし子守の疲れも癒せる歌であったのだろう。



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