安里屋節 (八重山民謡)
安里屋節
'あさどーやーぶし
ぃ
'asadooyaa bush
i
語句・
あさどーやー 現在の石垣市竹富町にある「安里家」。屋号の読み方では「あさとぅやー 'asatuyaa」。歌では「あさどーやー」と濁る。石垣方言辞典には「あさどーや 'asadooya」とある。
一、
安里屋ぬ くやまに(ヤゥ) 目差主ぬ乞よたら(ヤゥ ウヤキ ヤゥヌユバナウレ)
'あさどやぬくやまに(よー) みざし
ぃしゅぬくよたら(よー 'うやき よーぬゆばなうれ)
asadooyaa nu kuyamani (yoo) mizash
ishu nu kuyotara (yoo 'uyaki yoo nu yubanaure)
○
安里家のクヤマに目差主(助役)が(賄いを)請われたら
語句・
くやま 実在したとされる。1722年生まれ、1797年に70才で亡くなった。16才(1738年)で村長にあたる与人の賄い方(現地妻)を勤めたとされる。・
みざしぃしゅ 首里が派遣した役職名、助役にあたる。・
くよたら 請われたら。<こーん 「?請う。求める。?嫁として申し込む。」(石)。実際には目差主がクヤマに、賄い方という名目の現地妻になるよう求めた。「こーん」の過去形「くいだ」→尊敬「くいよーだ」から「くよた」。また「くよだ」「くゆだ」と歌う歌詞もある。・
うやき よーぬゆばなうれ 故胤森弘さんからの遺言「囃子は手を出すな」があるので省略したい。よく「実り豊かな世に直れ」と訳したものを見る。もちろんそう訳せないこともないが、囃子言葉は時代的に歌詞本体より古いので難解である。
二、
目差主やばなんぱ 当りょう親やくれおいす
みざし
ぃしゅやばな'んぱ 'あたりょうややくれおいす
mizash
ishu ya bana 'Npa 'ataryouya ya kure 'oisu
○
目差主は私は嫌 与人は これ(私を)差し上げる
語句・
ばな 私は。<ばなー<ばなbana 私 + やya の融合。 ・
んぱ 嫌。・
あたるや 与親→与人親=首里が派遣した村長にあたる役職。目差主の上司。・
おいす 差し上げる。 < おいし
ぃん 'oish
iN 差し上げる。
三、
んぱてぃからみささみ べーるてぃからゆくさみ
'んぱてぃから みささみ べーるてぃから ゆくさみ
'Npa ti kara misasami beeru ti kara yukusami
○
嫌と言うならよろしいのだよ 駄目と言うなら良いのだよ
語句・
てぃ 辞書(石)には「てぃ」はなく、「で」(…と)はあり、また他の安里屋ユンタでは「で」と歌われているものがあるから古語的表現と思われる。 ・
から <からー …たら。…なら。 ・
みさ <みしゃーん よろしい。 ・
さみ 首里語の「さみ」(…なのだよ。…なんだよ。)と同じ。・
べーる 「拒絶の意志を表す。」(石) 。「駄目」と訳した。 ・
ゆく (石)には「別の、異なる」とあるが対語表現からすると「みさ」に対応する、「良い」を意味する「ゆか」の訛りではないだろうか。
四、
んぱてぃすぬみるみん べーるてぃすぬ しくみん
'んぱ てぃ すぬ みるみん べーる てぃ すぬ しくみん
'Npa ti sunu mirumiN beeru ti sunu shikumiN
○
嫌と言った人の目に見よとばかりに 駄目と言った人の耳に聞けとばかりに
語句・
すぬ <す 「事。物。人」(石)+ぬ の。 ・
みるみん 「目に見よとばかりに」(石)。・
しくむん 耳に聞けとばかりに。 <しき
ぃん 聞く。
さて、何回かにわけて、八重山を代表する超有名曲、安里屋ユンタ関係の歌をとりあげてみたい。
「安里屋」が付く歌をあげるとすれば、まずよく知られた「新安里屋ユンタ」(宮良長包作詞、星克作詞)があげられるだろう。
そして八重山民謡の「安里屋ユンタ」。節歌である「安里屋節」。それぞれの違いや特徴は最後にまとめたい。
たくさんの解説書もあり、かなり知られた歌であるが、頭を白紙にして、「石垣方言辞典」という名著(最近、吉川英治文学賞をうけている)を頼りに二百年以上まえから伝えられた歌に果敢に取り組んでみよう。
竹富島の「安里屋ユンタ」「安里屋節」は内容が共通している。シンプルに目差主を主人公にして、賄い方という名の「現地妻」になれとクヤマに要請するが、きっぱり断られる。上役の与人親には素直に従う。これは史実に基づく話らしい。
孫引きになるが「全国竹富文化協会」のホームページに「竹富島誌」(上勢頭亨)が紹介されていて、まとめると「クヤマは1722年に安里家で生まれ、1799年に亡くなった。クヤマが16才のときに地割制度のために首里王府から御検使役と八重山の頭役が竹富に来島したが、そのときの賄い方として美人のクヤマが選ばれた。与人役人と別れるとき三反二畝の畑をもらった。子供はいなかった」とある。ただ目差主の伝承はないようだ。
さて歌の主人公である目差主は、あえなく断られるが捨て台詞をはき、その後は…次回「安里屋ユンタ」の時に解説しよう。
実際はユンタのほうが古いと思われる。節歌はユンタを三線に載せるために作り直したものだ。何故「安里屋節」から?それはたまたまそちらが先に訳を着手したからという事情で…。
次回は竹富の安里屋ユンタを。
他の「安里屋ゆんた」などの解説のリンクは以下の通り。
1、
竹富島の安里屋ゆんた
2、
石垣島などの安里屋ゆんた
3、
八重山古典(節歌)としての安里屋節
4、琉球古典としての安里屋節(早弾き)
5、
新安里屋ゆんた
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