イラヨイ月夜浜

たる一

2006年11月19日 10:04

イラヨイ月夜浜
'いらよい [つきよ]はま
'irayoi [つきよ] hama
語句・いらよい 囃子言葉。


作詞 大島保克 作曲 比嘉栄昇

([]は大和口。なので発音は省略。唄は比嘉栄昇のものを採譜。)

一、唄者達の夜がふけ 踊者達の夜がふけ 太陽のあがるまで舞い遊ば イラヨイマーヌ舞い遊ば'うたしゃたーぬゆるが[ふけ] ぶどぅしゃたーぬゆるが[ふけ] てぃだぬ'あがるまでぃまい'あしば 'いらよいまーぬ まい'あしば
'utashataa nu yuru ga [ふけ] budushataa nu yuru ga [ふけ] tiida nu 'agarumadi mai 'ashiba 'irayoimaanu mai 'ashiba
唄者達の夜が更け、踊る者達の夜が更け、太陽があがるまで舞い遊びたい イラヨイマーヌ(囃子言葉 以下略) 舞い遊びたい
語句・ふけ 大和口。 沖縄口では ふき<ふきゆん(更ける)と発音する。・ぶどぅしゃ 八重山口で「踊るもの」。ウチナーグチでは「うどぅいしゃー」


二、月夜浜には花が咲く ゆりのような花が咲く 青く白くもえてよ イラヨイマーヌ花が咲く
[つきよはまにははながさく ゆりのようなはながさく あおくしろくもえてよ]いらよいまーぬ[はながさく]
月夜(の)浜には花が咲く ゆりのような花が咲く 青く白くもえてよ イラヨイマーヌ花が咲く


イラヨイマーヌ桃の花 イラヨイマーヌキビの花 イラヨイマーヌ木綿花 イラヨイマーヌ花が咲く
いらよいまーぬ とぅーぬはな いらよいまーぬきびぬはな いらよいまーぬむみんぱな いらよいまーぬ[はながさく]
'irayoimaanu tu nu hana 'irayoimaanu kibinuhana 'irayoimaanu mumiNpana 'irayoimaanu [はながさく]
桃の花 キビの花 木綿花 花が咲く
語句・とぅーぬはな 桃の花。比嘉栄昇はCDで、こう発音して歌っている。沖縄口では「むむぬはな」 沖縄口で桃は「とー」と発音する場合がある(「桃原」=とーばる)が、これは「とー」には「平ら」という意味があるからである。「車とーばる」(砂糖車が走る平坦な地面の比喩)「多幸山」) 八重山口ではどうか、私には不明。桃林地という仏教の寺が石垣島にあるが「とーりんじ」と発音するようである。・きび 沖縄口では「うーじ」。八重山では「きび」というのだろうか。「はな」は八重山口では「ぱな」。・むみんぱな 木綿花。沖縄口 「むみんばな」。八重山口では「はな hana」が「ぱな pana」である。


三、月ん灯ん波に受け戻し戻されくぬ浮き世 ヤマト世まで照らし給りイラヨイマーヌ照らし給り
[つき]ん'あかりんなみに[うけ] むどぅしむどぅさり くぬ'うちゆ やまとぅゆまでぃてぃらしたぼり いらよいまーぬてぃらしたぼり
[つき]N 'akariN nami ni [うけ] mudushi mudusari kunu 'uchiyuu yamatu yuu madi tirashi tabori 'irayoimaanu tirashitabori
月も灯りも波に受け 戻し戻されてこの浮世 ヤマト(の支配する)時代まで照らしてください。
語句・つきん 月も。「月」は八重山口では「つぃく」(「月のかいしゃ」)。沖縄口では「ちち」。比嘉栄昇は「つき」と発音。次の「ん」は「ぬ」がなまったものか?「月も灯りも」では意味が不明。「月の灯りも」ならば「ちちぬあかりん」。・やまとぅゆー 通常は「薩摩・幕府・日本政府」など本土の権力が沖縄を支配していた時代のことをいう。「あめりかーゆー」というのは戦後のアメリカ政府の支配していた時代。しかし、ここでは「時代」ではなく「世界」という意味が感じられる。


イラヨイマーヌ波にぬれ イラヨイマーヌ流されて イラヨイマーヌ照らされて イラヨイマーヌ流されて
[なみにぬれ][ながされて][てらされて][ながされて]
波に濡れ、流されて、照らされて、流されて


イラヨイマーヌ大和ぬ世、イラヨイマーヌ沖縄ぬ世 イラヨイマーヌ宮古ぬ世 イラヨイマーヌ八重山ぬ世  イラヨイマーヌ花が咲く
やまとぅぬゆー うきなーゆー みやくぬゆー やいまぬゆー  [はながさく]
yamatu nu yuu ukinaa nu yuu yaima nu yuu miyaku nu yuu
ヤマトの世界 沖縄の世界 宮古の世界 八重山の世界に花が咲く

共に八重山は石垣島出身の大島保克(作詞)、比嘉栄昇(BEGIN)(作曲)の作品。
メロディー、歌詞ともにヤマトンチュも魅了する見事な曲。
私個人も好きになり、よく唄わせていただいている。

歌詞は、沖縄口、八重山口に大和口も混ざる混合。
新良幸人のつくるファムレウタなどもそうだが、最近の新唄は、古い唄からの引用に大和口や自分の島(故郷)の言葉を織り交ぜたものが多い。
やはり、ヒットすることを意識し、ヤマトの世界にも受け入れられやすい言葉を使い、メロディーを混ぜて曲が作られているように思える。それも時代の流れだろう。

かつて沖縄民謡の隆盛も、八重山、宮古の民謡のメロディーを沖縄本島に持ってきて、自分たちの歌詞を乗せて盛り上がっている。
古典も、メロディーは八重山、宮古、奄美民謡生まれのものが多い。

そういう「混合」から新しいものが生まれてきたのが沖縄の芸能の強さの秘訣だと思う。

しかし、「島言葉」(しまくとぅば)が混乱していることも事実、それを嘆く人もすくなくない。そういうことも知っておいて、こういう歌も楽しむことは私達、大和人に必要な姿勢ではないだろうか。




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