下千鳥 6

たる一

2015年09月12日 14:36

下千鳥 6
語句・さぎちじゅやー 舞踊曲「浜千鳥」(俗称;ちじゅやー)をくずして、恋や人や世の中の無常さ、遂げられない思いを歌詞に載せて歌う。何故「下げ」(さぎ)とつくかには、「弾き始めが低い音からなので」とか「リズムがゆっくりだから」などいくつか説があるが明確ではない。三線の「弾き始め」を「浜千鳥」のように高い音からすることもある。人気曲である「ちじゅやー」は「南洋浜千鳥」や「遊びちじゅやー」などのように曲をアレンジして歌われることが多い。


唄三線 嘉手苅林昌
《CD 「BEFORE/AFTER」より筆者聞き取り》


一、誰ん姑びれや かんがまたあるい 我みぬ姑びれや かにん苦りさ うんじゅ引ち当てぃてぃ 愛さみそり
たるんしとぅびれや かんがまたあるい わみぬしとぅびれや かにんくりさ うんじゅひちあてぃてぃかさなみそり
taruN shitubiree ya kaN ga mata 'arui wami nu shitubiree ya kaniN kurisa 'uNzu hwi'atiti kanasa misoori
どなたも姑付き合いはこんなものだろうか 私の姑付き合いはこんなにも苦しい あなた(姑)はご自分に照らし合わせて私を可愛がってください
語句・しとぅびれー 「姑[しゅうとめ]との接しかた」【琉球語辞典(半田一郎)】(以下【琉辞】と略す)。びれー<ふぃれー。つきあい。交際。・かん こう。疑問を表す助詞「が」がついて、「こんなに〜か?」。・かにん こんなにも。・うんじゅ あなた。目上の人を指す。【琉辞】には「御[お]+み〔敬称〕+胴[duu]、すなわち‘御身’[おんみ]」が語源とある。・ふぃちあてぃてぃ 比べて。つまりここでは「ご自分の姑つきあいの時と比べてみて」・かなさみそり 可愛がってください。かなさ<かなさすん。愛する。+みそり<〜してください。敬語。



二、暮らさりる間や まじ暮らちなびさ 暮らさらんなりば 出じてぃ行ちゅさ ちりなさや 我みぬせるし様
くらさりゆいぇだや まじくらちなびさ くらさらんなりば んじてぃいちゅさ ちりなさや わみぬせるしじゃま
kurasariru yeda ya maji kurachinabiisa kurasaraN nariba 'Njiti 'ichu sa chirinasa ya wami nu seru kuru ya
暮らせる間は しばらくは暮らしますよ 暮らせなくなれば出て行くよ 切ないねえ 私のしているありさまは
語句・まじ 「しばらく」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)・ちりなさや 「つれ[情け]ない。」【琉辞】。下千鳥にはよく使われる語句。・しざま 「さま、ざま〔よくない[哀れな]ありさま〕」【琉辞】。これも下千鳥では常套句。



三、朝ま夕ま通ゆてぃ 慣りし面影ぬ たたぬ日や無さみ 塩屋ぬ煙 かわてぃ今日ぬ 夜半にあかしかにてぃ
あさまゆまかゆてぃ なりしうむかじぬ たたぬふぃやねさみ すやぬちむり かわてぃちゅぬ ゆふぁにあかしかにてぃ
'asama yuuma kayuti narishi 'umukaji nu tatanu hwi ya nesami suya nu chimuri kawati chuu nu yahwa ni 'akashi kaniti
朝も夜もいつも通って親しくなった面影はたたない日はないだろう 塩屋の煙のように いつにも増して今日の夜は過ごすのが辛い
語句・あさまゆま 朝も夜も。「あさゆさ」とも言う。・ねさみ ないだろう。・すやぬちぬり 「塩屋」は海水から塩を取るための小屋。海水を濃縮して焚いて塩を取る。毎日のようにその煙が立つことから。・かわてぃ 「特に、殊に['iruwakiti]」【琉辞】。「変わって」ではない。いつもとは違って、特に〜という時に使う。・ゆふぁ 夜半。夜中。「やふぁん」「ゆふぁん」「ゆわ」とも言う。



嘉手苅林昌先生の「下千鳥」。
歌うたびに歌詞が変わるので、
それを全部集めるとかなりの数のウタになるのだろう。

下千鳥は「悲恋」「別れ」をテーマにした歌詞が多い中で、
今回の一、二番は「姑つきあい」の難しさをうたっている。
でも三番では聴衆の期待に応えて「愛」がテーマ。
まあ姑つきあいというものも「愛」がベースにあるがゆえの悩みだ。

「うんじゅ ふぃちあてぃてぃ かなさみそり」
なかなかこの意味を理解するのに時間がかかった。

姑に言ったのかどうかはわからないが、「どうか、この苦しみをわかってください。あなたも姑つきあいの難しさはおわかりでしょう?ご自分がこうだったらどうするか、お考えください」と。

意味がわからず何ヶ月も悩んでいると、ある時、はっとすることがある。
その曲を聞いていてばかりではなく、テレビを見ていたり、電車のなかで
あ、そういうことだったのか!と思わず立ち上がって喜んでいたりする。

年配のウチナーンチュなら聞いてすぐにわかるのでしょうが。

三番は歌い終わると客席から掛け声がかかるほど人気のある歌詞。




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こんなことをこのブログでさせていただいてきて、来月で10年を迎えます。

「たるーの島唄まじめな研究」ももうすぐ次のステージに入っていけたらいいな、と思っています。

最初の勉強に大きな影響と勇気を下さった故胤森弘さんをはじめ多くのご意見を下さった皆さんに改め感謝します。





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