とーがにあやぐ

たる一

2015年03月17日 11:14

とうがにあやぐ
とーがにあやぐ
toogani 'ayagu
語句・とーがに 「トーガニアーグ、単にタウガニともいう。対語が『いちゅに(糸音)で、妙なる絹糸の音を意味する。妙なる唐の音という意味であろう。宮古の抒情的歌謡の一ジャンル名。不定形短詩形歌謡。奄美の島唄、沖縄の琉歌、八重山のトゥバラーマに相当する。』」《「宮古の歌謡」新里幸昭著 》(以下【歌謡】と省略。)
「とーがに」については不明。伝承では「中国から来たカニという青年」つまり「唐ガニ」からというのもある(「島うた紀行」第三集。仲宗根幸市編著)。「とぅーがに」 と発音される方もいるが「とーがに」であろう。・あやぐ 「あやぐ」は「美しい言葉」つまり「うた」。「[綾言〔あやごと〕美しく妙なる詞]あやぐ〔宮古島の伝統歌謡〕aaguとも;Toogani 'ayaguなど」【琉球語辞典】(半田一郎著)。



《歌詞の表記は「解説付(改訂版)宮古民謡集 平良重信著」を参考にした。》
《発音についてはCD「生命(いのち)燃えるうた 沖縄2001⑥宮古諸島編(2)八重山諸島編」の「トーガニ」国吉源次さんの音源を参考にした。 》



【御主が世】
(うしゅーがゆー)

大世照らし居す゜まてだだき国ぬ国々島ぬ島々 輝り上がり覆いよ 我がやぐみ御主が世や根岩どうだらよ
うぷゆーてぃら しゅーずぃ まてぃだだき くにぬ くにぐにすぃまぬ すぃまずぃま てぃりゃあがり うすいよ ばがやぐみ うしゅがゆーや にびしどぅだらよ
'upuyuu tirashuuzï matida daki kuni nu kuniguni shïmazïma tiryagari 'usui yoo baga ya gumi 'ushu ga yuu ya nibishi du dara yoo
大豊作を照らされておられる太陽のように国々や島々を照り上がって覆いください 私たちが恐れ多い御主のもたらす大豊饒は神聖な場所の岩のようなものだ
語句・うぷゆー 大豊作。「うふゆー」として【歌謡】には「大豊年。大豊作。『うふ』は大、『ゆー』は果報、幸、豊穣などの意味。『うぷゆー』ともいう。対語『てぃだゆー(太陽世)』」「ゆー」を「世」や「代」と当字をして「世界」とか「代(よ)」という意味に直結しがちだが、この「ゆー」は「豊穣。五穀豊穣だけでなく、人々のすべての幸せをさす。」【歌謡】という点に注意したい。・ 「ほんとうの、まことの、の意味を添える接頭美称辞。」【歌謡】。・てぃだ 太陽。本島の「てぃーだ」に対応。・だき 「〜のように」【歌謡】。・てぃりゃあがり (太陽が)照り上がり。宮古の民謡「子守唄」に「島うすいうい照りや上がり 国やうすい照り上がり」とあり、その子が成長して人々から尊敬される拝まれる存在になってほしい、という願いの表現にも使われる。「照り上がる」ものは「太陽」といいつつも、人々に幸せや五穀豊穣をもたらす「神」や「支配者」という意味と重ねることもできる。・やぐみ「恐れ多いこと。恐れ多い神。畏敬の神。」【歌謡】。・うしゅがゆー 支配者がもたらす豊穣、幸。上にも見たがあくまで人々に幸せをもたらす支配者という意味であり、「御主が世」や「御主が代」というような単なる支配者崇拝ではない。・にびし 「にびし」の「にー」は「植物の根」という意味で普通受け止められて、「根の生えた岩」(「宮古民謡集」平良重信)と訳されることが多い。それは間違いとは言えないが、「にー」とは「植物の根」以外の「元」(むとぅ)つまり「祖先」や「部落の最初の家」「移住する前の村」などの意味に使われることも少なくない。例えば歌で「にーぬしま」(根の島)とは「部落創始の時の村落。現村落に発展してきた以前の元部落。現在は神聖な祭場になっている」【歌謡】とあるように、神聖な場所を表す。「びし」は単なる「岩」ではなく「びしシ」(座石)「据え石、礎石」【歌謡】とあるように土台となる石である。したがって「神聖な場所にある岩」と理解したい。「とーがにあやぐ」では「結婚祝」の歌詞に「根岩」(にびし)と「根ぬ家」(にぬや)を対句としたものがある事も留意したい。



【宮古のあやぐ】
(みゃーくぬあやぐ、又は みゃーくぬあーぐ)

春ぬ梯梧ぬ花ぬ如ん 宮古ぬあやぐやすうに島 糸音ぬあてかぎりやよ 親国がみまい 下島がみまいとゆましみゅでぃよ
はるぬでいぐぬ ぱなぬにゃんみゃーくぬ あやぐやすにずぃま いちゅにーぬ あてぃかぎかりゃよ うやぐにがみまい すむずぃまがみまい とぅゆましみゅでぃよ
haru nu deigu nu pana nu nyaN myaaku nu 'ayagu ya sunizïma 'ichunii nu 'atikagikarya yoo 'uyaguni gamimai sumujïma gamimai tuyumashi myudi yoo
春のデイゴの花のように宮古の唄は 宗根島(宮古島の古い呼称)の唄はあまりにも美しいから 沖縄本島までも 八重山諸島までも響かせて(有名にして)みよう
語句・にゃん 如く。・いちゅに 「絹糸の音。妙なる調べ。『いちゅ』は絹糸、『に』は音色、調べ。対語『あやぐ(綾言)』」【歌謡】。・あてぃ とても。非常に。「あてぃぬ」について「あまりに。とても。」【歌謡】。・かぎ 「美しさ、立派さ」【歌謡】。・うやぐに 沖縄本島。首里王府のある島を指す。「うや」とは「父親。族長的な人物」【歌謡】を指す。・がみ 「副助詞『まで』」【歌謡】。・すむずぃま 八重山諸島。「すむやーま」は「八重山の離島、特に波照間をさす。」【歌謡】。・とぅゆまし 名声をあげて。鳴響いて。




【これまでの経緯】

昨年、「あやぐ節」にでてくる「仮屋」跡が那覇市内にあることを知り、そこを訪れた。

そして歌詞を調べるうちに、この「あやぐ節」という曲がどこから来ているのかに興味をもった。

このブログで「あやぐ節」、「宮古のあやぐ」と見ていくうちに、この歌の系譜が実は「ナークニー」や「とーがにあやぐ」などと深い関係にあることがわかってきた。

歌詞だけでなく音階にも、唄の構成にも深い共通性があることもわかってきた。

それで、「あやぐ節」、「宮古のあやぐ」に続いて、
本島の「トウカニー節」そして「トーガニー」、
八重山の「とーがにすぃざ節」
まで見てきた。

この後は、「宮古民謡中の名歌」(平良重信氏)とまでいわれる「とーがにあやぐ」を見るしかないのだが、古語を使ったこのあやぐの解説など自力でできるわけもない事に気付き、途方に暮れていた。

出会ったのが「宮古の歌謡」新里幸昭著である。

この本には宮古歌謡語辞典というものが付いている。

語り言葉としての宮古語辞典は他の辞書に比べ少ないとはいえ有るのではあるが、古謡には歯が立たない。

それで今回この本に大いにお世話になりながら「とーがにあやぐ」の歌詞を一部読み解いてみることにした。

【「御主が世」の「ゆー」の捉え方 】

「御主が世」という座開きなどで唄われる歌詞を見ると、宮古島の支配者や神を讃える歌という解説が多い

「ゆー」の捉え方には「豊穣。五穀豊穣だけでなく、人々のすべての幸せをさす。」と「宮古の歌謡」(新里幸昭著)の「宮古歌謡辞典」にある。

この点からこの歌の意味を捉え返すという必要性を強く感じた。

この「ゆー」の理解がないと、単なる「支配者崇拝」という理解に留まる。

人々の「願い」、「祈り」が太陽のように豊穣をもたらす支配者に望むことがウタとして昇華したものではないだろうか。


【根岩の解釈】

次に気になるキーワードは「根岩」(にびし)だ。

上の《語句》の所にも書いて繰り返しになるが、「にびし」の「にー」は「植物の根」という意味で普通受け止められて、「根の生えた岩」(「宮古民謡集」平良重信)と訳されることが多い。あるいは、根が絡みついた岩、というような理解が多く見られる。

それは間違いとは言えない。分かりやすさを重視し、比喩を具体的に用いようとすれば、そういう表現にもなるだろう。

ただ、「にー」とは「植物の根」以外の「元」(むとぅ)、つまり「祖先」や「部落の最初の家」「移住する前の村」などの意味に使われることも少なくない。

例えば歌で「にーぬしま」(根の島)とは「部落創始の時の村落。現村落に発展してきた以前の元部落。現在は神聖な祭場になっている」【歌謡】とあるように、神聖な場所を表す。

「びし」は単なる「岩」ではなく「びしシ」(座石)「据え石、礎石」【歌謡】とあるように土台となる石である。

したがって「神聖な場所にある岩」と理解したい。
人々の祖先が昔住み、今は聖地となった場所にある岩を指すのではないか。

次に見るように「とーがにあやぐ」で「結婚祝」で唄われる歌詞に「根岩」(にびし)と「根ぬ家」(にぬや)を対句としたものがある事はとても重要だと思う。

《結婚祝》
此ぬ大家や根岩ぬ如ん 昔からぬ あらうからぬ根ぬ家どぅやりやよ 夫婦根やふみ 島とぅなぎぱやからまちよ
(くぬうぷやーきーや にびしぬにゃん んけやんからぬ あらうからぬ にーぬやーどぅやりやよー みうとぅにーやふみすまとぅなぎぱやからまちよー)
この家柄は根岩の如く 昔からの あの世からの元々の家であるから 夫婦の元を大事にし島のある限り栄えてください

注意して頂きたいのは、「とーがにあやぐ」の「御主が世」のこれまでの解釈に私が反対意見を述べているわけではない。

宮古島に住む人々にとって「ゆー」の理解や「根岩」の使い方はいわば当たり前なのでくどくどと説明していないだけであろう。

むしろ私たちが宮古の古謡に体現された宮古の人々が昔から積み上げてきた力強い精神世界の豊かさをもっと勉強すべき、と感じるばかりである。


【とーがにあやぐの「宮古のあやぐ」】

春ぬ梯梧ぬ花ぬ如ん 宮古ぬあやぐやすうに島 糸音ぬあてかぎりやよ 親国がみまい 下島がみまいとゆましみゅでぃよ

という歌詞は八重山の「とーがにすぃざ節」の一番
とーがにすぃざ 宮古ぬ清ら島からどぅ 出でぃだる とーがにすぃざよ 沖縄から八重山迄ん流行りたる とーがにすぃざよ
に継承されている。
「春のデイゴ。。」は脱落しているが。

さらに本島で好んで今でも唄われている「トーガニー」にも
一、トーガニスーザーや 宮古ぬ美ら島から流行りるトーガニスーザーよ 沖縄ぬ先から宮古ぬ先までぃ流行りるトーガニスーザーよ
と継承されている。
ここでは「八重山」が「宮古」に変化しているのだが。

この歌詞の変化を見るとき

とーがにあやぐ→とーがにすぃざ節→トーガニー

という歌詞の継承と変化を感じるのは私だけだろうか。


これらの曲と唄のメロディーの共通性と変化についてはまた後にふれたい。

《参考文献》

▲「宮古の歌謡」新里幸昭著 。「宮古歌謡語辞典」が後半にある。
古謡に使われる言葉を集めたもので古謡の理解には非常に役に立つ。


▲「解説付き 宮古民謡集」 平良重信著。「宮古方言の手引き」も付いている。



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