辻千鳥

たる一

2018年07月18日 13:16

辻千鳥小
ちーじ ちじゅやー
chiiji chijuyaa
辻の千鳥節
語句・ちーじ 「[辻]那覇にあった遊郭の名。本土人・中国人・首里・那覇の上流人を相手とした高級な遊郭であった。那覇にはciizi,nakasima[中島],wataNzi[渡地]の三つの遊郭があり、ciiziが高級で、nakasimaは首里・中島相手、wataNziはいなか相手と、それぞれ、客の層が違っていた」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・ちじゅやー 小鳥を口語で「ちじゅい」と呼び、「浜千鳥」(はまちどぅり)という舞踊曲を俗に「ちじゅやー」と呼んだ。このウタはその「浜千鳥」を早弾き調に変え、辻の遊郭の尾類(女郎)をテーマにしている。「遊び千鳥」(あしび ちじゅやー)とも呼ばれることがある。


作詞 登川誠仁 (原曲は「浜千鳥」)


一、 尾類ぬ身や哀り 糸柳心 風ぬ押すままに靡ち行ちゅさ 無蔵ぬくぬ世界や かにん辛さ
じゅりぬみや あわり いとぅやなじぐくる かじぬうすままに なびち (なびち)いちゅさ んぞぬくぬしけや かにんちらさ
juri nu mii ya 'awari 'ituyanaji gukuru kaji nu 'usu mamani nabichi 'ichusa Nzo nu kunu shikee ya kaniN chirasa
(括弧の繰り返しは以下略す)
女郎の身は哀れなものだで糸柳のよう 風が吹くままなびいていくよ。貴女のこの世界はこんなにも辛いことよ。
語句・じゅり 「女郎。遊女。娼妓。歌も歌い、三味線も弾くので芸者を兼ねている。」【沖辞】。 ・いとぅやなじ 「糸柳。しだれ柳」【沖辞】。 ・ぐくる <くくる。心。「〜のように」と言いたい時に使う。 ・んぞ 「男が恋する女を親しんでいう語」【沖辞】。 ・かにん かようにも。



二、 枕数交わす 尾類ぬ身ややてぃん 情きある枝る頼てぃ 頼てぃ咲ちゅる 思るままならんくぬ世界や
まくらかじかわす じゅりぬ みややてぃん なさきある ゐだる たゆてぃ さちゅる うむるまま ならんくぬしけや
makura kaji kawasu juri nu mii ya yatiN nasaki 'aru yida ni tayuti sacyuru umurumama naraN kunu shikee ya
枕数交わす 尾類の身であっても 情けある枝だけを頼って咲く。思うままならないこの世界は。
語句・まくらかじかわす 多くの客と接する。 ・ こそ。「どぅ」と同じ。「d」と「r」が入れ替わることがよくある。



三、 稲ぬ穂んあらん 粟ぬ穂んあらん やかりゆむどぅやが かかい しがい 連りなさや 世界ぬなれや
んにぬふんあらん あわぬふんあらん やかりゆむ どぅやが かかい しがい ちりなさや しけぬなれや
'Nni nu huN 'araN 'awa nu huN 'araN yakari yumu duya ga kakai shigai chirinasa ya shikee nu naree ya
稲の穂ではない 粟の穂ではないのに ずうずうしい嫌な鳥が付きまとう。連れないことよ 世界にはつきものだ。
語句・やかり 「(接頭)ずうずうしいやつ、太いやつの意」【沖辞】。 ・ゆむ 「いやな」 「(接頭)罵詈・嫌悪の意を表す接頭辞。」【沖辞】。 ・どぅや <とぅい。鳥。 ・かかいしがい「うるさくつきまとうさま。まつえありつくさま」【沖辞】。・ちりなさや 連れないことよ!情けないことだなあ。 ・なれ<なれー。「習わし。習慣」【沖辞】。常にあること。



四 、 夕間暮とぅ連りてぃ立ちゅる面影や 島ぬ親兄弟ぬ想いびけい 我が儘ならん世界ぬなれや
ゆまんぐぃとぅ ちりてぃ たちゅる うむかじや しまぬうや ちょでーぬ うむいびけい
わがままんならんしけぬなれや
yumaNgwi tu chiriti tachuru 'umukaji ya shima nu 'uya choodee nu 'umui bikei waga mama naraN shikee nu naree ya
夕暮れと連れて 立つ面影は 故郷の親兄弟の想い 想いばかり。私のままにならない世界の常よ。
語句・ゆまんぐぃ 夕暮れ。



五、 我が胸ぬ内や枠ぬ糸心 繰い返し返しむぬゆ 思てぃ 無蔵ぬくぬ世界や かにん辛さ
わがんにぬうちや わくぬ いとぅぐくる くいかいし がいし むぬゆうむてぃ んぞぬくぬしけや かにんちらさ
waa ga Nni'uchi ya waku nu 'itugukuru kuikaishi gaishi munu yu 'umuti Nzo nu kunu shikee ya kaniN chirasa
私の胸の内は 枠に巻いた糸のようなもの 繰り返し繰り返し 物思いにふけっている。貴女のこの世界はこんなにも辛いものだ。
語句・ んに 胸。・わく 「籰(わく)。手で回しながら糸を巻きつける織具」【沖辞】。一旦綛(かせ、ウチナーグチで「かし」)に糸を巻いてから、枠(籰)という少し大きな器具に糸を巻き直していく。この時点でで糸の長さなどを測ることができる。・いとぅぐくる 糸と同じようなもの、という意味。 ・かにん こんなにも。強調。


登川誠仁さんのCD「STAND」に収録されている。


「浜千鳥節」(ちじゅやー)を早弾き調に変え、尾類(ジュリ)のあり方の悲哀と情念を切々と歌い上げる。「遊び千鳥」(あしびちじゅやー)と銘打った工工四も登川誠仁さんの工工四集にはある。

ジュリについては「さらうてぃ口説」の項にも少し解説を書いているが、ここにも載せておく。
琉球の文化にとってジュリ(女郎)の果たした役割を無視するわけにはいかないからである。

(「さらうてぃ口説」の筆者解説より)

恩納ナビーと並んで称される吉屋チルーという琉球時代の女流詩人は読谷に生まれ8歳のとき那覇仲島へ遊女として身売りされた。このように大半が地方の貧困層、つまり士族以外の平民の娘が身売りさせられた。女郎は琉球では「ジュリ」と呼ばれた。遊郭は自治制度があり女性だけで管理され、ジュリアンマー(女郎の抱え親)と呼ばれる人々が母子関係を結び、歌や三線、舞踊などの芸事を教えていった。

遊郭は各地にあったが、尚真王の時代、羽地朝秀(1617ー1675年)が1672年、辻、仲島に遊郭を公設した。背景には薩摩藩からの指示があったと推測されるが、遊郭の管理を王府として行う事で風紀の乱れを防止しようとした。そして琉球王朝が廃藩置県で沖縄県となり、太平洋戦争で米軍によって空襲を受けるまで辻、仲島の遊郭は存在し続けたのである。

沖縄語辞典(国立国語研究所編)には「辻」の項でこうある。

「[辻]那覇にあった遊郭の名。本土人・中国人・首里・那覇の上流人を相手とした高級な遊郭であった。那覇にはciizi,nakasima[中島],wataNzi[渡地]の三つの遊郭があり、ciiziが高級で、nakasimaは首里・中島相手、wataNziはいなか相手と、それぞれ、客の層が違っていた」

本土人とは主に薩摩藩の役人で、中国人とは冊封使のことである。それ以外、商人なども含まれる。遊郭で展開された琉球芸能は表に出ることがほとんどなく記録も非常に少ない。それでも琉球古典音楽や舞踊、さらには地方の祭祀や芸能も含め、琉球芸能の重要な部分を構成していたと言われている。琉球王朝の文化である古典音楽も含め遊郭の中で展開された芸能との関わりは無視できない。


▲「琉球交易港図屏風」(浦添市美術館蔵)に、18世紀頃の辻の遊郭とジュリの姿が描かれている。
鳥居の左横の村が辻村で、その周囲の派手な着物をまとった人々がジュリだ。この図屏風にはあちこちに薩摩藩の船や武士が描かれている。当時の関係の深さをうかがい知ることができる。
この絵図の解説はここに詳しい。




【このブログが本になりました!】


書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら

関連記事