宮古根~ハンタ原 (知名定男)
宮古根~ハンタ原
唄三線 知名定男
(宮古根)
一
(さー)唄もすら アバ小 しんじんとあびれ(ひゃー)なかちらす唄や聴ちもならん
(さー)'うたんすら 'あばぐわ しんじんとぅ'あびり (ひゃー) なかちらす'うたやちちんならん
'utaN sura 'abagwa shiNjiN tu 'abiri nakachirasu 'uta ya chichiN naraN
◯
唄もするなら 姉さん 静かに歌え 途中で切れる唄は聴けない
語句 参照 「
宮古根~ハンタ原 (普久原朝喜)」
二、
三線小ものいいなちしみち 傍に居るアバ小唄や知らに
さんしんぐわ むぬ'いいなち しみち (ひゃ) すばに うる 'あばぐわや 'うたやしらに
saNshiNgwa munu 'iinachi shimichi suba ni uru 'abagwa ya 'uta ya shirani
◯
三線(というものは)ものを言うこと(のように)弾いて 近くに居る姉さんは唄は知らないの?
語句 参照 「
宮古根~ハンタ原 (普久原朝喜)」
相違点は次の二つ ・
しみち させて <しみゆん させる ・
あばぐわ 姉さん
三、
東方唄小ちりちみの清らさ 西方の唄やながみ清らさ
あがりかた'うたぐわ ちりちみぬちゅらさ 'いりかたぬ'うたや ながみぢゅらさ
'agarikata 'utagwa chirichimi nu churasa 'irikata nu 'uta ya nagamijurasa
◯
東方(の)唄(は)ちりちみ(切り方?)が美しいことよ! 西方の唄は眺め(長め?)が美しいことよ!
語句 参照
「宮古根~ハンタ原」(嘉手苅林昌)」
ハンタ原
一
(スリサー)十七八居とて持つる夫(スーリ)やしが(ヒャー)タンメ頼るがきて今ど持つんで(チユイユイ ケユイユイ)
じゅうしちはち うとてぃ むちゅる うとぅ やしが たんめたるがきてぃ なまどぅむちゅんで
jushichihachi utoti muchuru utu yashiga taNme tarugakiti nama du muchuNde
◯
十七、八で持つ夫だが、おじいさん当てにして今持つのだよね
語句 ほとんど「
宮古根~はんた原 普久原朝喜」と同じ。普久原朝喜のは「十七、八」の「十」がどうしても聞きとれない。まさか「七、八歳で」ではないだろう。「七、八」人とお付き合いして、という意味か?喜納昌永の「
ハンタ原」も参照のこと。
二
ウケメぼろみかち ダッチョがさみかち カンダ葉のナマス今度はじみ
'うけめぼろみかち だっちょがさみかち かんだばぬなましくんどぅはじみ
'ukeme boromikachi daccho gasamikachi kaNdaba nu namashi kuNdu hajimi
◯
お粥ボロボロとして ラッキョウ ガサガサ(音)させて カンダ葉(芋の葉、茎)のナマス(を)今度初め(にしろ)
語句 ・
うけめ お粥 <'うけーめー ・
ぼろみかち ぼろぼろとして ぼろぼろと落として、の意味か? <ぼろ(擬音、態語だろう、辞書にない。擬音語では「どん doN」などのように、三母音化していない) +みかち<みかしゅん ・・という音を立てる の連用形。 ・
がさみかち ガサガサと音を立てて ・
くんどぅはじみ 今度初めにしろ、とも 今度初め とも訳せる。
三
今日や汝た天井小 明日や我た前のアサギんかい 恋のまどまどや語れ遊ば
ちゅや'いった てぃんじょぐわ 'あちゃ や わっためぬ 'あさぎんかい くいぬまどぅまどぅや かたれ'あしば
chu ya 'itta tiNjogwa 'acha ya watta me nu 'ashagiNkai kui nu madumadu ya katarebushanu
◯
今日はお前の家の天井(に) 明日はうちの離れに 恋の暇暇(に)は語って遊びたい
語句 参照「
宮古根~ハンタ原 嘉手苅林昌」
四
与那原の馬車小すんきわど歩む 屋比久自転車や乗りば走いしぇ
ゆなばるぬばさやすんきわどぅ'あゆむ やびくじてんさや ぬりばはいしぇ
yunabaru nu basa ya suNkiwa du 'ayumu yabiku jitiNsa ya nuriba haisye
◯
与那原の馬車は引っぱればこそ歩む 屋比久(の)自転車は乗れば走るのだよ
語句・参照
宮古根~ハンタ原 嘉手苅林昌
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ここをごらんのかたがたも少し飽きてきたのではないだろうか。
延々といろいろな宮古根、ハンタ原、山原汀間と、を調べている。
しかし、ハンタ原シリーズも終わりに近い。
というのも、最近の唄者で第一線にいる知名定男の「ハンタ原」は
上を見ていただければわかるように、これまでの唄者のものを組み合わせたもの。
つまり、先人たちの「ハンタ原」を組み合わせ、新しいものを創造する息吹が感じられる。
まったく新しいものは、古いものの中にこそある。
新しい道を探すものは古きものを探求せよ。
まさにそういわんとする宮古根、ハンタ原である。
収録は、沖永良部島、知名町で。
こちらで聞くことができる。
唄者としては、自分の宮古根などを持ちたいものである。
そのことを知名定男.は「ウチナーのうた」でこう述べているのが印象的だ。
「僕自身も完全に自分のものとして表現できる日を待ち焦がれているのだが、なかなか満足がいかない。
唄う度に、登川誠仁、嘉手苅林昌、山内昌徳という名人らの歌が聞えてきて
唄う気持ちがそがれてしまう。(中略)
だんだんと日々枯れていくであろう様を自分でも見定めながら、この歌を心から楽しんで歌うことができるよう
精進していきたい。」
この言葉に感銘を受けるのは私一人ではないだろう。
しかし、どんな名人も最初はそうだったのではないだろうかと、一瞬思いつつ
歌い続けること、それだけが「自分の宮古根」を唄う為の唯一の道であることは
間違いないだろう。
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