白保節 (八重山民謡)

たる一

2007年06月03日 08:36

白保節
しらふ ぶし
shirahu bushï
語句・石垣島の白保の歌。囃子由来の「ゆらてぃく」と題したものもある。

(ひらがなの下線「」、および「ï」は中舌母音)


一、白保村上なか弥勒世ば給られ (ゆらてーく ゆらてーく 踊り遊ば)
しらふむら 'ういなか みるくゆばたぼられ (ゆらてぃく ゆらてぃく 'うどぅり'あしば)
shirahu mura 'uinaka mirukuyu ba taborare (yuratiku yuratiku 'uduri 'ashiba)
白保村(の)上にミルク世(五穀豊穣)をくだされて (寄って来い 寄って来い 踊り遊ぼう)
語句・ういなか上に 「ういなが」という歌詞もある。八重山民謡には、地名+ういなか(鶴亀節)、後(くし)なか(くいなユンタ)、側(すば)なか、など位置関係を示す語句のあとに「・・において」を意味する「なか」を続ける歌が多い。「鷲の鳥」で「中なんが」「内なんが」とあり、「なんが」→「なか」「なが」と変化したのではないだろうか。「上(うい)」は(石垣方言辞典 以下(石)と略す)①空間の上②身分③優劣、とあるが、八重山諸島では「下八重山」というように石垣島を「上」、ほかを「下」と表現したり、農民の住む場所を「上」、士族が住む海岸を「下」という場合もある。・ゆらてぃく寄って来い 囃子言葉


二、稲粟の稔り常にゆいん勝らし
'いに'あわぬなうり つにゆいんまさらし
'ini 'awa nu nauri tsïni yuiN masarashi
稲粟の稔(みの)りは常よりも勝り
語句・なうり 直接この語句は(石)にはなかった。のーるん、なるん という「みのる」という意味の語句はある。古語か?・まさらし勝り <まさるん 勝れる(石)


三、首里天加那志御物 御残いぬ稲粟
すんじゃなし みむぬ 'うぬくい ぬ 'いに'あわ
suNjanashi mimunu 'unukui nu 'ini'awa
首里の王様(の)御物 御残りの稲粟(で)
語句・すんじゃなし首里の王様 <'うしゅんがなし (石)・みむぬ御物 首里王朝に「献上」する人頭税にあたるもの。


四、泡盛んまらしょうり うんしゃぐん作りょうり
'あわむりんまらしょーり 'うんしゃぐん ちくりょーり
'awamurïN marashoori 'uNshaguN chïkuryoori
泡盛も作られて 神酒も作られて
語句・まらしょーり参考 鷲の鳥うんしゃぐ神酒 (石)には みし みしゃぐ うみし うみしゃぐ があげられていて、この「うんしゃぐん」はないが、おそらく「うん」<「うみ」。・ちぃくりょーり作られて ちくるん 作るの敬語


五、真謝ぬ主ばつかいし 目差主ばつかいし
まじゃぬしゅばつかいし みざししゅばつかいし
maja nu shu ba tsïkaishi mizashïshu ba tsïkaishi
真謝の役人を仕(つか)えて 目差主を仕えて
語句・を (石)には「強調を表す」場合もあるとある。・つぃかいし仕えて <つぃかでぃん つぃかでぃるん 仕える 
(コメント)
石垣島白保村に伝わる唄。
本島でも民謡、舞踊などで使われる。
琉球王朝から課せられた厳しい人頭税のもと、豊作を祈願しつつ「上納」された残りで泡盛を作って村民と役人が一緒にお祝いをしましょうという内容。
「宮良当演(1775~1831)が真謝目差を勤めていた1797年頃つくったものという」(島うた紀行)

厳しい自然環境や厳しい租税であればあるほど、豊作への祈りも強く、また囃子言葉に示されているように人々の結束と芸能へのエネルギーが投影された曲だといえる。

参考までに「島うた紀行」には

五、 真謝ぬ主ばちかし 目差主ば御供し (真謝の主をお招きし 目差主をお供して)
六、上かい持ち祝す 下かい持ち賀いす  (北と南の村民も呼んでお祝いしましょう)
七、夜の七日祝す 昼の百日賀いす (夜は一週間もお祝いをし 昼は百日(長く)もお祝いします)

とある。


▲真謝井戸。(2014年2月筆者撮影)


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