デンサー節 (本島民謡)
デンサー節 (本島民謡)
でんさーぶし
deNsaa bushi
語句・
でん「げに」「実に」男の年寄りが使用する八重山口・
さー「さ」「よ」八重山口。この歌は八重山の「でんさー節」を元に本島の言葉で作り直したもの。「でんさー」は「まことによ」くらいの意味。
一、デンサー節作て童ん達に詠まち世間の戒み なゆしど我んね願ゆる(デンサー)
でんさーぶしちゅくてぃ わらびんちゃーにゆまち しきんぬ'いましみ なゆしどぅ わんねにがゆる(でんさー)
deNsaa bushi chukuti warabiNchaa ni yumachi shikiN nu 'imashimi nayushi du waNnee nigayuru (deNsaa)
○
デンサー節を作って子どもたちに詠ませ(歌わせ)世間の戒め(を)できるようにすること私は願っている(まことによ)
(以下囃子は略す)
語句・
なゆしできるようにすること<なゆん(なる、出来る)+し(動詞を名詞化する。・・すること)
二、かわ油断する女 道油断する女 うりからど夫も油断しみゆる
かわゆだんするういなぐ みちゆだんするういなぐ 'うりからどぅ うとぅん ゆだんしみゆる
kawa yudaN suru winagu michi yudaN suru winagu 'urikara du utuN yudaN shimiyuru
○
井戸(を)油断する女 道(を)油断する女 それから夫も油断させるのだ
語句・
かわ井戸の文語。「かー」とも。「川」は「かーら」。・
しみゆるさせる<しみゆん の連体形(どぅ、との係り結び)・
うとぅ夫。発音に注意。「う」が声門破裂音ではない。「うとぅ」は「夫」。「'うとぅ」は「音」発音で区別する。
三、夫や家の中柱 女や家の鏡 黒木柱と鏡や 家内のすなわい
うとぅややーぬなかばしら うぃなぐややーぬかがん くるきばしらとぅかがんや ちねーぬすなわい
utu ya yaa nu nakabashira winagu ya yaa nu kagaN kuruki bashira tu kagaN ya chinee nu sunawai
○
夫は家の中柱 女は家の鏡 黒木柱と鏡は家庭の備え
語句・
ちねー家庭・
すなわい備え
四、艫高船や島とらん 肝高女や家持たん どくの肝高さ はいにるくるぶる
とぅむだかふにや しまとぅらん ちむだかうぃなぐや やーむたん どぅく ぬ ちむだかさ はいにる(
どぅ)くるぶる
tumu daka huni ya shima turaN chimudaka winagu ya yaa mutaN duku nu chimudakasa hai ni ru(du) kuruburu
○
船尾(艫)が高い船は島に着けない 気高い女は家もてあそび ひどく気高いのは 走ってころぶようなものだ
語句・
とぅむ船の船尾・
とぅらん着かない <とぅゆん 船が港に着く の否定・
ちむだか気高い <ちむだかさん 高慢な 気高い・
むたんもてあそび もてあそぶこと 「むちゅん」(持たない、維持しない)ではないことに注意。
五、物言らばつぃつぃしみよ 口の外出ぢゃすなよ 出ぢゃち後からや 呑みやならぬ
むぬ'いらばちちしみよ くちぬふか'んじゃすなよ 'んじゃち'あとぅから ぬみやならん
munu 'iraba chichishimi yo kuchi nu huka 'Njyasuna yo 'Njachi 'atu kara numi ya naraN
○
物を言うなら つつしめよ 口の外に出すなよ 出た後から飲むことはできない
語句・
ちちしみ慎め <ちちしぬん、ちちしむん 慎む の命令形
(コメント)
デンサー節、といえば八重山民謡だがこれは本島の「デンサー節」
イサヘイヨーのちらしの「
デンサー節」とは歌詞が違う。
あれは恋の歌。
本島の人々は、これすらも本島の言葉、曲調に変え、芝居に舞台に楽しむ。
内容は、どちらも教訓歌。
後日、八重山の「デンサー節」も取り上げる予定なので比較してみると面白い。
上の五番は八重山の「デンサー節」にもそっくりある。
「でんさー」とは、八重山の男の年寄りが言う言葉で「げに」「実に」「誠に」という意味の「でん」に「さー」という「さ」「よ」という意味の言葉がくっついている。
「実にそうであるよ」とか「まったくそうだよ」という共感の歌、ということになろうか。
本島にも「ジントーヨー節」というものがあるが、「順当」からきたという、「そうだよねえ」「まったくだ」という共感をあらわす意味では同じ。
こういう共感をあらわす民謡は沖縄だけでなく、本土にも多い。
デンサー節の内容をみてすべて納得できる「規範」というわけではない。
しかし、社会の「規範」を示して、歌とし、年寄りが若いものに歌って聞かせる。
そういう関係は、もう今すたれてしまった。「歌」という文化が、人々のひとつのよりどころになっていた時代が過去にあったのだ。
それを知るだけでも私たちにはいい「教訓」だと思う。
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