今帰仁ミャークニー (4/5)

たる一

2016年07月07日 14:31

今帰仁ミャークニー
なちじん みゃーくにー
nachijiN myaakunii
今帰仁のミャークニー(宮古の音)
語句・なちじん 現在の沖縄県国頭郡今帰仁村を指す。琉球王朝時代の17世紀の頃、今帰仁間切はほぼ本部半島全域だったが18世紀の初めに本部間切と今帰仁間切に分離された。

歌詞参考;「今帰仁ミャークニー歌詞選集」(作成・記録 平成二十五年五月 平良哲男氏)より。


古宇利ぬ前ぬ黒潮 渡ららん黒潮 七つ橋かけてぃ 渡ちたぼり
くいぬめーぬくるす わたららんくるしゅ ななちばしかきてぃ わたちたぼり
kui nu mee nu kurusu watararaN kurusyu nanachibashi kakiti watachi taboori
古宇利島の前の黒潮(大海の黒い潮)は船で渡ることができない黒潮だ だからたくさんの橋(船橋のことだろう)をかけて渡らせてください
語句・くい古宇利島の古称。「ふい」ともいう。・くるしゅ 「くるす」とも言う。「黒潮。大海の潮の黒く見えるもの」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・ななち 具体的に数字の「七」を表すというよりは「たくさんの」という意味合いも含まれる。例えば「ななまかい」(何回もお代わりすること)。「ななまがい」(たくさん曲がりくねっていること)など。・ 「船の橋」のことであろう。船を横に並べて上に板を乗せて人が渡る。現在は古宇利大橋が架けられている。



いちゅび小ーにふりて 謝名前坂通て 通て珍しや シカぬ鰻
いちゅびぐゎーにふりてぃ じゃなめーんびゃーかゆてぃ かゆてぃみじらしや しかーぬんなじ
'ichubi gwaa ni huriti janameeN byaa kayuti kayuri mijirashi ya shikaa nu 'Nnaji
いちご(のような人)に惚れて謝名の前の坂を通って その時に見たシカー(湧き水)に住むうなぎの珍しいことよ
語句・いちゅびぐゎー 普通は「いちご」だが歌では擬人化されることが多い。・ふりてぃ 惚れて。<ふりゆん。ふりいん。ちなみに「気がふれる」も同じ発音。・びゃー 坂。ウチナーグチでは「ふぃら」。今帰仁言葉では「ぴゃー」。連濁で「びゃー」。・しかー 今帰仁の謝名にある湧き水。特に神聖とされ正月に最初に汲む「若水」(わかみじ)や、産湯に使われてきた。・んなじ 鰻のこと。



ソーリ川ぬ水や 岩かみて湧い 玉城女童ぬ 身持ち美らさ
そーりがーぬみじや いわかみてぃわちゅい たもーしみやらびぬ みむちじゅらさ
soorigaa nu miji ya 'iwa kamiti wachui tamooshi miyarabi nu mimuchi jurasa
ソーリガー(湧き水)の水は岩の下から湧いている。玉城の娘の品行の清らかさのように
語句・がー <かー。井戸。湧き水。ソーリガーは玉城にある。玉城は「岸本・玉城・寒水の三つの村(ムラ)が合併してできた字(アザ)である」。そのうちの寒水だった村にある。「今帰仁方言データベース」によると『字玉城にある泉の名。清水井の意。ソーヂは清水。「寒水」の字を当てた。』とある。ソージガーがソーリガーと変化したのだろう。



今帰仁ぬ城 登て眺みりば 城石垣や(ぬ) 昔かたて
なちじんぬぐしく ぬぶてぃながみりば ぐしくいちがちや んかしかたてぃ
nachijiN nu gushiku nubuti nagamiriba gushiku 'ishigachi ya Nkashi katati
今帰仁のお城に登って眺めると城の石垣は昔を語っているようだ
語句・ぐしく 城。



親川上登て ハンタ石道ん 登て行く先や 城てむぬ
うぇーがーういぬぶてぃ はんたいしみちん ぬぶてぃいくみちや ぐしくでむぬ
weegaa 'ui nubuti haNta'ishimichiN nubuthi 'iku sachi ya gushiku demunu
エーガーの上を登って崖の道も登っていく先は今帰仁城であるから
語句・うぇーがー 今帰仁城への登り口にある湧き水。「うぇーがー」は首里的発音。「エーガー」と言われる。・はんた 崖。・でむぬ 〜であるから。



平良哲男さんが集められた「今帰仁ミャークニー歌詞選集」から、今回で4回目。
5首ずつ訳して来たから、今回で20首が済んだことになる。

平良哲男さんの歌詞選集には26首あったから、あと残すところ6首である。

今帰仁ミャークニーの歌詞は非常に多い。

仲宗根幸市氏が「ナークニーの源流」と称されるほど歌われてきた歴史も長い。

また、道歌というものは例えば毛遊び(もーあしび)でシマ(ムラ)からシマへと歩く途中にずっと歌われてきたのだという。一、二時間歩くとしても相当な歌詞の数を知っていなくてはならないし、また即興で新しいウタも生まれただろう。

暗い夜道を一人で歩くこともあったかもしれない。ウタが勇気付けたり、また、自分の存在を知らせる「灯り」のような役も果たしたかもしれない。
そして今の気持ちを高めていったかもしれない。

今帰仁ミャークニーの歌詞の数々を見るたびに、生きたウタ、暮らしと密着したウタというものを感じずにはいられない。

そして、いまこれを歌う人が少なくなってきている現状の中で、残していくこともまた大事だと感じる。

ウタと結びついた情景も多くが失われてしまっている。
私もまだ見たことがない情景も多い。

これからの旅で自分の足でそれらを感じ取りたいと思う。



(▲平良哲男さんが撮影されたシカーの改修復元の碑)



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