県道節
県道節
けんどーぶし
keNdoobushi
一、県道道(節)作て(サヨ)誰が為になゆが 世間御万人の(サー)為になゆさ(ヤレ為になゆさ)(括弧は以下省略)
「けんどー」みち(ぶし)ちゅくてぃたーがたみになゆが しきん'うまんちゅぬたみになゆさ
「keNdoo」michi(bushi) chukuti taaga tami ni nayuga shikiN 'umaNchu nu tamini nayusa
○
県道の道(節)を作って誰のためになるか 世間の人々のためになるよ
二、監督やでかし 立っちょて手間取ゆいせ私達人夫の達牛馬の扱け
「かんとく」やでぃかし たっちょーてぃてぃまとぅゆい わした「にんぷ」ぬちゃー'うし'んまぬ'あちけー
「kaNtoku」ya dikashi taccho(o)ti tima tuyui washita 「niNpu」 nu chaa 'ushi'Nma nu 'achikee
○
監督は良い 立っていて手間賃を取り 私達人夫の者は牛馬の扱い
三、監督の位の眼鏡まで掛けて 私達畑姿 ましやあらに
「かんとく」ぬくれーぬがんちょーまでぃかきてぃ わしたはるすがい ましや'あらに
「kaNtoku」nu kuree nu gaNchoo madi kakiti washita harusugai mashi ya 'arani
○
監督が地位の眼鏡まで掛けて 私達農作業の恰好ましではないか?
四、いかな監督ぬ働りよいしちん 働るなよ仲間時間暮らし
'いかな「かんとく」ぬ はまりよーい しちん はまるなよしんかじかんぐらし
'ikana 「kaNtoku」nu hamariyooi shichiN hamaruna yoo shiNka jikaNgurashi
○
どうしても監督が働けよと言っても働くなよ仲間 みな時間暮らし
五、立っちょて目ぐるぐるしいね 手間小引かりしが 手間小引かりね 胴ぬる損どや
たっちょてぃ みーぐるぐるしーねーてぃまぐわーふぃかりーしが てぃまぐわふぃかりーねー どぅーぬる すんどーやー
tacho(o)ti mii guruguru shiinee timagwaa hwikariishiga timagwaa hwikariinee duu nuru(du) suN doo yaa
○
立ってキョロキョロしているとき手間賃を引かれるが 手間賃ひかれるときは 自分が損だぞ
解説
(語句)
大和語混じりの歌なので、それは「」で囲んであえて沖縄語にはしなかった。(例)監督→「かんとく」。
一
・なゆが なるか?
「が」が付いて疑問文になる。
・うまんちゅ 人々
御万人と書いたものが多いが「琉球語辞典」では「御真人または umaそこら+nuの+cchu人」で 人々と訳す。
二
・でぃかし 成功 だが違和感があるので 良い と訳す。
<でぃかしゅん(動詞)でかす 成功する
(「でかす」って今使うだろうか??「でかした」は使うが・・)
・てぃま 手間 手間賃
三
・くれー 位
・監督ぬ 監督が
「ぬ」には属格「の」と主格「が」がある。
四
・いかな いかなる(形容詞)どうしても(副詞)
この「いかな」は監督の前にあるが「いかなる監督」とはおかしい。動詞にかかる副詞とみて「どうしても」
・はまりよーい しちん 頑張れよといっても
「はまり」<はまゆん 励む 没頭する
それに文末助詞「よーい」(「よー」と同じ)が付いた。「しちん」は「しても」だが、「という声がしても」。cf.「唐船ドーイさんてーまん」(唐船だぞーと声がしたって)
五
・みーぐるぐり キョロキョロ
・しーねー していた時には
「ねー」は「に」と「や」の融合したもので連用形について「・・ときには」
(コメント)
沖縄の島唄もさまざまなものがあり、どれも現実の反映であり、また夢の反映でもある。愛を語るだけでなく時として「怒り」や「愚痴」であったりするのは文化である以上当たり前のこと。
「島うた紀行」(仲宗根幸市)によると「1909年沖縄の郡道は県道への編入整備がはじまった。そして大正末から昭和の初期にかけて道路工事の現場ではストライキもあったという。県道節は労働者の権利に目覚めた人たちのレジスタンスもこめられて誕生したもの」という解説に私などが加えるものはなにもない。
この歌はヤンバル地方で作られた説があるようだ。
気になる点がひとつ。
仲宗根さんのは四番がこうなっている。
「はまりよ」に「働りよ」と当て字がしてあり「監督がもっと働け、もっと働けといっても仲間たちよ働くな」と訳してあるが、ちょっと意訳しすぎではないか。
(語句)に書いたように「はまゆん」は「励む・没頭する」で「働く」は「はたらちゅん あがちゅん」。いかにストライキを背景にした歌とはいえボイコットまで言ってるわけではないようだ。
話は変わるが、昨日の新聞に米軍再編問題で日本政府は地元の意向は聞かない姿勢だという記事が流れた。市民投票をひかえた岩国の市民や普天間基地移転が進む名護の人々は、「国防は国が決めること、地元ではない」と言われたら、いきなり土足で踏み付けられたような気持ちではなかったか。
県道節を借りるなら「小泉やでかし サヨ 立っちょて手間取ゆいせ わした地元民 牛馬ぬ扱け」だ。
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