宮古根

たる一

2005年12月25日 06:25

宮古根
なーくにー
naakunii


一、昔事やしが 今までも肝にヨ 忘ららんものや ありが情け
んかしぐとぅやしが なままでぃん ちむにヨ わしららん むぬや 'ありがなさき
Nkashigutu yashiga nama madiN chimuni yoo washiraraN munuya'ariga nasaki
昔の事であるが 今までも 心に忘れられないものは あの人(彼・彼女)の情け
語句・やしが yashiga だけれども ・なま までぃん nama madiN いままでも ・あり 'ari あれ あの物 あの者 彼 彼女 ぞんざいな言い方 


二、昔袖ふたる夢や ちょん見ればヨ しばし慰みんなゆらやしが     
んかしすでぃ ふたる 'いみや ちょんみりばヨ しばしなぐさみん なゆらやしが
Nkasi sudi hutaru 'imi ya chooN miriba yoo shibashi nagusamiN nayura yashiga
昔袖に触れた(恋仲だった)夢さえ見れば しばらくの間の慰めにもなるのだけれども
語句・すでぃふたる sudi hutaru 袖にふれた。 「琉歌大成」(清水彰)では「栄えた」と訳がある。・ちょん chooN ですら さえ。 実際は「ちょーん」唄の中では縮む。


三、思事や あまた 山程にあてんヨ 渡海ゆ隔じゃみとて自由もならん
'うむくとぅや 'あまた やまふどぅに 'あてぃんヨ とぅけゆふぃじゃみとーてぃ じゆんならん
'umukutu ya ‘amata yamahuduni 'atiN yoo tukee yu hwijamitooti jiyuN naraN
思うことは たくさん 山程にあるが 海で隔てているので自由にならない
語句・とぅけー ゆ ふぃじゃみとーてぃtukee yu hwijamitooti 海で隔てていて。tukee は海峡や海。 沖縄はさすがに海に囲まれた島国。こういう表現は多い。 山と海とを対照的に使った面白さがある。


四、鳥や唄るとん 夜や明けて呉るなヨ 稀の手枕の語れでもの 
とぅいや 'うたるとぅん ゆやあきてくぃるな まりぬてぃまくらぬ かたれでむぬ
tui ya 'utarutuN yuuya 'akitee kwiruna yoo mari nu timakura nu kataree demunu  
鶏が鳴いても 夜よ明けてはくれるな 滅多にない腕枕での契りだから
語句・でむぬ demunu だから。・かたれー kataree 男女の契り いわゆる「語らい」に対応しているが、意味はもっと濃く辞書には①仲間となること、仲間入りを約束すること
②男女の一緒になる約束。とある。「男女の愛の行為」的な意味にとらえたい。(cf.かたらゆんkatarayuN 仲間に入れる)


五、我肝寂さびと 干瀬叩く波やヨ 変わて思無蔵が名残立ちゅさ
わちむさびさびとぅ ふぃしたたくなみやヨ かわてぃ’うみんぞが なぐりたちゅさ
wacimu sabisabi tu hwishitataku nami ya yoo kawati 'umiNzoga naguritachu sa
私の心寂しく 干瀬を叩く波よ(心)変わってしまった彼女の名残りが浮かぶよ
語句・ふぃし hwishi 「満潮のときには隠れ干潮になると現れる岩や洲。サンゴのイノーなどもこれにあたる。」【沖辞】。干瀬を叩く波の音が胸にさびしく響き心変わりしてしまった彼女の名残が浮かぶ、という意訳になる。


六、空飛ぶる鳥ぬ物言やちょん云りばよヨ 自由ならん 無蔵に いやいすしが
すらとぅぶる とぅいぬ むぬや ちょん 'いりばヨ じゆならん んぞ‘いやいすしが
suratuburu tui nu munuya chooN 'iriba yoo jiyunaraN Nzo ni 'iyaishushiga
空を飛ぶ鳥が物が言えさえすれば 自由にならない彼女に伝言をするのに
語句・とぅい ぬ tui nu 鳥が。 この場合の「ぬ」は主格をあらわす「が」。
ぬnu ・いやい 'iyai 伝言。 いやりiyari とも言う。


七、身に余る恩義 如何し忘らりがヨ 胸内に積むる我身の思い
みに’あまる 'うんぢ 'いちゃしわしらりがヨ んに'うちに つぃむるわみぬ’うむい
mini'amaru 'uNji 'ichashi washirariga yoo Nni 'uchi ni thimuru waminu 'umui
身に余る恩義をどうして忘れることができようかねえ 胸の内に積もる私の思い
語句・いちゃし 'ichashi どうやって。 どうして。・よー yoo ねえ。・わみ wami わたし。私自身。
沖縄本島を代表する名曲。宮古民謡の「とぅーがにー」や八重山民謡の「とぅばらーま」と並ぶ沖縄を代表する唄でもある。

歌詞は無数にあり、歌い手の思いを乗せて即興で歌ったり、好みで歌詞を変える。

「宮古根」とついた由来は諸説ある。
今帰仁が発祥の地という伝承があり、今帰仁出身の若者が首里に奉公した際に宮古民謡の「アーグ」(あやぐ、唄の意味)を聞き感動して今帰仁の情緒を歌ったのが最初とされる(仲宗根幸市「島うた紀行」)。

どの曲(アーグ)をヒントにしたかは不明だが、こんな話もある。

知名定男さんがナークニーと宮古民謡の「伊良部トーガニー」与那国の「与那国ションカネー」や八重山民謡の「とぅばらーま」などを西洋楽譜に直し棒グラフのようにして比較したところみな同じようなカーブを描いているのだそうだ。
確かに構成は似ている。
唄のなかに前半と後半のふたつの波があり、それぞれに山場があるからだ。

友人からいただいた今帰仁のミャークニー大会のビデオを見た。とても地味だが、そこに住む人々が作り、受け継いだ歌詞を島(里村)ごとに微妙に違う節回しで歌っているのが感動的だった。

今帰仁以外では、本部ナークニーが有名。
さらに唄者ごとに違う歌詞のナークニーもあって唄文化の花が開いている代表の唄。


ナークニーは、ヤマトンチュには三線と節が非常に難しい。そして発音。意味という山がある。
優秀賞では「唄情'uta nasaki」も評価の対象になる。思い入れがないと合格ラインに行かない。

三線、節回し、発音、意味などひとつひとつクリアーして、ただ「歌える」というのは入り口、出発点にすぎない。そこから何回も歌い、自分のものにしていく過程が「唄の勉強」であったように思う。

よく1000回唄って自分のものになる、といわれる。毎日10回も歌うといのは退屈で苦しいときもある。ところがこれでいいというものがないのが芸術の常。やれやれ、どこまでいけばいいのか・・分からないが歌う。
唄とは不思議なもので、あるときすっと歌えることがあったりする。
そしてまた時間が過ぎ、どうも気持ちに沿わないときもやってくる。
いずれにしてもただ唄っているだけでは進歩がない。
発見の積み重ねこそ大事。

録音する。人前で歌う。などなど工夫しいろんな角度で自分の唄が見えるようになるという技術面だけでなく、唄に込められた人の思いを自分がどうとらえるか、も考えながら唄っていくと唄に色艶がでてくる。

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