久場山越路節 (八重山民謡)
久場山越路節
くばやまくいつ
ぃぶし
ぃ
kubayamakuitsï bushï
語句・くばやまくいつ
ぃ この名前のいわれについては
「久場山越地節」に書いた。 「くいつ
ぃ」の発音について。八重山方言では「越える」は「くいるん」(kuiruN)と発音するので「くい」でよい。ウチナーグチ(本島方言)では「くぃーゆん」(kwiiyuN)なので「くぃ」(kwi)となる点は指摘しておきたい。「くい」は二音であるが「くぃ」は一音であるように発音は異なる。また「つ
ぃ」は八重山方言に特有の「
中舌母音」をあらわす。「ぶし
ぃ」も同様。
一、
黒島にうるけや さふ島にうるけや (はりぬつぃんだらやう かぬしゃまやう)
くるし
ぃまに 'うるけや さふし
ぃまに 'うるけや はりぬつ
ぃんだらよーかぬしゃまよー
kurushïma ni 'uruke ya sahushïma ni 'uru ke ya harinu tsïNdarayoo kanuchama yoo
○
黒島に居た間は さふ島(黒島の別称)に居た間は ([はり](囃子言葉) 愛しいよう[かわいそうだよう]愛しい人よ)
[以下囃子言葉略]
語句・
うる 居る。<'うん 居る。「うるけや」については、活用等不明だが、石垣方言で接続助詞に「んけん」があり、「・・まで」「間の時」「・・したところ」(「石垣方言辞典」より。以下【石辞】と略す)という意味がある。うる+んけん が融合して「うるけ」になったのかもしれない。【石辞】に「サフジゥマ 二 ウリゥ ケンヤ」「(黒島に居った時は)」という記載があり、普通「けーや」と歌われるが「けんや」という表記もされる場合がある。・
さふしぃま 黒島の別称。「さふしま、ぷしま、ぷすま、ふしま」という別称がある。「星の形をした」ということからきているという説もある。 ・
ふん 「「国(くに)」の訛語。①国②村」【石辞】 ・
はりぬつぃんだらよーかぬしゃまよー 「はり」については囃子言葉である以上の訳は避けるが、
こちらに意見を書いている。「つ
ぃんだら」は 「つ
ぃんだーさーん」(①可愛らしい②かわいそうである)【石辞】に感嘆をあらわす「らー」がついたもの。「かぬしゃま」は「かぬしゃー」(「男性からいう女性の恋人。『愛(かな)しき人』の意。「かぬしゃーま」ともいう」【石辞】。
二、
島一つやりうり ふん一つやりうり
し
ぃまぴてぃじ
ぃやり'うり ふんぴてぃじ
ぃやり'うり
shïma pitiijï yari 'uri huN pitiijï yari 'uri
○
故郷は一つであった 村はひとつであった
語句・
やり 「やり」については「やん」(・・である)の活用。「居る」をあらわす「うり」とともに「・・であった」と訳せる。解説書には「島で永久にいると思っていたのに」という訳が多い。
三、
ぶなびしん我二人 ゆいふなぐん我二人
ぶなびしん ばふたり
ぃ ゆいふなぐん ばふたり
ぃ
bunabi shiN ba hutarï yui hunaguN ba hutarï
○
苧(カラムシ)の農作業をするときも私たち二人 ゆい(共同作業)をする時も二人
語句・
ぶなび 苧(カラムシ)の収穫。 <ぶー「苧(お)。カラムシ。八重山上布の原料となる。真苧(まお)。ラミー。」【石辞】。イラクサ目イラクサ科の多年生植物。 + なび 作業。 「ゆなび」(夜業)という言葉がある。 カラムシを収穫し、繊維を取り、紡ぎ、織る。この一連の作業のうち、繊維を取る以後の作業は女性の作業とされていたから、最初の「収穫」だけを意味しているのではないだろうか。・
しん するのも。 <し
ぃん する。 +ん も。 ・
ば 私たち。<ばー 。 ・
ゆい 「共同作業に互いに労力を提供しあうこと。継続的な結びつきである。「ゆいまーり
ぃ」は 『ゆい』を順番に行うこと」【石辞】。「ふなぐ」いついては辞書でみあたらない。今後の課題。
四、
山行きん我二人 いす下れん 我二人
やま'いきん ばふたり
ぃ 'いす'うれん ばふたり
ぃ
yama 'ikiN ba hutarï 'isu 'ureN ba hutarï
○
山に行くのも私たち二人 磯下りても私たち二人
本島の「桃売い姉小」から「久場山越地節」をめぐり、そして元歌の「久場山越路節」にやっとたどりついた。
八重山民謡で、この歌詞は「つ
ぃんだら節」の「ちらし」(続けて2曲歌うあとの唄、または歌うこと)である。
作は「1836年『大浜英普』が野底与人訳を拝命されたときに、その内容を謡われたと言い伝えられている」(「八重山民謡誌」喜舎場永珣著)。
しかし、ここで紹介した歌詞は、大浜英普(1775-1843)が作詞したものとは異なり、「つ
ぃんだら節」の歌詞を引続き使ったものである。
琉歌の形式ではなく、本句が9 9 囃子が8 5という作り。
沖縄音階(ドミファソシド)を多めに含むメロディーなのだが、暗いイメージがある。舞踊「貫花」の「
武富節」(だきどぅんぶし)、つまりその元歌の「真栄節」(まざかいぶし
ぃ)とメロディーがよく似ている。
さて、上で直訳をしてみたが、すこし雰囲気をつけて意訳もしてみよう。
一、黒島に居た間は、さふ島にいた間は
二、故郷は一つだと思っていたのに、村はひとつだと思っていたのに
三、上布の繊維を取るカラムシの農作業でも私たち二人だったのに 共同作業をするときも一緒だったのに
四、山にいく時も一緒だったのに 海に行くときも一緒だったのに
首里王朝の命令でなされた「島分け」、強制移住政策で黒島から、彼と別れさせられて石垣島の野底に来させられた主人公の「うらみ節」だといっても過言ではない。
しかし、上に書いたように大浜英普が作詞したものは、まったく別の歌詞があって、(紹介は次回に回すが)それはほのぼのとした久場山峠にできた「越路道」の賛歌である。
つまり、古い歌詞は「捨てられて」「つ
ぃんだら節」に合うように歌詞が書きかえられたもの。
それだけ、「つ
ぃんだら節~久場山越路節」にこめた島人の想いは強かったのだろう。
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