なりやまあやぐ
なりやまあやぐ
nariyama 'ayagu
◯
馴れた山の歌
語句・
なりやま 馴れ山。「“馴れ染め”を分解し山の名になぞらえて恋人を諷したものであろう」【琉辞】。
あやぐ 「[綾言〔あやごと〕美しく妙なる詞]あやぐ〔宮古島の伝統歌謡〕aaguとも;Toogani 'ayaguなど」【琉辞】。意訳にはいろいろある。「なりやま」とは昔毛遊びをした場所だという人や、女性の乳房のことだという意見があるが、ここは直訳にとどめたい。
(歌詞中の「す゜」、ひらがなの「す
ぃ」、発音の「sï」は、宮古方言に特有の舌先母音を表す。「舌先母音」については「追記」参照)
一、
さーなりやまや なりてぃぬなりやま そみやまや そみてぃぬそみやま (イラユマーン サーヤヌ そみてぃぬそみやま)
(さー)なりやまや なりてぃぬなりやま すみやまや すみてぃぬすみやま (いらゆまーん さーやーぬ すみてぃぬすみやま)
(以下、囃子と返しは省略)
nariyama ya naritinu nariyama sumiyama ya sumitinu sumiyama
〇
馴れ山は馴れた山 染め山は染めた山
語句・
なれ すみ <なりすみ 「‘馴れ・染め’を分解し山の名になぞらえて恋人を諷したものであろう」【琉辞】。 「うちなーのうた」(音楽の友社)にある上田長福氏(宮古歌者)の解説によれば「『やま』は『山』のこと。凄い、大きいという意味です。伝えられるところによれば、歌の上手な人の名前に『山』が付けられ(ナズブリ・ヤマ)それが時を経て『なりやま』になったといわれています」。この辺の経緯は「追記」で。
二、
なりやま参い(す)てぃ なりぶりさまずな主 そみやま参い(す)てぃ そみぶりさまずな主
なりやま んみゃい(す)てぃ なりぶりさます
ぃなしゅー すみやまんみゃい(す)てぃ すみぶりさます
ぃなしゅー
nariyama Nmyaisuti nariburisamasïna shuu sumiyama Nmyaisui sumiburi samazïna shuu
〇
馴れ(た)山行かれて 馴れすぎないように 貴方 染め(た)山行かれて 染めすぎないように貴方
語句・
んみゃいてぃ 行って<参(まい)って ・
ぶり 「夢中になること」【琉辞】。 <ふりゆん 惚れる ・
さますぃな 「さま(様)するな」からか?
三、
馬ん乗らば たずなゆゆるすな主 美童家行き 心ゆるすな主
ぬーまんぬらば たずなゆ ゆるすなしゅー みやらびやーいき くくるゆるすなしゅー
nuumaN nuraba tazuna yu yurusuna syuu miyarabi yaa 'iki kukuru yurusuna shuu
○
馬に乗るなら手綱を許すな 貴方 娘(の)家(に)行き心(を)許すな 貴方
語句・
ぬーま 馬。宮古方言。本島では「んま 'Nma」「まー maa」「、八重山では「んま mma」「んーま mmma」など。 ・
ゆるすな 緩めるな <ゆるしゅん 緩める (許す、もある)
四、
馬ぬ美しゃや 白さど美しゃ 美童美しゃや 色ど美しゃ
ぬーまぬかぎさや しるさどぅかぎさ みやらびかぎさや いるどぅかぎさ
nuuma nu kagisa ya shirusa du kagisa miyarabi kagisa ya 'iru du kagisa
〇
馬の美しい(の)は白さこそ美しい 娘(の)美しい(の)は色(気)こそ美しい
語句・
かぎさ 美しさ 「ちゅらさ」(本島方言) 「かいしゃ」(八重山)方言に対応。 ・
いる 色 顔色(琉) → 可視的な「色」だけでなく「色気」という意味もある。
五、
ぶり押し波や 笑いど押しず ばんぶなりや 笑いど迎い
ぶりゆしなむや あまいどぅゆしす
ぃ ばん ぶなりゃ あまいどぅんかい
buriyushi namu ya 'amai du yushis
i baN bunarya 'amai du Nkai
〇
折れ重なり寄せる波は 笑って寄せる 私(は)妻(として)笑って迎える
語句 ・
ぶり 群れ <むり ・
ゆし 寄せる ・
あまい (にっこり)わらうこと(宮古方言)【Cf.ほほエム、'Amee-'uzjoo】【琉辞】 ・
ばん 私 (宮古方言) 「わん」(本島)「ばん」(八重山) ・
ぶなりゃ 妻 (宮古方言)
(コメント)
宮古島を代表する古謡。
妻が旅に出る夫にあたえる「教訓」歌。
元歌があるといわれ(「島うた紀行」)、その内容は「夫婦、あるいは男女のかけあい」(同左)である。
囃子言葉があり、教訓もあるが、少々おおらかな色気もある唄。カニスマといってアカペラの曲だ。
いろいろな経緯があり、元歌が変遷し現在のようになったようだ。それも歌の宿命。
元歌と、この「なりやまあやぐ」
「琉球列島 島うた紀行」(仲宗根 幸市編著)によると
発祥地は「城辺町の砂川、友利方面」。
「なりやま節」という。
この歌は、熱愛する男女の交歓をあからさまな言葉で歌った歌。
それはアカペラであり、工工四にはのせにくく、また「すこし露骨で人前では歌いにくい」という理由で今の三線歌につくりかえられたのだという。
作り直したのは、近代宮古民謡の父ともいわれた古堅宗雄氏たち。
そしてその元歌が歌える数少ない歌者の一人が上田長福氏である。
彼によると「『やま』は『山』のこと。凄い、大きいという意味です。
伝えられるところによれば、歌の上手な人の名前に『山』が付けられ(ナズブリ・ヤマ)
それが時を経て『なりやま』になったといわれています」ということらしい。
発音。舌先母音
さて、宮古民謡の歌詞には「す゜」「き゜」という表記がでてくる。
これは舌先母音によってつくられる発声をあらわしたもの。
舌先母音とは「
舌先、あるいは前舌の舌先寄りの部分を歯茎あるいは歯茎寄りの口蓋に接近させ、せばめをつくっている」(沖縄宮古平良方言のフォネーム」(かりまたしげひさ)。
中舌母音のときの舌の位置よりやや上に上がって空気の道が狭くなっているような状態で発音するようだ。そのときに無声、有声の摩擦音(s、z)が発生する。
つまり、耳には「ず」「ぎ」に近い摩擦音が混ざって聞える。
歌う時に「先舌母音」ができないならば、あえて「ず」「ぎ」と歌っても似た音にはなる。
もちろん宮古方言を理解する人が聞けば違いはわかるだろうが。
以下すこし問題点をまとめてみた。
先舌母音の表記
本によっては「ず」であったり、「す゜」(「す」に「゜」=ぱぴぴぺぽの丸)と、標準語ではありえない表記がされている。
故胤森弘さんが集められた歌詞の中では半数が「ず」残りが「す゜」の表記であった。
この発音は「すぃ」である。
このように表記は統一されていない。
二番「んみゃい」の後に「す」が入るか否か
これも本によって違う。
宮古島の「なりやまあやぐ」の歌碑、並びに作詞者である友利實光氏から直接採譜した「宮古民謡集 平良重信著」にも「す」ははいってない。
もしかしたら軽い破擦音が入るのかもしれないが、未確認である。
私はそう神経質にならず、歌いやすいほうでよいと思っている。
入っても「・・する」くらいの意味。
五番、「ばんぶなりゃ」の訳がさまざまである。
胤森さん 「私(の)妻」
琉球語辞典 「私は姉妹として」
沖縄の民謡 「わたしという女も」
島うた紀行 「わたしの妻も」
ばん=我 ぶなりゃ=妻 であるから、直訳では「我が妻」になる。
が、この歌の主体は妻であるから五番だけ「私」が主体になるのは不自然。
もうひとつの直訳の可能性として
「私、妻」つまり「私(は)妻(として)」と「ばん」と「ぶなりゃ」を同一のものを並列しているとの解釈。
こちらを私は採用。
歌に関連する動画
上田長福氏の「なりやま節」がYouTubeに公開されている。
ちなみにこちらはその「なりやまあやぐ」を作詞作曲した一人古堅宗雄氏らによる「根間ぬ主」。
歌碑、その他
2014年10月26日に筆者は初めて宮古島を訪れた。
ご案内は宮古島在住の渡久山安闘さん。
場所は「シギラベイカントリークラブ」近くの「イムギャーマリンガーデン」の駐車場。
そこから少し北上した友里には、1960年に琉球放送のラジオ、素人のど自慢大会でなりやまあやぐを初めて歌って世に出した友里貫巧氏の生家と記念碑がある。
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