2005年12月20日

懐かしき故郷

懐かしき故郷
[なつかしきふるさと]
([]はヤマトゥグチ)

作詞作曲 普久原朝喜



一、夢に見る沖縄元姿やしが 音に聞く沖縄変わてねらん
'いみにみる'うちなー むとぅしがたやしが 'うとぅにちく'うちなーかわてぃねーらん
'imi ni miru 'uchinaa mutushigata yashiga 'utu ni chiku 'uchinaa kawati neeraN
夢に見る沖縄 元の姿だけど 音さたに聞く沖縄は変わってしまった
語句・いみ 夢。・うとぅ 「たより。音さた」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・かわてぃねーらん 変わってしまった。「ねーらん」は「ねーん」と同じ意味で「無い」だが、「〜してしまった」の意味もある。例えば「かでぃねーん」も「かでぃねーらん」も「食べてしまった」という意味になる。「食べない」は「かまん」。「食べてない」は「かまんたん」。だからもし「変わってない」ならば「かわらんたん」となる。



※A 行ちぶさや 生まり島
'いちぶさや んまりじま
'ichibusa yaa Nmarijima
行ってみたいなあ 生まれ故郷に
語句・いちぶさやー 行ってみたいなあ。「ぶさ」<「ぶさん」は「〜したい」という接尾語。「ぶさ」となると形容詞とおなじように「とても〜したい」という感嘆文になる。それに「やー」(相手に同意を求める「ねえ」「なあ」)が付いた形。



二、くまや'あまぬ心配 あまやくまの心配 心配の果てねさみ あまんくまん
くまや'あまぬしわ 'あまや くまぬしわ しわぬはてぃねさみ 'あまんくまん
kuma ya 'amanushiwa 'ama ya kuma nu shiwa shiwanu hati nesami 'amaN kumaN
ここではあちらの心配をし あちらではこちらの心配 心配の果てはないのだよ あちらもこちらも
語句・くま 「ここ。こちら。この場所」【沖辞】。・あま 「あそこ。あっち。あちら。」【沖辞】。・しわ 「心配。世話の転意」。「世話」の意味が変化して「心配」という意味になった。ちなみに「世話」はウチナーグチでは「みーかんげー」(「見て考えてやる意」【沖辞】)、「むちなし」(「もてなし」の転意か?)、「しんじち」(「真実」【沖辞】)となる。・さみ 「・・なのだぞ。・・なんだよ」【沖辞】。



※B いちぶさやふるさとに
'いちぶさや [ふるさとに]
'ichibusa yaa[ふるさとに]
行ってみたいなあ ふるさとに



三、平和なてうむぬ 元ぬぐとぅ自由に 沖縄行く船に乗せてたぼり
へいわなてぃ うぅむぬ むとぅぬぐとぅじゆーに 'うちなー'いくふににぬしてぃたぼり
heiwa nati umunu mutunu gutu jiyuuni 'uchinaa 'iku funi ni nushititaboori
平和になっているので元のように自由に沖縄に行く船に乗せてください
語句・うぅむぬ いるので。<うぅ<うぅん「(・・して)いる」+むぬ。接尾語としては「ものを」「のに」「から。ので」【沖辞】の意味がある。どれでも意味は通じるが、訳は「ので」とした。


※A繰り返し



四、いちが自由なやい 親兄弟ん揃てうち笑い笑い暮らすことや
'いちがじゆーなやい 'うやちょーでーんするてぃ 'うちわらいわらいくらすくとぅや
'ichiga jiyuu nayai 'uyachoodeeN suruti 'uchi warai warai kurasukutuya
いつになれば自由になり親兄弟も揃ってうち笑い笑い暮らすことになるだろうか
語句・いちが いつになったら。


※繰り返しB



(コメント)
大阪にいた普久原朝喜氏の1947年の作品で、沖縄戦で荒廃した故郷への思いを心に染みる旋律で表した。
題名には(こきょう)とふりがながある(「ウチナーのうた」音楽の友社)。が、その歌詞には「古里ふるさと」とある。

何故こだわるかというと ウチナーグチの題名かどうかで意味が変わるから。
「懐かしき」はウチナーグチならば、屋嘉節の「なちかしやnachikashiya」(悲しい)と同じで、悲しい、となる。
しかし「しき」とはウチナーグチの文法にはみあたらない。
したがって題名はヤマト口で、「なつかしきこきょう」と理解してよいだろう。
ちなみに「故郷」はウチナーグチでクチョーkuchoo。


三線で弾くと斬新で氏独特のテクニックが感じられる。間のおき方、リズムに特徴がある。
その間、リズムが情感をうまくひきだすように思う。


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Posted by たる一 at 22:54│Comments(3)な行沖縄本島
この記事へのコメント
普久原朝喜は、1903年(明治36年)12月30日沖縄県中頭郡越来村(現沖縄市)照屋にて生まれる。1923年(大正12年)大阪へ、そして1947年(昭和22年)
「懐かしき故郷」を作詞・作曲する。当時、身も心も痩せ細った時代に関西沖縄県人の集まりといえば、必ずこの歌をうたい、人々の心を揺さぶった。
<行ちぶさや生まり島>誰もが共通した望郷への念である。そして歌の最後のハヤシに朝喜は<行ちゃびらや沖縄かい>と結んだ時、聴衆は啜り泣き号泣し拍手すら出来なかった。そして1982年(昭和57年)1月17日、妻・京子死去。同年10月20日、朝喜死亡。(第1回「普久原朝喜賞」記念冊子より)
金城恵子さんの歌もいいですよ。

たるーさん、先日の南洋小唄のウチナーは 私です、名前間違えました、失礼しました。
Posted by ウチナー ムーク at 2005年12月21日 14:48
お久しぶりです
此の唄は何故か内地や外国に住んでいらっしゃる方に人気がありますね.
一度、米兵にリクエストされたことがあります.

やしが、貴方は日本語どころかウチナーグチすら解さぬではないか.
とたずねたら、言葉はわからんがこれを聴いた時自分は涙が出た.
と返してきました.

うーん、そんなものなのかとその場は聞き流していたのですが、聴いているうちにええ唄やなあと感じるようになった次第.

ずーと山里ユキが唱う曲を聴き続けています.

最後の一節は「いちゃびらや うちなあかい」で終わっていますが、あれは創造ですか?それとも本歌にもそうあるのでしょうか?

上の沖縄婿さんのコメントにヒントがありました.

今後、いちゃびらやでくくりたいと思います.

私は弾きながら唱うと、どうも此の「いちぶさや」が上手く唱えません.

持っている工工四と違って、四 五七^合....になっている様な気がします.合の後がどうしても聴き取れなくてユキさんの唄とずれてしまいます.

余談ですが、私は多感な時期を大阪で育ちました.

在日や部落などの問題もさることながら、在阪の多くのうちなんちゅのことも知らずに大人になってしまった訳ですが、友達の中にはそういう境遇の人達も居たことを後になって知った次第です.恥ずかしいことです.

沖縄のことを全く知らずに沖縄に移り住んだ私ですが、二十数年経ってもほんの僅かしか理解していないのが情けない.私にとって民謡は沖縄を理解する手段の一つとしても大切なものです.
Posted by Ai-Nyai at 2011年04月06日 08:00
アメリカ人の方にも伝わるものがあるのですね。

>最後の一節は「いちゃびらや うちなあかい」で終わっていますが、あれは創造ですか?それとも本歌にもそうあるのでしょうか?

そう唄われるのも聴いたことがありますが、どちらかわかりません。

しかし、いい唄ですね。

ぜひ唄い続けてください。
Posted by たる一たる一 at 2011年04月08日 07:38
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