2005年10月31日

てぃんさぐぬ花

てぃんさぐぬ花
てぃんさぐぬはな
tiNsagu nu hana
ほうせんかの花
語句・てぃんさぐぬはな 鳳仙花の花。「てぃんしゃぐ」と発音することもある。辞書にはtiNshaaguu、てぃんしゃーぐー、とある。宮崎鹿児島「とっしゃご」。九州中部「とびしゃご」(全国方言辞典)。鳳仙花の種ははじけて飛ぶことから。「飛び砂」からきているともいわれる。鳳仙花の花で爪を染める風習が各地、韓国にもある。ホウセンカの花びらを揉みつめ先に乗せ、布などでくるんで一晩おくと爪が染まる。


一、てんさぐの花や爪先に染めて 親の寄せ言や肝に染めれ
てぃんさぐぬはなや ちみさちに すみてぃ 'うやぬ ゆしぐとぅや ちむに すみり
tiNsagu nu hana ya chimisachi ni sumiti 'uya nu yushigutu ya chimu ni sumiri
鳳仙花の花は爪先に染めて 親の説教は心に染めなさい
語句・ゆしぐとぅ 教訓 忠告。<ゆしゆん 忠告する。・すみり 染めなさい。<すみゆん 染める。の命令形。ウチナーグチで命令形はこの「り」で終わる。


二、天の群星や読めば読まりしが 親の寄せ言や読みぬならぬ
てぃんぬぶりぶしや ゆみばゆまりしが'うやぬゆしぐとぅ や ゆみんならん
tiN nu buribushi ya yumiba yumarishiga 'uya nu yushigutuya yumiN naraN
天の群星は数えれば数えられるが親の説教は数えられない
ぶりぶし 群星。たくさんの星。 琉球語辞典「buribusi群星〔特に天の川〕;八重山ではmuru-busiとしてすばる[プレアデス星団]。」・ゆみば 数えれば。<ゆぬん ①読む。②数える。③しゃべる。④詠む。 「読む」と書いてあってもこれだけの意味があることに注意。ここでは②の「数える」。余談だが、ヤマトの言葉で「さばをよむ」というのがあるが、これも腐りやすい鯖を数えるのに、一個一個数えていたのでは腐ってしまうので、ぱっと見てざっと数えるたとえから来ている。つまりヤマトでも昔は「読む」=数えるだった。


三、夜走らす舟や子の方星目当て 我ん産ちえる親や我んど目当て
ゆるはらす ふにや にぬふぁぶし みーあてぃ わんなちぇーる 'うや や わんどぅ みーあてぃ
yuru harasu huni ya niinuhwabushi miiati waN Nacheeru 'uya ya waN du miiati
夜走らせる舟は北極星を目当てにし(ながら進む) 私を産んだ親は私だけを目当てに(生きる)
語句・ゆるはらす 夜走らせる。<はらしゅん 走らせる。 <はゆん 走る。・にぬふぁぶし 北極星。十二支の「子」は真北を指し、北極星は24時間地球の自転軸の先にあるために北半球では動かないように見えるので夜の航海では方角を知るために使う。「ふぁ」は「方」。星は「ふし」。語句が二つつながると「連濁」(れんだく)という法則により「ぶし」とにごる。・みあてぃ 見つけて。<みーあてぃゆん「見つける。見つけ出す」・なちぇーる 生んだ。 <なしゅん 生む。・わんどぅみーあてぃ 私だけを見つけだす。<みーあてぃゆん 見つける。目当てにする。本土語の「目当て」も同様に「目をつける」という意味で「注意する」とか「暗闇での目標」のような意味もあるが、「ねらい目」と訳すと「金目当て」というように下心を表すこともあるので、「見つけ出す」「注意する」という感じのほうが清らかに感じる。(強調する「どぅ」は「こそ」や「だけ」と訳すことが多い。最後の動詞を「連体形」で終わらせる係り結びの法則が働いて、「目当て」で終わっているが、実は「やん」(である)の連体形「やる」という語が省略されている。例 命どぅ宝 ぬちどぅたから <命どぅ宝やる。


四、成しば何事ん成いる事やしが成さぬ由からどならぬさらみ
なしばなにぐとぅんないるくとぅやしが なさぬゆいからどぅ ならんさらみ
nashiba nanigutuN nairukutu yashiga nasanu yui kara du naraN sarami
成せば何事も出来ることだが 成さぬせいだからこそ出来ないであろう
語句・なしば 成せば。<なしゅん 成す。 の已然形+ば →必然をあらわす。(未然形+ば 仮定法をあわらす)だから「仮に・・」ではなく、「なすならば必ず」くらいの必然性を含んでいる。・やしが だが。・さらみ であろう。


五、いちたらん事や一人たれいだれい互におぎなてる浮世渡る
'いちたらんくとぅや ちゅいたれーだれー(たれいだれい)たげに'うぎなてぃる 'うちゆー わたる
ichitaraN kutu ya chuitareedaree tageni 'uginati ru(du) 'uchiyuu wataru
行き届かない事は 互いに補い合い 補い合ってこそ 浮世をわたる(ものだ)
いちたらん 行き届かない。言い足りない。いずれにしても「不十分な」こと。・ちゅいたれーだれー 互いに補い助け合うさま。ちゅい(一人)+たれーだれー<たれーゆん(補う)を繰り返して強調したもの 補い補い。「たれーだれー」だが、歌うときは「たれいだれい」と詠むこともある。・うぎなてぃる 補ってこそ。「る」となっているが、これは強調の「どぅ」du の「D」が「R」に変わったもの。 例 どぅーちゅい→るーちゅい (私一人)


六、宝玉やてん磨かねば錆びす朝夕肝みがち浮世わたら
たからだまやてぃんみがにばさびす'あさゆーちむみがち'うちゆーわたら
takaradama yatiN migakaniba sabisu 'uchiyuu chimu migachi 'uchiyuu watara
宝玉であっても磨かないと錆びる 朝夕心磨いて現実を生きよう
語句・やてぃん であっても。<やん ある。+てぃん ても。・わたら 渡ろう。希望や呼びかけ 動詞の最後が母音a で終わる形。例 ゆま 読もう。 


解説
さまざまな教訓をおりこんだ代表的な「教訓歌」の定番。
沖縄音階も豊富で、メロディーも沖縄民謡を代表すると言っても過言ではない。
三線では三下げの初級の練習曲。
本調子で弾くこともある。

歌の題名は、その歌詞の最初の文字、ハヤシ言葉、歌詞の中の特徴的な語句などがなることが多い。
ここでは最初の「てんさぐの花」が題名になっている。

少女の爪先を染める風習は、遊びであっただけでなく「魔よけ」のまじないであったようだ。
沖縄では明治の中頃まで、結婚した女性が「ハジチ」という手の甲や指の背に入れ墨をしていたことと関係があるかもしれない。

二番、天の星は「すばる」なのか「天の川」なのかそれとも天の星すべて、という意味なのか議論がある。空の星は有限だが、親の言うことは深くて無限なのだよという教え。

三番、「沖縄の親は子どもなんかあてにしてない。自立している」という議論もあったが、この「目当て」は、標準語の「めあてにしている」という「ねらい目」的な意味ではなく、見つける。見つけ出す。の意味。「みー」(目)+「あてぃ」(合わせる)。常に見ている、という意味。
成長を見守る親の気持ちだろう。

昔、航海に出る子どもが乗った船を、親が山の上から白い煙を焚いて航海を見送ったという話がある。(知名定繁「別れの煙」)にこの歌詞が使われている。

四番、浦波節にもある。


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Posted by たる一 at 19:08│Comments(16)た行沖縄本島
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紫陽花の花がそろそろ見ごろですのんびり写真でも撮りに行きたいところですがなかなかそうもいきませんねさて、花つながりで…^_^;A好きな沖縄民謡のなかに「てぃんさぐぬ花」という唄...
てぃんさぐぬ花【海翁】at 2006年06月06日 12:04
この記事へのコメント
この歌詞をよく歌うのですが。。

宝だまやてぃん 磨かねば 錆びす 朝夕肝磨ち 浮世渡たら

これは誰の歌詞だったでしょうね。。?
Posted by suzy_jinsan at 2006年03月25日 17:01
suzy_jinsanさんコメントありがとうございます。
そうですね。この歌詞が抜けてますね。
追加しておきますね。
(ついでにすこし形式も修正しました。)

誰の歌詞かはわかりません。沖縄の民謡は古い琉歌を無数の人々が歌い継ぐことも多く、当然現在のように著作権という概念もなかったのですね。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年03月26日 06:07
沖縄本島の教訓歌ですよね

石垣は
デンサー節

宮古は
なりやまあやぐ

でしたっけ?
Posted by 流君 at 2006年05月02日 12:29
流君コメントありがとう。
そうですね。
それぞれ教訓歌。。
でも
なりやまあやぐ は・・・歌。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年05月02日 17:14
ボイスブログに「てんさぐの花」をアップしました。
四本の三下げ。
ご参笑ください。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年07月13日 16:28
てんさご? てぃんさぐじゃ無くて?
Posted by から at 2006年11月11日 06:25
はい。からさん。

発音は「てぃんしゃぐ」。その表記は「てんしゃご」または「てんさご」になります。

まず、最初の「て」は、歌詞の表記としては「て」であり、「てぃ」というのはウチナーグチの発音においての表現となります。

琉球語辞典によると「しゃご」は「砂」(まさご)から来ているようです。おそらく「鳳仙花」の、莢(さや)がはじけて飛びだす種子が「砂」のように見えるからではないでしょうか。
それで歌詞の表記は、古い形式を残しており、発音では「てぃんしゃぐ」と読んでも「てんさご」と書くのです。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年11月11日 23:51
こんにちははじめまして、てぃんさぐの花の歌詞をこのページからコピー、ペーストして使用しました。
事後承諾ではありますが、ご了承下さい。
http://yaplog.jp/gsy/で使用しています。

よろしくお願いいたします。
Posted by 松原 at 2008年11月17日 16:26
松原さん
コメントありがとうございます。

まあ、英国総領事邸で三線ですか。

しかもてんさぐの花を。

すばらしいですね。

お役に立てれば幸いです。

今後ともよろしくです。
Posted by たるー at 2008年11月18日 22:03
はじめまして。
知っている方がいらっしゃいましたらお願いしたいのですが,

この「てぃんさぐぬ花」の歌詞,
「[2訂版]歌のミュージックランド 楽しい歌とコーラス」(教育芸術社 2000年)107ページによると,
4番のところが次のようになっています。

「あかりあかがりば しみたれがいちゅん
かしらゆてぃたぼり わうやがなし」

この部分の意味が知りたくてWeb検索したのですが,
いくつかの場所で過去に質問した方がいらっしゃるのですが,
明確に回答されているものがなく,
たいていは次のサイトが紹介されています。

http://kagoshima.cool.ne.jp/tokunoshima/minyo/thinsagunuhana.htm

しかしここに掲載されている4番は,
上記「歌のミュージックランド」とは違うものです。

私は中学校で吹奏楽部の顧問をしておりますが,
今年のコンクール課題曲が,この曲の旋律をもとにしているのです。
それがきっかけで調べ始めたのですが,
どなたかおわかりになりますでしょうか。
Posted by Benn at 2010年06月22日 11:48
Bennさん
コメントありがとうございます。

私でよければお答えいたします。


その琉歌は

「東明がりば 墨習が行ちゅん 頭結てぃたぼり 我親加那志」

(あがり あかがりば しみなれがいちゅん かしらゆてぃ たぼり わうやがなし)
(歌意)
東方に日が昇れば学校に行く 頭を結ってください 私の親御様

という歌です。


ご紹介くださった歌詞では

あかりあかがりば しみたれがいちゅん
かしらゆてぃたぼり わうやがなし

となっていますので
相違点は以下のようになります。

「あがり」 →「あかり」
「しみなれ」→「しみたれ」

「しみたれ」というのは意味が私にはわかりません。
おそらく誤植かなにかではないでしょうか?

「あかり」は「明かり」かもしれませんが、
普通沖縄の琉歌では、私の紹介したものが一般的だと思います。

私のお答えできる範囲でお答えいたしました。
Posted by たるー at 2010年06月22日 23:36
たるー様
大変すばやい返信をありがとうございました。
疑問が解決して大変すっきりいたしました。

「しみたれ」は,私どもの語感では,何となく「しみったれ(ケチな人)」を連想していたのですが,全然違いましたね。私の転記違いかと一瞬焦りましたが,「歌のミュージックランド」をよく見てみると確かに「しみたれ」と書いてあります。たるー様がおっしゃるように,誤植だと思います。教育芸術社の別な歌本「新版 世界の名曲303 (1981年)」も手許にあったので,もしやと思って見てみたら,200ページに同じ歌が載っており,やはり「あかり」「しみたれ」になっていました。30年も昔から誤って伝えられていたようです。...と思ったら,こちらの楽譜の下に注釈があり,「しみたれが(墨習れが)」と書いてあります。意味は正しく書いてあるけれども発音・表記が違うということでしょうか。でも「墨習」だけでは,それが「学校」だとは,私たちにはちょっと気付きにくいですね。

「しみなれ」が「学校」ということで,ちょっと別な連想もはたらきました。つまり,「セミナリヨ」です。でも沖縄ですから関連は薄いですかね。疎いくせに勝手なことを申しましてすみません。

ところで,「琉歌」とはなんですか?
サイト全体をよく読めば分かることかもしれませんし,それをせず質問するのは大変失礼かもしれません。もしそうでしたら,「よく読め」とだけおっしゃって下さい。

沖縄特有の歌(詩)の形式の名前かな,とも思いましたが,もしかしたら別なメロディーで歌われる別の楽曲があって,その歌詞が「てぃんさぐぬ花」に転用されてしまった,ということかな,とも考えました。

---------------------------

吹奏楽の世界では以前から沖縄音楽への関心が高いと思います。
私も今回の課題曲の件からの発展で,いくつかの沖縄関連のCDを購入しています。
「響宴XIII」には私の大好きな酒井格氏の作曲になる「てぃーだ」という作品が入っています(手に入れたばかりなのでまだ聴いてませんが)し,「沖縄の響き 金井喜久子管楽作品集」には,この「てぃんさぐぬ花」をもとにしたフルートのための変奏曲が集録されています。

私自身はこれまでそれほど高い関心を寄せていたわけではないのですが,この成り行きの中で,かなり関心が高まっているところです。

今回は大変ありがとうございました。
また何かありましたらお世話になります。
Posted by Benn at 2010年06月24日 20:39
Bennさん

「墨習い」ですが
「墨」(しみ)には「墨」と「学問」「文字」「文章」などの意味が含まれます。
「手墨学問」(てぃしみがくむん)という言葉もあります。
「なれー」は「習う」ということです。
ですから「学校」を直接さすものではなく「学問を習いに行く」というくらいの意味です。学校のない時代もあったでしょうから。


琉歌とは、一般的には本土の唄(和歌)に対する琉球の歌という意味ですが、文字数が8、8、8、6文字(計30文字)で構成された、ウチナーグチ(沖縄語)で書かれたものをいいます。

ですから、たとえば「てぃんさぐぬ花」の歌詞は、他の琉歌でつくられた曲で歌うこともできます。
また「てぃんさぐぬ花」は教訓歌で、「てぃんさぐぬはなや爪先に染みてぃ・・・」の歌詞以外はさまざまな歌詞で歌われます。
また歌われていいと思います。

中学校の吹奏楽の分野でも沖縄の歌をとりあげ、関心が広がっていくことは嬉しく思います。
この拙ブログがすこしでもお役にたてたら光栄です。

今後ともよろしくお願いします。
Posted by たる一たる一 at 2010年06月26日 12:08
はじめまして。
昔から大好きな「てぃんさぐぬ花」。
思うところあって、うたの意味を知りたいと思い、
たる一さんのブログにたどり着きました。
これほどの深い思いがあるとは知らずに今日まで口づさんできました。
島唄には心を動かされることが多いです。

事後で申し訳ありませんが、3番の歌詞を引用させて頂きました。
ご了承下さいませ。
Posted by プリン at 2012年07月07日 18:11
たるー様,

まずは 僕は日本語が下手です。

聞いた歌詞 があります


Makutu suru hituya / Atuya ichimadin

Umukutun kanathi / Kiyu nu sakai

意味はなんでしょうかな
Posted by Yonamine_kun at 2020年10月28日 08:03
Yonamine_kun さん
コメントありがとうございます。
ブラジルの方ですか?
沖縄姓ですね。

Makutu suru hituya / Atuya ichimadin
誠する人や 後や何時迄ん

Umukutun kanathi / Kiyu nu sakai
思事叶てぃ 今日の栄

こんな漢字になると思います。

意味は、誠実な人は今後の人生いつまでも
思う事がかない今日の栄となる。

くらいですね。

「きゆぬ」のところ「ちゆぬ」とうたう時もあります。「千代の栄え」となって、こちらの方が意味は分かりやすいですね。
Posted by たる一たる一 at 2020年10月28日 11:02
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