仲順流り

たる一

2005年11月16日 06:24

仲順流れ
ちゅんじゅん ながり
chuNzuN nagari
語句・ちゅんじゅん 北中城村にある集落名。


一、七月七夕中ぬ十日
しちぐゎち たなばた なかぬ とぅーか
shichigwachi tanabata naka nu tuuka
7月の七夕(7日) 中の10日
語句・しちぐゎち 旧暦の七月。・たなばた 旧暦の7月の七夕。七夕から盆の準備、お墓の掃除、料理の準備などを始める。


(エイサーエイサーヒヤルガエイサー スリサーサー スリ )
(eisaa eisaa hiyaruga eisaa suri saasaa suri)
(えいさー えいさー ひやるが えいさー すりさーさー すり)
(囃子言葉である。この「えいさー」という囃子言葉から旧盆の青年達の踊りを「エイサー」と呼ぶという説もある。「yeisaa」「いぇいさー」と発音することもある。
  


二才達や揃とて 遊ぶしゃや
にせたー や すりとーてぃ あしぶしゃ やー
niseetaa ya suritooti 'ashibusha yaa
青年たちは集まっていて 遊びたいよねえ
語句・にせたー 青年達。・すりとーてぃ 揃っていて。<すりゆん。揃うこと。すりとーてぃ 持続態。そろっていて。・あしぶしゃ 遊びたい。<あしぶん。+ぶしゃん。~したい。・やー よねえ。念を押す。



ニ、仲順流れや七流れ
ちゅんじゅんながり や ななながり
chuNzuN nagari ya nana nagari
仲順の流れは 7つの流れ
語句・ながり 流れ。何の「ながれ」かは不明。・なな 具体的な「七」という他に「多くの」という意味もある。(例)「ななまがり」(「本部ミャークニー」)。


黄金のはやしん 七はやし
kugani nu hayashiN nana hayashi
くがにぬ はやしん なな はやし
黄金のはやしは7(つの)はやし
語句・くがに 黄金。転じて「大切なもの」「黄色いもの」などを意味することもある。・はやし 「林」とか「囃子」という当て字をしたものもあるが後述するように不明。



三、仲順大主や果報な者
ちゅんじゅんうふしゅ や くゎふーなむん
chuNjuN 'uhushu ya kwahuu na muN
仲順大主は幸せ者
語句・ちゅんじゅんうふしゅ 「仲順大主は、仲順村の創建者といわれる。1259年に英祖に王位を譲り、放浪していた義本王を匿ったとの伝承があることから13世紀中葉の頃の人物だと考えられる。エイサー曲で有名な「仲順流り」も仲順大主にまつわる伝承が念仏歌になっている。また、歌劇「仲順流り」にも登場する。」北中城村のホームページから引用。・くゎふー 「果報、幸運(に出会うこと)。」【「琉球語辞典」(半田一郎)」】(以下【琉辞】と略す。)


産し子や三人産し出じゃち
なしぐゎや さんにん なしんじゃち
nashigwa ya saNniN nashiNjachi
子どもを三人授かって
語句・なしぐゎ 「産んだ子、愛児。」【琉辞】。・なしんじゃち 直訳すれば「産み出して」。「授かって」とする。



【概要】

「仲順流り」といえばエイサー。エイサーといえばこの曲、というほど定番の曲である。
三線の音色でこれを聴くと「座っていてははいられない」という方も多い。

この歌詞(二〜三)は仲順集落の仲順公園にある「仲順流り」の歌碑にあるもので、
歌詞の一は、よくエイサーで歌われるものである。







エイサーとは先祖崇拝の想いを込めた旧盆だけの青年達の神事であるということは多くの方が認めるところである。

恐らくは江戸時代前期の浄土宗の僧侶、袋中上人(1552~1639)が1603年から琉球に滞在して1606年に帰国するまで琉球各地で浄土宗ならびに念仏踊りを広めたことがエイサーの起源ではないかという説が有力である。

しかし、この「仲順流り」がいつ頃のものなのかは不明である。

【仲順大主の伝説】

上述の語句解説に載せた北中城村のホームページにある仲順大主の解説によれば13世紀中葉の頃の人物をモデルに作られた歌であると言われている。

その仲順大主の墓は仲順公園の近くにある。




「仲順流り」の歌詞にはいろいろなものがあるが、よく聞くのは親に似た人を探す子どもの歌だ。

仲順流りや七流り 黄金ぬ囃しや七囃し

五ちぬ年に母離り 七ちなたくとぅ思び出じゃち

国々さまざま巡るとぅん 我親に似ちょーる人居らん

(前略)5歳の時に母と別れ7歳の時に思い出し 国々をあちこち巡ったが 私の母に似た人は居ない

仲順大主は早くに妻を亡くしたという伝説もある。

そして仲順大王と息子たちの話というのがある。おそらく上に挙げた歌詞の続きになるのだろう。「正調 琉球民謡工工四第3巻(滝原康盛著)」に掲載されている歌詞を概略すると

『仲順大主は果報な者で、男3人の息子がいるが、その息子の真意を試そうとする。まず長男に言う「私は年老いたので物が食べられない。お前の子どもを捨てて乳を私に飲ませよ」
長男曰く「頭おかしくなったのか、子どもは宝だ」

同様に次男に言うと、次男曰く「年のせいで変になっている。子どもは宝。仲順大主は死ぬなら死ね」

三男にいうと三男曰く「子どもはまた生めばよいが親は拝めない。子どもを捨てて乳をあげましょう」
大主「おお息子よ、お前が子どもを捨てるなら東の森、三本松の下に三尺の穴を掘って産めよ」


このあとは記載がない。が、おそらく家宝が、その穴から出てきて、家を継ぐのはその三男となる。

【歌詞の不明な点】

仲順流りや七流り 黄金のはやしんはやし ・・・とはじまる。

「七流り」とは何を表しているのか。「はやし」とは何か。

仲順の集落は北中城村の高台にある。現在でも1888年頃も川の流れを見つけることはできない。「流れ」とは何のながれなのか不明である。


(スタンフォード大学が公開している日本が1888年に作った軍事地図より)

また「はやし」とは何か。歌詞集によっては「林」と当て字をするものも見かける。
しかしウチナーグチで「はやし」という言い方は見かけない。木々の茂った場所は「やま」という。また「むい」(森、丘)という言い方があってもこれは木々の茂った場所というよりも「拝所、御嶽」がある場所を言う。
「囃子」とするものもあるが無理がある。「はやし」はウチナーグチで「フェーシ」と言うからだ。

抽象的に「流れ」を仲順大主の子孫がその後も繁栄し大きな門中(むんちゅう。一門、一族)をなしてきたという「子孫」の歴史を表す「流れ」だと言えなくもない。それが「七流れ」つまり多くの子孫繁栄の流れになっている、と。それでも「はやし」の説明には繋がりにくい。

しかし先祖代々受け継がれてきたこの歌詞で「仲順流り」を歌うことにそれほど大きな抵抗を感じないという不思議さを感じる。

この辺りは今後の課題としよう。



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