2015年04月23日

落平ぬ水 《ナークニーを追って》1

久しぶりの「島唄コラム」です。

先日4月10日から14日まで沖縄本島を訪れ、「ナークニー」が生まれた痕跡を探し、本部ミャークニーの道を探ってきました。

多くの方に教えられながらの旅を振り返り、沖縄のウタに少しでも近づけたら、と思います。

私の別ブログ「たるーの島唄人生」で書いたものをほぼ転載しますので、
すでに読まれた方は、すみません。
よろしくお願いします。

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2015年4月10日、沖縄は雨です。

ナークニーの系譜を求めて、あちこちを回っています。

空港から向かったのは「あやぐ節」にでてくる「落平の水」。



道ぬ美らさや 仮屋ぬ前 あやぐぬ美らさや 宮古ぬあやぐ
イーラヨー マーヌヨー 宮古ぬあやぐ エンヤラースーリ


にはじまる「あやぐ節」に

沖縄いもらば 沖縄ぬ主 うてぃんだぬ水に あみさますなよ
ばんたがかじゃぬ 美童匂いぬ うてぃがすゆら エンヤラースリ


この「うてぃんだ」がここの水というわけです。

ここの掲示板には(長いので一部を)

那覇港に出入りする船は、朝から夕方まで落平に参まり、取水のため、先を争って口論が絶えなかったという。中国からの冊封使(さっぽうし)一行の来琉を控え、落平を調べると、樋が壊れ、水量が減っていたため、泉崎村(いずみざきむら)の長廻筑登之親(ながさくチクドゥンペーチン)雲上等36人の寄付によって、1807年に落平の樋を修理し、さらに60間(約108m)程東に、新しい樋を設け、新旧2本の樋で給水に供したという(「落平樋碑記(ひひき)」)。



ここの石垣をボランティアで修理している方にお話を聞くと、もう最近では水は雨水くらいになってしまったようです。



ところで、なぜ、ナークニーの系譜に「あやぐ節」が?って疑問わきませんか?

それはもうすでに書いていますが(「あやぐ節」)、またおいおいまとめたいと思います。

まずは落平の井戸(カー)から。


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Posted by たる一 at 08:08│Comments(1)島唄コラム
この記事へのコメント
三線持ってはいるんですが、自己流なのもので...
自己満足に弾く程度にしております。
やっぱ、ちゃんとした指導者についたほうがいいのかなー...
Posted by Hello AgainHello Again at 2015年04月23日 08:33
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