2005年12月02日

いちゅび小節

いちゅび小節
'ichubi gwaa bushi

一、いちゅび小にふりて座喜味村通て通て通いぶさ喜名の番所
'ichubi gwaa ni furiti zachimimura kayuti kayuti kayuibusa china nu banjyu
○イチゴ(のような貴方)に惚れて座喜味村(に)通って 通って通ってみたい(何回も)喜名の番所(に)

(ハヤシ)さー思や がちょん 加那志がちょん
saa 'umuyaa ga chooN kanashi ga chooN
さー 恋する人が来る 慕う人が来る 

二、手拭うちかんてテール小手にかけて いちゅびむいなじき思や小が前に
tiisaaji 'uchikaNti tiiru gwaa tii ni kakiti 'ichubi mui najiki 'umuyaa gwaa ga mee ni
○手拭(を)うちかぶり手かごを手に掛けてイチゴをもぐふりをする 恋する人の前で

(ハヤシ)足早やあて行かあしびなに
'ashibaya 'ati 'ika 'ashibinaa ni
○足早に目当て(めざして)行きたい 遊び庭に

三、いちゅび小やなじきかなし思里に思ことのあてど毎夜通て
'ichubi gwaa ya najiki kanashi 'umisatu ni 'umukutu nu 'ati du meeyuru kayuti
○イチゴ(採り)のふりをして 慕う彼に思いがあるからこそ毎夜通って

(はやし)

四、通るがな通て自由ならぬあれば恋の氏神もあてやならぬ
kayuru gana kayuti jiyuu naraN 'atiba kui nu 'ujigamiN 'ati ya naraN
○通うだけ通って自由にならない(思いが通じない)のであれば恋の氏神もあてにはならない

解説
(語句)
・'uchikaNti 'uchi+kaNti うち かぶり
・てぃーる tiiru 手かご
・むい mui<mujuN もぐ
・なじき najiki ふりをする
・がな gana 限り

(コメント)
エイサー曲にもつかわれるが、民謡らしい民謡のひとつ。
いちゅび、いちごのような貴方にほれて通いつめる娘のいじらしさ。
いちごを取るふりをして彼氏に会い、いや、一目見ようと通う。
その熱い思い。
民謡酒場にいくとよく聴かれる。

私は師匠と出会って、最初に聞いた曲がこれだった。

同じ調子ではなく、タッタ、タッタと弾きなさいと教えられた。
たしかに工工四をみるとそういう表示がされている。

最初いちゅびは女性のほうを示しているのかと勘違いをしていた。
そういう意味でも、自分で訳してみると面白い。


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Posted by たる一 at 23:34│Comments(6)あ行
この記事へのトラックバック
いちゅび小に惚りて 座喜味むら通て 通て通いぶしゃ 喜納ぬ番所 あね思やがちょん かなしがちょん
いちゅび小【今泊農業新聞芸能部】at 2005年12月03日 09:48
「うひゃ〜」(><)・・・っと思わず声が出そうなほど今朝は寒かったです。室内気温が10度以下でした・・・仕事に行くのに、「気合」と言うか「勇気」が必要です^^;Aさてさて、実は相...
いちゅび小節(いちゅびぐゎぶし)【海翁の独り言「夏炉当然!」】at 2007年01月09日 12:17
この記事へのコメント
こんにちは。トラックバックさせて頂きました。
これは自前のサンバと唄三線でいちゅび小を録音してみたものです。
使ったソフトはiMacに付属のGarageBandです。

ところでふーちゃんは沖縄以外のHPでは別のHNを使ってましてこちら(oyakata)に移行中です。今後ともどうぞよろしくお願いします。
Posted by oyakata/ふーちゃん at 2005年12月03日 09:59
oyakataさん(と呼びますね)
トラックバックありがとうございます。

どんどんみなさんのご意見や、このように歌まで貼り付けてくださってこのブログが豊かになっていいきます。
うれしいかぎりです。

「マニアック」といわれますが、私のようなヤマトンチュがウチナーグチの歌を歌うとき、発音と意味には十分に注意を払いたいと思っているのですが、なかなか最初はそうはいかずに「真似」からはいります。それでいいと思います。そしていろいろな疑問を持ちだしたときに、調べる方法を、意訳した本などだけでなく直接辞書で調べてみるという方法をとりました。
こういう方法もあるのだ、とみなさんに知っていただけたらと思います。
Posted by たるー at 2005年12月03日 10:23
マニアックってとっても素晴らしい褒め言葉のつもりだったのですが。 本を出せるぐらい素晴らしいと思ってます。
私が三線をはじめたきっかけは民謡と関係のないところにあったせいもあって、意味を考えずに真似だけでうたってました。
だんなと出会って「意味がわかってたらそんなうたい方にはならない。 自分は意味がわからないとうたえない。」と指摘され少しは注意を払うようになりました。
でも工工四に載ってる少しの解説ではなかなかわからず、でも自分で調べるということまではしませんでした。
うちなーぐちやみゃーくふつにもようやく関心を持つようになり、もっとわかるようになりたいです。

Posted by あとぅを at 2005年12月04日 11:13
あとぅをさん、コメントありがとうございます。
いや、マニアック、いい響きですよ!
ただ辞書が首里語なもので、民謡のよさである島言葉(しまくとぅば)で生き生きと歌われる場合、手がでないという限界はあるのです。
しかし楽しい。
自分の歌っていて思っていた意味がとーってもいいかげんなものだったりしていたのがどんどんわかります。
もちろん訳は完全ではありません。
それどころか「直訳主義」なのでみょうちくりんな訳になっていたりするのですが、それは歌の世界に入り込むなにかの手がかりだと思っているのです。

またなにか気がついたことがあれば書き込みしてください。
Posted by たるー at 2005年12月04日 22:45
私の親しい人で光龍くんというのがいて、その光龍くんとよく話すのですが彼は気合い入ってる人で

「ウチナ−グチは、方言というのとは違う。『沖縄語』である」

という話をよくしています。この前提にたてば、例えば宮古の人が「方言」を恥ずかしいもの、そして民謡は古い、改めるべきものという認識ではなく、言語は文化であり、それぞれの文化は等価であるということになります。ですから、私個人としては、クイチャーが全く日本語に置き換えられたりしたら腹立ちますし、子供にも民謡は民謡のまま教えてあげないと宮古の先人達に失礼なのではと感じます。
必ずしもそうではない風潮にあせりもありますが、皆様はどうお考えでしょうか?
 言語には歴史があり、単なる言葉の置き換えでは済まないと思うのです。だからこそたるーさんは独自の訳出法で解釈していらっしゃるのがわかります。
Posted by gabaizu at 2005年12月07日 22:04
gabaizuさん、コメントありがとうございます。
民謡の訳は、その歌が作られた時と、歌い継がれていく間に付加されていった思いと、現在とでは同じものもあれば違うものもあります。
それを判断するのは非常に難しく、歌によっては、わざと抽象的にして誰もが心を入れられるようにしてあるものもあります。
「解釈」してしまうと現代の感覚が入り込みます。
今日もたねもりさんとながながと電話で「ば」の用法について話ていましたが、この「ば」という一言でも意味がずいぶん変わるのが分かります。
そのへんはまた書きたいと思います。
Posted by たるー at 2005年12月07日 22:52
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