2005年12月01日

海やから

海やから
'うみ やからー
'umi yakaraa

一、誰がし名付きたがどんどんぬガマや遊び美童ぬ忍び所
たがしなじきたが どんどん ぬ がまや 'あしびいやらびぬ しぬびどぅくる
taga shi najikitaga doNdoN nu gama ya 'ashibi miyarabi nu shinubi dukuru
('umiyakara doNdoN suuri 'ei suuri以下ハヤシ略)

誰が一体名付けたのかドンドンの洞窟は 遊び娘が忍び遊ぶ所


二、ドンドンガマ通てぃ 忍で ちゃさ我身や 出じみそりヤカラ 語て遊ば
どんどんがまかゆてぃ しぬでぃちゃさわみや 'んじみそり やから かたてぃ'あしば
doNdoN nu gama kayuti shinudi chasa wami ya 'Njimisori yakara katati 'ashiba
ドンドンの洞窟(に)通って忍んで来ちゃたさ 私は 出てきてくださいな (やから)語って遊ぼう


三、海やからに惚れてぃ かむるむんかまん 道端に泊まてぃ 親ぬ哀り
'うみやから に ふりてぃ かむるむん かまん みちばたにとぅまてぃ 'うやぬ'あわり
'umiyakara ni huriti kamuru muN kamaN michibata ni tumati 'uya nu 'awari
海で働く男に惚れて 食べ物(を)食べない 道端に泊まり 親は苦労(する)


四、なてぃんならりらん ぬちんぬかりらん いちゃさびが里前後ぬ事や
なてぃんならりらん ぬちんぬかりらん ’いちゃさびがさとぅめ 'あとぅぬくとぅや
natiN narariraN nuchiN nukariraN 'icha sabiiga satumee 'atu nu kutu ya
行くにも行けない 退くにも退けない どうしましょうか 貴方 将来の事は

解説
(語句)
・たーがしtaagasi 一体誰が
・海やからー'umiyakaraa 名詞の最後の母音をひっぱると人を表す。しかしヤカラは(働きのある人、力ある人)だからわざわざひっぱらなくてもよいのだろうが。
海ヤカラーは、海で働く人と訳した。ちなみに、海あっちゃー'umi'accaaは海を歩く人、つまり漁師。アメリカー'amerikaaはアメリカ人を指す。ただ若干敬意のない言い方なので気をつけたい。私も経験があるが、ヤマトンチュは「ないちゃーnaichaa」といわれたら気をつけたい。
・'んじゆゅん 'NjiyuN 出る
・みそーり ~misoori ~してください
・'あわり 'awari あわれ みじめさ 苦労
・なてぃんならりらん ぬちんぬかりらん
→なゆんnayuN 成る 行く。ぬちゅんnuchuN退く。
・'あとぅ'atu 将来 時間的な先の事が「あとぅ」で空間的な後(うしろ)は「くしkushi」と区別する。(cf.イサヘイヨー)
・'いちゃ さびーが 'icha・sabii・ga→ いかに・しましょう・か→どうしましょうか

(コメント)
嘉手苅林昌さんが園田青年会の地謡として歌ったものを訳した。
広島では、三原のエイサー隊がこれで踊っていた。
それを毎年のフラワーフェスティバルでの、エイサー隊共同の踊りとしていま踊っている。

海ヤカラーと娘の熱い恋、青年ならではの恋物語。
ちょっぴり教訓ももりこみ、ほどほどにしておけよと教えているようだ。
これを青年たちがエイサーで踊り、地謡が声を上げる。

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Posted by たる一 at 16:00│Comments(11)あ行
この記事へのトラックバック
謎はすべて解けた……!
海ヤカラ-1【千葉で楽しむ沖縄】at 2005年12月14日 11:27
(1のつづき)糸満には実際にいまもロンドンガマという洞窟は残っています…!
海ヤカラ-2【千葉で楽しむ沖縄】at 2005年12月14日 11:27
この記事へのコメント
こんにちは。このようなブログがあることをはじめて知りました。とても感心しております。
たくさん見ましたが、ここでコメントを述べます。
「海ヤカラ」はなぜ洞窟に住んでいたのか、なぜ村の娘たちにモテたのか。発祥地糸満では、「海ヤカラ」はイギリスの船乗りたち8名が琉球に漂着したという伝説があります。村人になじめず洞窟で暮らしていたそうです。ドンドンはロンドンで、8人の外人はエイトマンで糸満(イトマン)の語源にもなっているそうです。今でもイトマンでは緑色の瞳の子がたまに生まれるそうです。これって隔世遺伝?
Posted by じんじん at 2005年12月08日 00:19
じんじんさん、おひさしぶりです!コメントありがとうございます。
ここまで続くとは自分でも驚きます。たまっていたものがドットでてくるような感じです。

ドンドン=ロンドン説存じてます。おもしろい話ですね。
本土でも桃太郎などの鬼がそういう説で語られることもありますね。
この歌、おもしろいのは海ヤカラのことはほとんどかたられない。娘の恋物語なのですよね。
Posted by たるー at 2005年12月08日 06:20
はじめまして(^-^)

「千葉で楽しむ沖縄」というブログの書き手の一人をしています、よーかいと申します。
「海ヤカラ」、トラバさせていただきました。
こちらのはかなり不真面目な意訳ですが…(^_^;)

それにしても、島唄を本当に真剣に研究されている様子が伝わってきます。
すごいですね!

これからもよろしくお願いします♪
Posted by よーかい at 2005年12月14日 11:31
よーかいさん
コメントありがとうございます。
ブログも見せていただきましたよ。
なかなか楽しい夢のある話ですよね。

ドンドンの「d」はよくウチナーグチでは「r」に置き換わります。独り言「どぅーちゅいむにー」は「るーちゅいむにー」になったり。友の「どぅし」を「るし」といったり。
ドンドンはロンドンになるのも合理的です。逆もありますからね。

こちらこそよろしくお願いします。
Posted by たるー at 2005年12月14日 19:05
沖縄県糸満市教育委員会生涯学習振興課長の金城善と申します。
糸満市が「海人のまち宣言」をするというので、「海人」はもうすでにどこにもあふれているロゴであり、いまさら糸満市が宣言するものでは、ないと思い、昔からある「海やから」をネットで検索したらここにたどり着きました。
2005年12月08日の じんじん さんの次のようなコメントには、びっくりしました。

「海ヤカラ」はなぜ洞窟に住んでいたのか、なぜ村の娘たちにモテたのか。発祥地糸満では、「海ヤカラ」はイギリスの船乗りたち8名が琉球に漂着したという伝説があります。村人になじめず洞窟で暮らしていたそうです。ドンドンはロンドンで、8人の外人はエイトマンで糸満(イトマン)の語源にもなっているそうです。今でもイトマンでは緑色の瞳の子がたまに生まれるそうです。これって隔世遺伝?

8代も続くソーイチマンチュ(生粋の糸満人)としては、びっくりです。
8代より先に何代成るかわかりませんが、糸満市字真栄里から字糸満に漁業をしに移動してきた者の子孫です。
字真栄里は、ドンドンガマがあり、海やから伝説のあるところです。
彼に惚れて家に帰らなかった娘は、この村の出です。もし、彼が外人で、彼女との間に子ができたとしても、そのことが糸満ウミンチュに「緑色の瞳の子」がたまにではあっても生まれるのでしょうか。
糸満ウミンチュは、魚を獲っても、大きな魚のほとんどは売ってしまい、自らが食べるものは、ヒカーグヮーと呼ばれる小魚であったといいます。そのことがカルシウムを多く摂取し、他の地域の農民とは違う体格になったことだと思います。このことが、いつのまにか糸満人は外人の子孫だとか、ドンドンはイギリスロンドンだとか、「いとまん」はエイトマンがなまったものだとか、いろいろ言われています。
ドンドンガマは、字糸満の上久茂地腹という門中にとっては、たいへん神聖な拝所です。門中の方々の協力を得て、発掘調査ができれば、ことの真相を明らかにすることができるかもしれません。

いまこそ、糸満市は「海やからのまち」宣言をして、漁業の振興を図っていくべきだと思います。
宮古島では海やからのことを「イムヤカラ」というそうです。「イム」は海のことですので、「海やから」は漁師を意味する古語であろうと思います。
Posted by 金城善 at 2006年09月05日 10:50
金城善さん
コメントありがとうございます。
いろいろな意見がある「海ヤカラー」の解説について「ドンドンガマ」があるご当地の方のご意見を頂いてとても参考になります。
みなさんのご意見もとても参考になります。どれが本当なのか私には知る由もないのですが、今後の参考にさせていただきます。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年09月06日 06:27
間をおいてしまったけど、金城さんの努力でしょうか。「糸満市」は「海やからの町」を宣言しましたね!
たるーさん、うれしい話ですよね。
Posted by じんじん at 2006年12月17日 19:03
じんじんさん
ほんとごぶさたしてます。
糸満市、おめでとうございます。
私の所属する「広島英エイサー琉風会」
得意は「海ヤカラー」です。
いつか糸満に行って演舞できたらいいなあ。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年12月17日 23:02
勝連沖にある津堅島の島民は顔立ち・体格が欧州系で漂着した商船の乗組員の末裔かもしれない
今はもう特徴は薄れていると思うけど、昔は下地勇かそれ以上に立体的な顔が平均値くらいって白人的な容姿だった
Posted by トゥンジー at 2010年04月27日 19:15
関さん こんにちは

糸満の語源がエイトマンからきてる・・このサイトで知ってびっくりです(・o・)

実は、私の中学の同級生に糸満君がいて、あだ名が「エイトマン」でした
この語源を知って付けられたのか・・はたまた偶然か・・・

彼は 「エイトマン」「エイト~」としか呼ばれず本名を知らない人が多いくらいでした。。。^^;
まさか、エイトマン→糸満 エイトマンが先だったとは・・・!

彼に話したら、「糸満がエイトマンからきてる・・というのは聞いたことがある。・・・でも本当の話かなぁ??」 だそうです

語源もいろいろ調べると面白いですね
Posted by てぃんさぐ at 2012年05月08日 15:00
てぃんさぐさん

ありがとうございます。

面白い説だと思って参考にさせていただいてます。

語源は調べると目からウロコが落ちるときがありますのでお気をつけください(笑)
Posted by たる一たる一 at 2012年05月11日 09:54
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