2009年03月12日
九年母木節
九年母木節
くぬぶんぎぶし
kunubuNgi bushi
語句・くぬぶんぎ 「くにぶんぎ」(kunibuNgi)とも言う。「九年母」(kunibu)とは「オレンジ類の総称。みかんなど。kaabucii(実の皮が厚く、汁が少なく甘いもの)、'ootoo(実の皮が薄く、汁が多く、すっぱいもの)などの種類がある」(沖)。実がなるのに九年程もかかることからその名前がついたとされるが、原産はタイ、インドネシア。中国から沖縄に渡ったとされる。そして語源はサンスクリット語で「ライムの総称がnimbu、接頭語のkuがついたもの」という説もある。俳句の季語にもある。
一、九年母木ぬ下うてぃ(ヨ スーリー)香ばさん木ぬ 陰ぬ下うてぃ(スーリー)遊び出来らさや
くぬぶんぎぬしちゃうてぃ かばさんぎぬ かぎぬしちゃうてぃ 'あしびでぃきらさや
kunubuNgi nu shicya uti kabasaNgi nu kagi nu shicha uti 'ashibi dikirasa ya
○九年母木の下で、香り高い木の陰の下で 遊び盛り上げたいね
語句・うてぃ 直訳では「居て」だが「・・で」と訳すことが多い。 ・かばさん 香り高い。 ・でぃきらさ 成功させたい、盛りあげたい。 <でぃきゆん よくできる。うまくいく。成功する。の未然形「・・したい」と希望をあらわす。
二、花惚り二才達が仕様や(ヨ スーリー)色惚りサー惚り まんぶりそうてぃる(スーリー)面白むんてぃふぁよ
はなぶりにせたがしじゃまや 'いるぶりさーぶり まんぶりそーてぃる 'うむしるむん てーふぁよ
hanaburi niseta ga shijama ya 'iruburi saa buri maNburi sooti ru 'umushirumuN teehwaa yo
○花(女)に惚れた青年達のしたことは 色(気)に惚れちょっと惚れ 首ったけ 面白いもの おかしい者だね
語句・はなぶり 「はな」は植物の「花」以外「華やかな」「遊郭の」「美しい」など隠喩が多い。ここでは「女に惚れた」と。・いるぶり さーぶり 「さー」は「ちょっと」。「さーふーふー」(ほろ酔い)。・まんぶり 「首ったけ。まる惚れの意」(沖)。・てーふぁー 「おどけ者」(沖)。または「てーふぁ」で「冗談、おどけ。こっけい」(沖)の意味もある。
三、花惚り二才達が美童まちぢや(ヨ スーリー)香ばさん木ぬ 陰ぬ下やさ(スーリー)遊び語らなや
はなぶりにせたがみやらびまちじや かばさんぎぬ かぎぬしちゃやさ 'あしびかたらなや
hanaburi nisetaa ga miyarabi machiji ya kabasaNgi nu kagi nu shicha yasa 'ashibi katarana ya
○女に惚れた青年達が娘を待つところは香り高い木の陰の下でだよ 遊び語りたいね
語句・まちじ <まち+じ(地) 待ち所。
四、花惚り二才達が花染み手拭や(ヨ スーリー)美童達がる 染みてぃ呉てえさ(スーリー)他所にや知らすなよ
はなぶりにせたがはなずみてぃさじや みやらびたがるすみてぃくぃてさ ゆすにしらすなよ
hanaburi niseta ga hanazumi tisaji ya miyarabita ga ru sumiti kwiti sa yusu ni shirasuna yo
○女に惚れた青年達の花染め手ぬぐいは 娘たちが染めて呉れたんだよ 他所に知らせるなよ
語句・る 強調の「どぅ」(du)の「d」が「r」と入れ替わったもの。
五、九年母木ぬ下うてぃ(ヨ スーリー)布巻ちゅる女(スーリー)あんしん美らさるや 今帰仁御神ぬ妹どぅやがや
くぬぶんぎぬしちゃうてぃ ぬぬまちゅるうぃなぐ 'あんしんちゅらさるや なきじん'うかみぬ'うっとぅどぅやがや
kunubuNgi nu shicha uti nunumachuru winagu 'aNshiN churasaru ya nakijiN 'ukami nu 'uttu du yagaya
○九年母木の下で布巻いている女 あんなにも美しいよ!今帰仁御神の妹でこそあろうか!
語句・なきじんうかみ 「今帰仁御神」は「今帰仁の城霜ないの九年母志慶真乙樽がぬきやいはきやい」(今帰仁の城節)にでてくる志慶真乙樽をさしている。絶世の美女とされるが、この歌は士族のものではなく庶民が歌っていた証拠があるため、架空の女性だといわれている。ここでは、「その美女の妹ではないか!」と。 ・うっとぅ 「弟。妹」(沖)をさす。男女の区別はないが、ここでは女性をさす。
六、イェー亀ぢゃー汝や(ヨ スーリー)したたか あまちゃる あんまくやしが(スーリー)汝がん惚りやゆら 我がん惚りゆさ
'えー かみじゃー 'やーやしたたか'あまちゃる 'あんまくやしが'やー 'やーがんふりゆら わーがんふりゆさ
'ee kamijaa 'yaa ya sitataka 'amacharu 'aNmaku yashiga 'yaa gaN huriyura waa gaN huriyusa
○おい カミジャー(名前) お前はけっこう暴れ者で腕白者だけれど お前でも惚れるだろう 俺も惚れたよ
語句・したたか ・あまちゃる <あまゆん 「あばれる。いたずらなどをして騒ぐ。主として子ども・犬・猫などについていう」(沖)。 ・あんまく 「腕白。きかん坊。乱暴者」(沖)。
七、ありに惚りらん男や(ヨ スーリー)奥武山ぬヒグどぅ(スーリー)ヒグどぅやるはじど
'ありにふりらんうぃきがや'おーぬやまぬふぃぐどぅ ふぃぐどぅやるはじど
'ari ni hiriraN wikiga ya 'oonuyama nu hwigu du hwigu du yaruhaji do
○彼女に惚れない男は奥武山のヘゴしか ヘゴしかいないはずだよ
語句・ふぃぐ へご。茶化す場合に代名詞として使われる。(参照 ハンタ原)
八、イェーアバ小(ヨ スーリー)年幾ちなゆが(スーリー)十七、八やゆら我んねえ三十
'えー'あばぐゎ とぅし'いくちなゆが じゅうしちはちやゆら わんねーさんじゅー
'ee 'abagwa tushi 'ikuchi nayuga juushichi hachi yayura waN nee saNjuu
○おい ねえちゃん 年は幾つになるか?十七、八であろうか?俺は三十だ
九、あん美らさ 香ばさ(スーリー)咲ち美らさ(スーリー)あんしん美らさるや
'あんちゅらさ かばさ さちじゅらさ 'あんしんちゅらさるや
'an churasa kabasa sachijurasa 'aNshiN churasaru ya
○あの(九年母木の)ように美しいことよ!香りだかいことよ!咲いて美しい!あのようにも美しいねえ!
くぬぶんぎぶし
kunubuNgi bushi
語句・くぬぶんぎ 「くにぶんぎ」(kunibuNgi)とも言う。「九年母」(kunibu)とは「オレンジ類の総称。みかんなど。kaabucii(実の皮が厚く、汁が少なく甘いもの)、'ootoo(実の皮が薄く、汁が多く、すっぱいもの)などの種類がある」(沖)。実がなるのに九年程もかかることからその名前がついたとされるが、原産はタイ、インドネシア。中国から沖縄に渡ったとされる。そして語源はサンスクリット語で「ライムの総称がnimbu、接頭語のkuがついたもの」という説もある。俳句の季語にもある。
一、九年母木ぬ下うてぃ(ヨ スーリー)香ばさん木ぬ 陰ぬ下うてぃ(スーリー)遊び出来らさや
くぬぶんぎぬしちゃうてぃ かばさんぎぬ かぎぬしちゃうてぃ 'あしびでぃきらさや
kunubuNgi nu shicya uti kabasaNgi nu kagi nu shicha uti 'ashibi dikirasa ya
○九年母木の下で、香り高い木の陰の下で 遊び盛り上げたいね
語句・うてぃ 直訳では「居て」だが「・・で」と訳すことが多い。 ・かばさん 香り高い。 ・でぃきらさ 成功させたい、盛りあげたい。 <でぃきゆん よくできる。うまくいく。成功する。の未然形「・・したい」と希望をあらわす。
二、花惚り二才達が仕様や(ヨ スーリー)色惚りサー惚り まんぶりそうてぃる(スーリー)面白むんてぃふぁよ
はなぶりにせたがしじゃまや 'いるぶりさーぶり まんぶりそーてぃる 'うむしるむん てーふぁよ
hanaburi niseta ga shijama ya 'iruburi saa buri maNburi sooti ru 'umushirumuN teehwaa yo
○花(女)に惚れた青年達のしたことは 色(気)に惚れちょっと惚れ 首ったけ 面白いもの おかしい者だね
語句・はなぶり 「はな」は植物の「花」以外「華やかな」「遊郭の」「美しい」など隠喩が多い。ここでは「女に惚れた」と。・いるぶり さーぶり 「さー」は「ちょっと」。「さーふーふー」(ほろ酔い)。・まんぶり 「首ったけ。まる惚れの意」(沖)。・てーふぁー 「おどけ者」(沖)。または「てーふぁ」で「冗談、おどけ。こっけい」(沖)の意味もある。
三、花惚り二才達が美童まちぢや(ヨ スーリー)香ばさん木ぬ 陰ぬ下やさ(スーリー)遊び語らなや
はなぶりにせたがみやらびまちじや かばさんぎぬ かぎぬしちゃやさ 'あしびかたらなや
hanaburi nisetaa ga miyarabi machiji ya kabasaNgi nu kagi nu shicha yasa 'ashibi katarana ya
○女に惚れた青年達が娘を待つところは香り高い木の陰の下でだよ 遊び語りたいね
語句・まちじ <まち+じ(地) 待ち所。
四、花惚り二才達が花染み手拭や(ヨ スーリー)美童達がる 染みてぃ呉てえさ(スーリー)他所にや知らすなよ
はなぶりにせたがはなずみてぃさじや みやらびたがるすみてぃくぃてさ ゆすにしらすなよ
hanaburi niseta ga hanazumi tisaji ya miyarabita ga ru sumiti kwiti sa yusu ni shirasuna yo
○女に惚れた青年達の花染め手ぬぐいは 娘たちが染めて呉れたんだよ 他所に知らせるなよ
語句・る 強調の「どぅ」(du)の「d」が「r」と入れ替わったもの。
五、九年母木ぬ下うてぃ(ヨ スーリー)布巻ちゅる女(スーリー)あんしん美らさるや 今帰仁御神ぬ妹どぅやがや
くぬぶんぎぬしちゃうてぃ ぬぬまちゅるうぃなぐ 'あんしんちゅらさるや なきじん'うかみぬ'うっとぅどぅやがや
kunubuNgi nu shicha uti nunumachuru winagu 'aNshiN churasaru ya nakijiN 'ukami nu 'uttu du yagaya
○九年母木の下で布巻いている女 あんなにも美しいよ!今帰仁御神の妹でこそあろうか!
語句・なきじんうかみ 「今帰仁御神」は「今帰仁の城霜ないの九年母志慶真乙樽がぬきやいはきやい」(今帰仁の城節)にでてくる志慶真乙樽をさしている。絶世の美女とされるが、この歌は士族のものではなく庶民が歌っていた証拠があるため、架空の女性だといわれている。ここでは、「その美女の妹ではないか!」と。 ・うっとぅ 「弟。妹」(沖)をさす。男女の区別はないが、ここでは女性をさす。
六、イェー亀ぢゃー汝や(ヨ スーリー)したたか あまちゃる あんまくやしが(スーリー)汝がん惚りやゆら 我がん惚りゆさ
'えー かみじゃー 'やーやしたたか'あまちゃる 'あんまくやしが'やー 'やーがんふりゆら わーがんふりゆさ
'ee kamijaa 'yaa ya sitataka 'amacharu 'aNmaku yashiga 'yaa gaN huriyura waa gaN huriyusa
○おい カミジャー(名前) お前はけっこう暴れ者で腕白者だけれど お前でも惚れるだろう 俺も惚れたよ
語句・したたか ・あまちゃる <あまゆん 「あばれる。いたずらなどをして騒ぐ。主として子ども・犬・猫などについていう」(沖)。 ・あんまく 「腕白。きかん坊。乱暴者」(沖)。
七、ありに惚りらん男や(ヨ スーリー)奥武山ぬヒグどぅ(スーリー)ヒグどぅやるはじど
'ありにふりらんうぃきがや'おーぬやまぬふぃぐどぅ ふぃぐどぅやるはじど
'ari ni hiriraN wikiga ya 'oonuyama nu hwigu du hwigu du yaruhaji do
○彼女に惚れない男は奥武山のヘゴしか ヘゴしかいないはずだよ
語句・ふぃぐ へご。茶化す場合に代名詞として使われる。(参照 ハンタ原)
八、イェーアバ小(ヨ スーリー)年幾ちなゆが(スーリー)十七、八やゆら我んねえ三十
'えー'あばぐゎ とぅし'いくちなゆが じゅうしちはちやゆら わんねーさんじゅー
'ee 'abagwa tushi 'ikuchi nayuga juushichi hachi yayura waN nee saNjuu
○おい ねえちゃん 年は幾つになるか?十七、八であろうか?俺は三十だ
九、あん美らさ 香ばさ(スーリー)咲ち美らさ(スーリー)あんしん美らさるや
'あんちゅらさ かばさ さちじゅらさ 'あんしんちゅらさるや
'an churasa kabasa sachijurasa 'aNshiN churasaru ya
○あの(九年母木の)ように美しいことよ!香りだかいことよ!咲いて美しい!あのようにも美しいねえ!
かつて嘉手苅林昌氏や登川誠仁氏らによって
三線の美ら弾きにのせて歌われた「九年母木節」
最近は、私自身あまり聴く機会がないので、
時代の変化なのか、とすこし残念に思う。
九年母木の下で、待ち合わせをして愛を語り合ったり、
その下で美女をくどく単純なストーリー。
おそらく元歌は八重山民謡の「あがろーざ」ではないかと思う。二回ほど入る囃子の形式や、「九年母木」がテーマの一つになっていることなどから。曲調は似ている部分もなくはない。
こちらは、当時の若い男女の有様がそのまま歌に照射されている。
そして、それを客観的に描き出して、滑稽にもみせる。
歌詞がサンパチロクの琉歌になっていないところを見ると古い歌を残しているのか。
歌詞の長さも、まちまち。ばらばら。
また歌者によって歌詞もがらりと変わる。
テーマを同じにいておいて、表現を個々人の好みに変化させる、これぞまさしく沖縄民謡。
自由度の高さは、歌者の技量(年月の積み重ねとセンス)に依拠する。
それゆえ、最近の歌者では、「かなわない」歌なのかもしれない。
もちろん聴く人々の変化も大きい。ウチナーグチのやりとりの面白さが
わからない観客が増えれば当然その歌は歌われなくなる。
それでも、こういう歌を自由に歌いこなす歌者の登場を期待したいと願うのは
いかにも他人任せであろうか。
三線の美ら弾きにのせて歌われた「九年母木節」
最近は、私自身あまり聴く機会がないので、
時代の変化なのか、とすこし残念に思う。
九年母木の下で、待ち合わせをして愛を語り合ったり、
その下で美女をくどく単純なストーリー。
おそらく元歌は八重山民謡の「あがろーざ」ではないかと思う。二回ほど入る囃子の形式や、「九年母木」がテーマの一つになっていることなどから。曲調は似ている部分もなくはない。
こちらは、当時の若い男女の有様がそのまま歌に照射されている。
そして、それを客観的に描き出して、滑稽にもみせる。
歌詞がサンパチロクの琉歌になっていないところを見ると古い歌を残しているのか。
歌詞の長さも、まちまち。ばらばら。
また歌者によって歌詞もがらりと変わる。
テーマを同じにいておいて、表現を個々人の好みに変化させる、これぞまさしく沖縄民謡。
自由度の高さは、歌者の技量(年月の積み重ねとセンス)に依拠する。
それゆえ、最近の歌者では、「かなわない」歌なのかもしれない。
もちろん聴く人々の変化も大きい。ウチナーグチのやりとりの面白さが
わからない観客が増えれば当然その歌は歌われなくなる。
それでも、こういう歌を自由に歌いこなす歌者の登場を期待したいと願うのは
いかにも他人任せであろうか。
Posted by たる一 at 10:02│Comments(4)
│か行
この記事へのコメント
九年母木節は北谷の栄口(えぐち)エイサーで歌われているようです。
『よなは徹 presents エイサーDEスリサーサー』
に収録されていますよ。
『よなは徹 presents エイサーDEスリサーサー』
に収録されていますよ。
Posted by kta at 2009年03月13日 15:41
ktaさん
お知らせありがとう。
エイサーでは古い歌もよく歌われるでしょうね。
民謡としても歌われているとは思います。
ただ私の住むところが沖縄ではないために
直接聴く機会がないのも要因でしょう。
お知らせありがとう。
エイサーでは古い歌もよく歌われるでしょうね。
民謡としても歌われているとは思います。
ただ私の住むところが沖縄ではないために
直接聴く機会がないのも要因でしょう。
Posted by たるー(せきひろし) at 2009年03月13日 16:48
九年母木節系統は普通に北谷町から読谷村にかけて未だに分布してますよ?
子守唄が本来の姿ですが、三線唄化して少しばかり賑やかな感じになったようですが、子守唄として唄うと地区により節回しがかなり異なるのが特徴です、歌詞の表現方法も旧北谷村の南北でも異なりますし、読谷村南部と北部でも異なります。
子守唄が本来の姿ですが、三線唄化して少しばかり賑やかな感じになったようですが、子守唄として唄うと地区により節回しがかなり異なるのが特徴です、歌詞の表現方法も旧北谷村の南北でも異なりますし、読谷村南部と北部でも異なります。
Posted by くがなー at 2011年07月10日 15:21
この曲を練習しようと思い検索したら関さんのブログへたどり着きました。
参考にさせていただきます。
ありがとうございます。
参考にさせていただきます。
ありがとうございます。
Posted by 仲ちゃん at 2018年12月07日 22:47
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