2008年12月18日

十九の春

十九の春
じゅうくのはる
juuku no haru


一、わたしがあなたにに惚れたのは ちょうど十九の春でした いまさら離縁と言うならば もとの十九にしておくれ
watashi ga anata ni horeta no wa choodo juuku no haru deshita  imasara rieN to yuu naraba motono jyuuku ni shiteokure


二、もとの十九にするならば 庭の枯れ木を見てごらん 枯れ木に花が咲いたなら 十九にするのもやすけれど
moto no jyuuku ni surunaraba niwa no kareki wo mitegoraN  karekini hana ga saitanara jyuuku ni suru nomo yasukeredo


三、見捨て心があるならば 早くお知らせくださいね 年も若くあるうちに 思い残すな明日の花
misutegokoro ga arunaraba hayaku oshirase kudasaine  toshi mo wakaku aru uchini omoi nokosuna asu no hana


四、一銭二銭の葉書さえ 千里万里と旅をする 同じコザ市に住みながら 会えぬ我が身のせつなさよ
isseN niseN no hagaki sae seNri maNri to tabiwo suru  onaji kozashi ni suminagara aenu waga mi no setsunasa yo


五、 主さん主さんと呼んだとて 主さんにゃ立派な方がある いくら主さんと呼んだとて 一生忘れぬ片思い
nushi saN nushi saN to yoNda tote nushisaNiya rippa na kataga aru  ikura nushisaN to yoNdatote issyoo wasurenu kataomoi


六、奥山住まいのウグイスは 梅の小枝で昼寝して 春が来るよな夢を見て ホケキョホケキョと鳴いていた
okuyama zumai no uguisu wa ume no koeda de hirune shite  haru ga kuruyona yume wo mite hokekyo hokekyo to naiteita.



「十九の春」をとりあげた。

「十九の春」は、本土では75年に田端義男がギター片手に歌い「歌謡曲」としてヒットさせ、
沖縄では三線でさまざまな歌手が歌って「沖縄民謡」に加えられる。

まったくのヤマト口で歌われるから本土の人間にも親しまれる曲のひとつ。

私が解説するまでもなく、テーマは、1から3までは「見捨て心」がある男(夫)に、女(妻)が
「元の十九に戻して」とないものねだりをすれば「枯木に花が咲く」ものか、と軽くいなす男との
やりとり。

しかし、4から6にかけては、テーマが変わっているようにもみえる。
「主さん」がいる相手への片思い?とも受取れる。

沖縄ではコンビ歌で歌われ、女、男・・最後六番は男女一緒。


前回とりあげた「与論小唄」をベースに、与那国の本竹裕介さんが補詞編曲したという。
田端義男さん(バタやん)はその歌詞を歌っている。

さて歌のルーツに関する議論であるが、
簡単にまとめるとこうなる。


当時(1905年頃)流行の添田唖蝉坊がつくった「ラッパ節」が全国に流布。
       ↓
台風被害を受けた与論の人々が長崎の炭鉱に出稼ぎに行きそこで「ラッパ節」を元に
「与論ラッパ節」、「与論小唄」などを作る。
       ↓
沖縄本島で本竹裕介さんが補詞編曲し「十九の春」を作る。
1975年、本土にも歌謡曲として知られる。

「十九の春」は1世紀近い時間を、多くの人々の口を介して作られ、広がっていった。
その背景には、日本の炭鉱政策に吸収された離島(奄美、与論、沖永良部島など)の人々の苦しみがあった。
元歌である「ラッパ節」が広がった背景にも、日中、太平洋戦争へといたる日本の政策の下で炭鉱や紡績などで
働く人々、農民や兵士などの憤りがあったという。

「十九の春」をめぐるエピソードをいくつか記しておきたい。

◎奄美の歌者、朝崎郁恵さんが歌う「嘉義丸の歌」がある。
1943年に大阪から沖縄に向かう嘉義丸がアメリカ軍に撃沈されたことを歌っているが
これは、郁恵さんのお父様がつくられ「与論小唄」「十九の春」と同じメロディーである。

◎「ラッパ節」を作った添田唖蝉坊は、フランス人シャルル・ルルーが作曲した「抜刀隊」を元に
「ラッパ節」を作ったという説もある。(小島美子氏による)
確かにソウルフラワーユニオンが復活させた「ラッパ節」は、軍楽隊の曲の雰囲気を感じることができる。
皮肉にもあの「軍艦マーチ」に似ているといえばいいすぎだろうか。
欧州の音階が日本の歌に強い影響を与え、好まれることはよくあることである。

◎よく知られた「炭鉱節」と「十九の春」は兄弟関係かもしれない。

炭坑節:
「月が出た出た 月が出た 
三池炭鉱の上にでた 
あんまり煙突が高いので
さぞやお月さん煙たかろう」

この歌詞が、添田唖蝉坊が作った「奈良丸くずし」という曲のなかにそっくりあるという。
(小川学夫氏による)

奈良丸くずし;
「月が出た出た 月が出た 
セメント会社の上にでた 
東京にゃ煙突が多いから
さぞやお月様 煙たかろう

小川氏は与論の人々は「ラッパ節」だけでなく「奈良丸くずし」とそれをもとにした「炭坑節」も参考に
したのではないかといわれている。

実は「炭鉱節」の中にこのような歌詞がある。

「あなたがその気でいうのなら 思い切ります 別れます もとの十八に返してくれたら 別れます」

まとめると。
シャルル・ルルー「抜刀隊」→添田唖蝉坊「ラッパ節」、「奈良丸くずし」→全国に「ラッパ節」流行→「ラッパ節」「奈良丸くずし」「炭坑節」などから「与論ラッパ節」「与論小唄」→「十九の春」


とにかく、歌はどこかでつながり、世界をもかけめぐる。
その根底にはつらい仕事や苦しみがあり、それを乗り越えるのは歌にこめた愛と希望である。

昨今のアメリカの金融危機にはじまる景気の落ち込み、そしてはじまった大量の解雇。
正月を前に家も仕事もない人々が世にあふれる時代に直面している。
「ラッパ節」や「与論小唄」「十九の春」を歌ってきた人々と同じ苦しみなのかもしれない。
暗くならず、弱気にならず時代を切り開いていく力を歌に求めたい。



【このブログが本になりました!】
十九の春

書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら












同じカテゴリー(さ行)の記事
さらうてぃ口説
さらうてぃ口説(2018-04-19 17:44)

安里屋ゆんた
安里屋ゆんた(2018-04-12 07:07)

門たんかー
門たんかー(2018-02-02 23:56)

じんだま
じんだま(2016-09-22 14:42)

下千鳥  6
下千鳥 6(2015-09-12 14:36)

スーキカンナー 2
スーキカンナー 2(2014-12-05 14:09)


Posted by たる一 at 11:11│Comments(12)さ行
この記事へのコメント
私は沖映通りでこのレコードを買って帰りに十貫瀬という飲み屋街で飲んで朝帰りになったら、レコードが床に落ちていました。
帰って三線を準備して音で覚えて弾こうとしたら、レコードにキズが入っていて・・・途中で同じことばかり繰り返すのです。

私が あなた~に ほ~  た~に ほ~ た~に ほ~ た~に ほ~ た~に ほ~ た~に ほ~ た~に ほ~ た~に ほ~ た~に ほ~ 
Posted by 千之家(せんのや) at 2008年12月18日 14:18
千之家さん

何回ものコピペご苦労様です(笑)

レコードで練習なさるとは、いまでは考えられない話ですね。

でもCDでは、よくやります。

難しい箇所だけ、何回もリピートさせて勉強するのです。

「あなた~に ほ~ あなた~に ほ~ あなた~に ほ~
・・・・・

頭にしっかり残ったでしょうね!
Posted by たるー at 2008年12月18日 16:28
此の唄は崩して唱われる事も多いですね.
下ネタ系で....

ラッパ節は嘉手苅林昌のCDでよく聴きましたが、全国区の唄だったんですね.

全体を通して、首里から辺境に派遣された役人と現地妻の間の話しと思っていました.1〜3番は主人と妻の間の話しだったんですね.
Posted by Ai_Nyai at 2008年12月18日 16:50
もしもし ちょいと 春子さん 
わたしゃ あなたに ほーれんそう~ 

という歌もありました。このレコードも キズが入ってしまいまして 繰り返しました。

もしもし ちょいと 春子さん 
わたしゃ あなたに ほー たに ほー たに ほー たに ほー たに ほー たに ほー たに ほー たに ほー たに ほー たに ほー たに ほー 

男根を たに というのですね。 ほ~ って???
Posted by 千之家(せんのや) at 2008年12月18日 20:20
千之家さん

「ラッパ節」ですね。

「ほー たに」

「ほーれんそう」の繰り返し、にしては無理、ありません?(笑)
Posted by たるー(せきひろし)たるー(せきひろし) at 2008年12月20日 10:49
色んな意見、ありがとう。
Posted by てるお at 2009年03月12日 20:17
「おはようございます」と言ったほうが今の日本の時間たいは合うでしょうか?

十九の春も母が歌ってて大好きでした!!

うちの子供たちにも早速歌ってあげたいです!!!

こうしてたるーさんのブログに来ると沖縄がとっても近くなって寂しくありませ

ん。たくさんわからない歌がありますが、来沖した時には絶対民謡音楽CD買いたいです。
Posted by sas at 2009年04月19日 08:06
sasさん
おひさしぶりです。
今はこんばんは、になりました(笑)

「かなさんど」にコメントを昔いただきましたね。
そうですか、デンマークにお住まいなんですね~

遠いところから、ありがとうございます。

十九の春、新しい歌なのにいろいろな背景があって
いろいろな人にいろいろな歌詞で歌われて
そして世界にも広がっていくかも、知れないですね。

私の拙いブログでも「沖縄」を思い出してくださるなんて光栄です。
ぜひCDを買いあさってくださいね。
私もそうします。
Posted by たるー(せきひろし)たるー(せきひろし) at 2009年04月19日 18:08
私は、40代後半の男性です。田端義夫さんがこの歌を歌われていた1975年、無知な中学生であった私は、淳子の「十七の夏」のパチモンが!「人気絶頂のアイドルの歌にあやかって、落ち目の演歌歌手が延命に必死やのう。」と怒りと哀れみの目で見ていた覚えがあります。
 動画サイトで十七の夏を見て、そう言えば十九の春と言う歌があったなあと検索したどり着きました。
自分の無知を恥じる気持ちと、今になって聞いてみるとなかなか言い歌やんと実感いたしました。
Posted by PONKICHI at 2009年12月04日 03:55
PONKICHIさん
コメントありがとうございます。

実に35年ぶりに「十九の春」を再評価されたわけですね。

私は思わず淳子の「十七の夏」を聞き直してみましたよ!

いや懐メロになりましたね〜

しかし「十九の春」は、いつまでも新しさを保っていますよ。

誰かがどこかでいつも歌い継がれているからでしょうか。
Posted by たるー(せきひろし) at 2009年12月10日 09:09
これは津波恒徳先生が与論島から『与論小唄』と『与論(大島とか徳之島とか現地では呼ばれる)ラッパ節』を履修して持ち帰って改作したものです。
『十九の春』というタイトル自体が創作です。
当該歌詞の原歌詞
〇私が貴方に惚れたのは
丁度十八花盛り
今更離縁と言うのなら
元の十八戻してよ
が該当します。
また既に与論から沖縄県内へは現在の与論小唄のメロディーも、大島ラッパ節のメロディーも持ち込まれており、沖縄本島の赤線地帯では『吉原小唄』やら『ジュリグヮー小唄』などとしてかなり下品とも言えるストレートな表現の歌詞であったそうです。ちなみに大島ラッパ節は石垣島へ伝播し『白保小唄』などに変化しています。
津波先生は『与論小唄』や『大島ラッパ節』にあった歌詞と沖縄本島の『吉原小唄』と一致する歌詞を集めて編集し、歌詞から下品さを除去する改作をし、当時の弟子の本竹裕助さんと娘の津波洋子さんコンビに提供し、本竹さんのデビュー曲としてキャッシュを本竹さん所有として発売しました。
これを巡業していた田端義夫さんが奄美大島で聞き付け、津波先生に曲の使用許可を田端さんのマネージャーを通してお願いされたそうです。津波先生が快諾したため後に田端義夫さんの所属レコード会社からしたたか使用料を頂いたとの事です、実際に田端義夫さんの十九の春より本竹さんの十九の春の方が遥かに早くリリースされています。
Posted by くがなー at 2011年07月10日 15:48
すつきりしました YouTubeに西南戦争のこと いくつかUPしています ありがとう
Posted by kamo tubame at 2015年07月27日 14:25
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。