2007年03月10日

つんだら節

つんだら節
んだら ぶす
tsïNdara bushï
・つんだら <つんださーん(かわいい、かわいそう)+ら(らー、よねえ)形容詞に接続して感嘆の意 安里屋ユンタの囃子「つんだらかぬしゃまよー」と同じ。
〇〈囃子の一部が題名になった歌〉


([ï]や、発音部分の下線[例 つ]は中舌母音を表す。)


一、さー とぅばらまーとぅばんとぅーや (ヨースーリ)童からぬ遊びとら(つんだらつんだらよ)かなしゃまとぅくりとぅやよ くゆさからぬむつりとら(つんだらつんだらよ)
さーとぅばらーまー とぅ ばんとぅー や(よーすーり) やらび からぬ 'あさびとーら(つんだらよー つんだらよー) かなしゃま とぅ くり とぅやよ くゆさから ぬ むつりとーら (つんだらよー つんだらよー) 
saa tubaramaa tu baN tu yaa(yoo suuri) yarabi karanu 'asabi toora (tsïNdara tsïNdara yoo) kanashama tu kuri tuya yoo kuyusa kara nu mutïritoora (tsïNdara tsïNdara yoo)
貴方と私とは子どもからの遊び仲(いとしい いとしいよ)貴方とこれ(私)とは幼少からの睦まじい仲(恋仲)(いとしい いとしいよ)
語句・さー 囃子言葉。・とぅばらーま 女性が言う男性の恋人<とぅばらー(恋人)+ま(接尾辞)「とぅばるん」(訪れる・会いに行く)は石垣では死語、与那国では現在も使われている・ばん 私・やらび こども・あさびとーら 遊び仲間。 遊びの発音に注意。沖縄語は「あしび」。・くゆさ 幼少。・むつりとーら 睦まじい仲。恋仲。<むつりん。(睦まじい)+とーら。(仲間)



二、島とぅとぅみで思だら  村とぅとぅみで思だら 沖縄からぬ御意志ぬ み御前からぬ御指図ぬ
まとぅとぅみで'うむだら ふんとぅとぅみで'うむだら 'うくなからぬ’ういすぬ みょまいからぬ'うさす
shïma tu tumi de 'umudara huN tu tumi de 'umudara 'ukïa kara nu 'uisï nu myoomai kara nu 'usashï nu
故郷のある限りと思ったんだよねえ 村のある限りと思ったんだよねえ 沖縄からの御意志の 国王の命令の
語句・ 島、村、故郷。※発音に注意したい。「しま」でも「すま」でもない。・とぅとぅみ 〜と共に 〜のある限り ・うむだら 思ったんだよねぇ。 <うむ。(思う)+だ。(過去を表す)+らー。(念押し よねぇ)・ふん 村 。・うきなー 沖縄 首里王朝がある「沖縄本島」のみを指す。沖縄語は「うちなー」。・ういし 御意志。・みょーまい 国王。・うさし 御指図 命令。


三、島別れでうはられ 村別れでうはられ うばたんがどぅけなり 野底に別ぎられ
まばがりで'うふぁられ ふんばがりで'うふぁられ 'うばたんがどぅけなり ぬすくにばぎられ
shïma bagari de 'uhwarare huNbagari de 'uhwarare 'ubataN ga dukee nari nusuku ni bagirare
村を分けよと仰せられ 村分けと仰せられ あなた一人がが海を渡り 野底(石垣の地名)に分けられ
語句・ばがり 分かれる。 分離する。<ばがりるん。 「ふんばがり」は琉球王朝が人頭税のため(生産性向上のため)進めた村の強制移住による「村の分離政策」。・うふぁられ 仰せられ。(石垣方言辞典にはない。【當山善堂編著 精選 八重山古典民謡集】(以下、【精選集】と略す。)を参考にしたが、あくまで推測のようだ。)・ うばたんが あなたが一人で。<うば。あなた。+たんがー 。独り。「『ウバ』は、石垣語の『ウラ(貴方)』に対応する黒島語」【精選集】。・どぅけなり 「甚だひどいことに・非常に酷いことに。石垣語の『ドゥグナリ・ドゥゴードゥグ』に対応する黒島語であるが、黒島語の日常語は『ドゥキナリ』と言う」【精選集】。・ぬすく 野底村。1732年に黒島から強制移住させられた400人の村。マラリアなどの役病によって1905年に廃村となる。



(コメント)
「つんだら節」

石垣島の次のような史実と伝説がもとになっているという。

1732年、黒島から石垣島に「島分け(すまばぎ)」という方法で村人を分離し、約400人が石垣島に強制移住させられた。

これは、当時薩摩の支配と収奪のもとで琉球王朝が、その租税負担を八重山や宮古など先島諸島の人々に「人頭税」という形で押し付けたことを背景にしている。

当時黒島は人口が比較的多かったので、王朝の役人たちは、一部村人を強制的に石垣島に移住させて新規の開拓をして農作物などの生産を増やそうとした。

その方法は、「道分け(みつばぎ)」と呼ばれ、役人が一本の棒を十字路に立てる。それが自然に倒れた方向を見て、右と左の家を分けたといわれている。

ここからは民話である。

その黒島に住む娘マーペーとカニムイは幼なじみで、農作業も一緒だった。しかし「島分け」でマーペーだけが石垣島は野底(ぬすく)に強制移住させられる。
しかし、そこはマラリアが発生し、たくさんの人がなくなるが、マーペーもマラリアにかかる。
カニムイが忘れられないマーペーは、病を押して野底岳に上るが、頂上に上がってもオモト岳がじゃまをしてカニムイが住む黒島は見えない。
村人が心配して、マーペーを探しにいくと、そこには、黒島を眺めて泣いているような岩があった。
。(参考 沖縄の民話

史実と民話がぴったり一致する。

「つんだら」は「かわいい」と「かなしい」というふたつの意味がある。

この話からわかるように、「つんだら」は、マーペーがカニムイを思う「いとしい」という気持ちも込められて、また歌う側、村人や私たちのマーペーたちへの思いもあらわす。

二人が幼なじみだったこと、いつまでも一緒だと思っていたこと。それが首里王朝の命令で。「かわいそうだよねえ」「いとしいよねえ」その囃子を何回も繰りかえす。

この歌に「久場山越路節」が「ちらし」となって続くと、さらにその思いが「情念」を込めた「呪文」のように聞こえるときもある。

深い思いの込められた歌というものは、250年以上前の出来事を今目の前で起こった出来事のようによみがえらせるタイムカプセル、いやタイムマシンだ。もはや作った人、歌い継いできた人の区別なく、過去と現在を結んで一本の路が歌の中につくられるようでもある。


私事になるが、当然のことながら小生は八重山民謡の専門でもなく、八重山口(方言)の辞書も持ち合わせていなかったが、最近、広島の「沖縄語研究家」胤森弘さんから「石垣方言辞典」(宮城信勇著 沖縄タイムス社)を「無期限で貸してやる」といわれ預かった。
つんだら節
つんだら節

その辞書は、著者の宮城信勇氏のお母さん(故人)の使っていた言葉を記録し、解説したものが中心になっている。したがって、島々や村々で方言が変化している八重山方言で歌われている歌謡の解説には決して万能の「武器」とはなりえないことは了解済みである。しかし、このブログ自体、私個人が、愛すべき沖縄の島唄を理解し勉強するためのメモのようなもの。試行錯誤はやむをえない。とりあえず、その辞書を使って、あらたに八重山民謡の解説に取り組んでみることにする。

ひとつ注意していただきたいのは、発音で、先島方言に特有の「中舌母音」(本島にはない)。

「つんだら」は「ちんだら」でも「つんだら」でもなく、「つ」という口をして、「ち」と発音するのに似ている。舌の先端の位置が、「ち」という発音の時に口の中のやや奥に下がるので「中舌」と呼ばれる。
これは、昔の日本語の「名残」ともいわれる。

沖縄語が今三母音なのは、母音が次のような変化をしたからだといわれている。

「e」→「ï」→「i」

その真中の「ï」という発音が先島や奄美地方には残っているというわけだ。

では日本語(本土方言)にはないのかというと、そうでもない。
東北や出雲地方、東京でも似た発音があり、「お寿司に新聞」を「おすすにすんぶん」と発音するのに似ていると胤森さんから教えられた。

こういう発音を尊重することも、沖縄民謡で「三母音化」や「声門破裂音」を大事にするのと同じように必要だと思う。

(付記)
その後胤森弘さんは病でこの世を去りました。

もうお体を悪くされていた胤森さんが、ご自宅の近くの喫茶店に私をお呼びになり、この「石垣方言辞典」を私に「永久貸与」された意図はもう今となっては知ることはできませんが、すくなくとも、私の不十分な知識をすこしでも補い、これからも歌の勉強をコツコツ続けろ、というのが胤森さんの気持ちだったのではないか、と勝手に思い込んで大事に使わせていただいています。

もう重くて持てなかったこの辞書を、荷紐で巻いて手にぶら下げて立っていらっしゃった姿をいまでも思い出します。

胤森弘さんへの感謝の気持ちをここに書かせて頂きます。(2014年4月24日)

つんだら節
マーペーが石になってできたという民話が残る野底岳(ぬすくだき)。
2014年2月に筆者撮影。


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Posted by たる一 at 11:34│Comments(8)た行八重山民謡
この記事へのコメント
意味も解らなく唄ってた八重山の歌ですが…子供の頃聞いたぬすくマーペーの話と合致して納得いきました!
Posted by 村木緑 at 2009年10月17日 15:47
村木緑さん

石垣生まれの方ですか?

すこしでもお役に立てたら幸いです。
Posted by たるー(せきひろし)たるー(せきひろし) at 2009年10月19日 23:07
何の意味もわからず、つんだら節と、くばやまくいつを歌っていました。波照間島のおばあさんに教えてもらって、歌っていたのですが、なんだかメロディーが頭から離れず、計り知れない「何か」があると思っていました。
これを読んで、納得です。長く唄い継がれてきた唄には、人間の魂の歴史が刻みこまれているんですね。
Posted by らら at 2011年01月29日 21:58
ららさん

意味がわからず唄う唄、けっこうありますね。

私など、意味が解らなくてもしかたないとも思います。

魂の沁みこんだ唄。簡単に意味などわからないほうがいいのではないでしょうか。
Posted by たる一たる一 at 2011年02月09日 22:28
たるーさん
はじめまして。
わたしは、三線の練習を海外でしています。
その際、「つぃんだら節」の工工四だけがあって、2番目以降の歌詞がわからず、探してさがして、こちらまでたどりつきました。
意味も詳しくかかれていて、山のお写真など、ものすごくイメージして歌うことができて、とても嬉しいです。
ありがとうございます。
Posted by もっちょ at 2015年03月02日 22:04
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