2007年02月22日

島々美しゃ

島々美しゃ
[島々]かいしゃ
[島々]kaisha
島々美しい


作詞 久米 仁
作曲 普久原 恒勇


島々美しゃや (美しゃぬ)城に御願所ヨ 前の田んぼにヨ 夕日赤く染めてヨ (サーユイヤサー)畑で草焼く白い煙の煙の美しゃヨ
〈以下囃子は略)発音は沖縄・八重山口のみアルファベット表記で。
島々kaisha ya (kaishanu)gushiku に 'ugaNju yoo 前の田んぼによ 夕日赤く染めてよ (saa yui yaasaasaa)haru で草焼く白い煙の煙のkaisha よ
島々美しいのは(美しいので) 城に御願所 前の畑に夕日赤く染めて 畑で草焼く白い煙の煙の美しい
(語句)・かいしゃ美しい 八重山口(方言)・かいしゃぬ美しいので 形容詞の「ぬ」で終わる場合は「ので」・ぐしく城・'うがんじゅ 拝所 神を拝む場所 御嶽('うたき)とも言う・はる 畑 農地



村々美しゃや 福木に石垣ヨ みんな待ってたヨ 夏の祭すんでヨ通った道々かばしゃ九年母の九年母の美しゃヨ
村々kaisha ya 福木に石垣よ みんな待ってたよ 夏の祭りすんでよ 通った道々 kabasha kunibu の kunibu の kaisha よ
村々美しいのは福木に石垣 みんな待ってた夏の祭すんで通った道々芳しいクニブクニブの美しい(語句)・福木 ふくじfukujiとも沖縄語では発音。オトギリソウ科の常緑高木。屋敷の廻りに植えて防火林、防風林の役割。材木にも利用。・石垣 沖縄語では「'いしがち」・かばしゃ 芳しい いい香りがする・くにぶ 柑橘類の総称。シークワーサー オートーなど。



白浜美しゃや 朝どり夕どりヨ 潮は満ち潮ヨ 磯で千鳥鳴いてヨ 帰るサバニを招くアダンのアダンの美しゃヨ
白浜kaisha ya asaduri yuuduri よ 潮は満ち潮よ 磯で千鳥鳴いてよ 帰るsabani を招く 'adaN の 'adaN のkaisha よ
白浜美しいのは 朝凪夕凪 潮は満ち潮 磯で千鳥鳴いて 帰るサバニを招くアダンの美しい
(語句)・あさどぅりゆーどぅり 朝凪夕凪 一日2回風が止む凪(なぎ)を「とぅり」という。「朝取り夕取り」と間違えて当て字をふった歌詞をたまに見る・さばに 昔は木をくりぬいた「くり船」小型の漁船。・あだん 阿檀 タコノキ科の常緑低木 沖縄や奄美では海岸によく生えている木。



美童美しゃや 紺地にミンサーヨ もつれもつれたヨ 細い恋の糸にヨ ぽろり落とした熱いみなだの みなだの美しゃヨ
miyarabi kaisha ya 紺地にmiNsaa よ もつれもつれたよ ほそい恋の糸によ ぽろり落とした熱いminada の minadaのkaishaよ
娘美しいのは 紺地にミンサー(の帯) もつれもつれた細い恋の糸にぽろり落とした熱い涙の涙の美しい(語句)・みやらび 娘 元は「めわらび」から来ているという説がある。「美童」は当て字。・紺地 この歌では「こんじ」と大和口で歌うようだ。沖縄口なら「くんじ」・みんさー木綿で作られる八重山の織物。・みなだ涙 胤森さんによると「なみだ」→「みなだ」(「み」と「な」が転倒)→「なだ」と変化したという。

(コメント)
普久原恒勇さんは、こうした大和口と沖縄口の混合した歌に曲をつけてヒットさせる「天才」といわなくてはならない。
「島々美しゃ」は、それに八重山口「かいしゃ」が混在して、より複雑になる。

芭蕉布、イラヨイ月夜浜、じいちゃんばあちゃんなどもこのブログでとりあげてきたが、やはり混合している。
こうした、ウチナーグチ、八重山口のみの歌詞ではなく、混合、いりまじった歌が今後も増え続けていくだろう。それの是非はまた別の議論になる。

訳について。○○かいしゃの「や」は主格を表す「や」とした。
つまり「美しいのは」。
そして「ヨ」がいくつか出てくるが、それは調子を合わせるための囃子言葉であり、意味には含めないことにした。四番など、「ヨ」を入れていくと意味がおかしくなる。
もちろん、このブログは、「直訳」である。最大限、「こうかもしれない」という想像で語句を追加したり変えたりすることを避けている。
繰り返すまでも無く「意訳」は各自ご自由になさってほしいし、それは作者の意図を超える場合もあるかもしれないが、「歌を楽しむ」範囲内では、それも「歌遊び」のひとつだと考える。
厳密に、歌の背景、作られた経過を調べることができるならそれにこしたことはない、が、民謡は、文字を持たなかった庶民の楽しみの中から生まれ、口を介して広がっていったもの。また、歌は「文章」とは違う。

この「島々美しゃ」を歌われる方も多いと思われるが、どれが大和口でどれが沖縄、八重山口なのか、ということはできれば意識して歌ってほしいと願う。
個人的な話ではあるが、3月4日海田公民館祭りで、公民館講座のみなさんがこれを歌う。その一助になればと思ったのも、訳した動機のひとつ。

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Posted by たる一 at 16:20│Comments(14)さ行
この記事へのコメント
たるーさん
お久しぶりです
島々美しゃ 大好きです
宮良康正さんの唄でヒットしたそうですね
いろいろな方もカバーされてますね

師匠から聞いた話ですが
作者の普久原恒勇さんは八重山唄の「まへーらつぃ節」という曲に曲想を得て作ったそうです(歌詞の内容はぜんぜん違いますが)
康正さんの歌では
「島々美しゃよ~~~~ぉ」の声切りの音程が上がるところは、「まへーらつぃ節」の雰囲気が良く残っています
Posted by コバ at 2007年02月23日 09:43
コバさん
お久しぶりです!
「まへーらつ」、石垣島の民宿のおじいから聴いたものは
わすれられない哀愁がありました。好きです!

島々美しゃ、と「まへーらつ」。
そういわれると曲想も、似てるところもありますね。
まへーらーつーぬーよーーーのところですね。

いつも勉強になります!
ありがとうございます。
Posted by せき ひろし(たるー) at 2007年02月24日 23:09
かなり以前にあるハンドルネームで時々おじゃましたものです。わたしの解釈との違いを折りに触れて申し述べさせていただきました。その節は大変に失礼しました。
久しぶりに覗きにきて相変わらず地道に島唄を研究なさっておられることに敬服いたしました。今後とも島唄の発展のためにお励みくださいますようお願い申し上げます。
さて、1カ月ほど記事を遡って拝読いたしましたところ、「国の花」の箇所で気がついた点がございましたので私心を述べさせていただきました。お暇な折にご一読くだされば大変にありがたいことです。
Posted by 。。。。。 at 2007年02月28日 22:33
「私心を申し上げ・・・・」と書き込んでしまいましたが「私見を・・・・」の間違いです。失礼しました。
Posted by ..... at 2007年03月01日 21:26
。。。。。さん
たしか以前は「SHY」さんとおっしゃられていましたよね?
「解釈の違い」
それは当然ですし、いろいろ勉強になりました。
「失礼」だなんてとんでもございません。
感謝しておりますし、今後もいろいろご意見を拝聴したい
と思いますのでよろしくおねがいします。

とくに、組踊りなどの歴史的背景について
ヤマトの影響をつよく受けた琉球王朝の傾向に
強いご批判をお持ちになっていること、を
以前お書きになられていたと記憶しています。
そういうご意見もあるのだと深く勉強になりました。

ありがとうございます。
Posted by せき ひろし(たるー) at 2007年03月04日 06:39
古いハンドルネームを覚えていらっしゃるようですので、「昔の名前」で出てきました。
 過去の書き込みについて全体にウロ覚えなのですが、「組踊り」に触れた記憶がほとんどありません。
 歌謡曲の言い回しを引用するなどして本土的な叙情性に安易にすり寄って行こうとする島唄の作り手たちへの批判、それがわたしの言いたいことの本旨だったような気ガします。
 その際に、羽地朝秀の「日琉同祖論」などを持ち出してヤマトへの同化の志向の淵源を指摘したつもりがありますので、或いはそうした道筋で「組踊り」に話が及んだのかも知れませんね。
 いずれにしろ、沖縄ブーム(特に無節操な移住ブーム)によってこの島が変動の大きなうねりの中でもみくちゃにされている状況に今も変わりはありません。こういう時期だからこそ島唄に関わる者には沖縄のアイデンティティーにしがみついて振り落とされないようにしてもらい、荒波の中から朗々と島の心を響かせてもらいたいと思うのです。
 では、また時々覗き見させていただきます。
Posted by Hi Shy at 2007年03月05日 00:12
そうです、Hi Shyさんですね。
こちらこそ失礼しました。
組踊りへのご批判ではなく、日琉同祖論への、それでした。

私は自覚的には「沖縄ブーム」とは無関係だと思っていますが、なにせ、使っている辞書ときたら、おっしゃるように
日本語の二大方言は、本土方言と琉球方言であり、6世紀頃までは共通の言語であったという前提にたつものです。

しかし、それが「日琉同祖論」と同じかどうかは知りませんが、私の尊敬するタネモリおじいの研究では、海外(中国、朝鮮)の文献との比較で、本土と琉球の言語の共通性は研究されています。
たとえば「おもろ」から現代にいたる母音の変化(三母音化)、破擦音化(K→CHなど)などなど。

そういう研究にもふれさせてもらいながら、私は自分の力量の及ばずを知りながらも、沖縄の方々が愛してやまない「島唄」に惚れ、ぞっこんになりつつ、多様化している「島唄」の側面も見ながら、自分なりに勉強させてもらっています。

「沖縄のアイデンティティー」という大切なものを私たちが軽く扱うことはできないということも自覚しています。
そういう意味でウチナーンチュの厳しいご意見を今後もよろしく。
Posted by たるー at 2007年03月06日 23:10
 はて、お答えに窮するコメントで、困りました。
 今や、言語学や民俗学の立場からも、形質人類学の立場からも、あるいは分子生物学の研究からも日本と沖縄の共通性、それを否定する材料を提出できる者は一人もいないのではないでしょうか(言語の共通性に関して言えば、外間守善さんの様々な著作に接して以来、わたしは日本語祖語としての琉球語の位置を高校生の頃より肝に銘じ、生活の中の島言葉をそうした視点で眺めるようにしてきたつもりです)。
 
 愚かなことに、島唄の翻訳とは違う次元の話をわたしは1年前にし、そして今また繰り返してきたのではないかということに今気がつきました。話が空回りするわけです。
 羽地朝秀の「日琉同祖論」は、彼がなぜ支配者たる薩摩にスリ寄って行ったかという背景を考慮せずには語れないひとつの歴史観です。様々なこじつけで(日本との)同化を呼び込もうとしたそのいじましさが問題なのですが、(意識するとせずとを問わず)現代の島唄の作り手たち(例えば30年ほど前に「島のひと」を作った田場盛真)にどうやら似た傾向が立ち現れてきているのではないかと、いくつかの例を挙げて愚説を申し上げたつもりでした。多分。(ブログを覗く時間が大抵ホロ酔いの時間と重なることが多かったので大まかなことしか覚えてないのです)
 
 この話題はこれくらいにしましょう。関さん、いずれ、琉球の歴史についても研究してみませんか。流し読みではなく、じっくり読めば結構現代との共通性も見えてきて面白いものですよ。。
  それから自覚的にはそうは思えないとおっしゃるけど、ここ数年の沖縄ブームがもたらした大きな変動がこの島のアイデンティティーを急速に破壊してきているということはこの島の識者たちの一致した見方であり、わたしの周りの知人たちの共通の認識です。
  県外にいらっしゃるとなかなか見えにくい現実でしょうし、また耳の痛い方もおいでかと思いますが、沖縄の望ましい観光産業のあり方を考える上でも、この点については沖縄に心を寄せる本土の皆様にぜひ理解していただきたいことです。

  いやはや、話が違う方向へどんどんズレて、関さんのお仕事の邪魔をしているみたいな気になってきました。今後は翻訳に限ったお話をするように心掛けます。どうぞお許しください。
 では。
Posted by Hi Shy at 2007年03月13日 00:15
Hi Shyさん
まったく「邪魔」ではありません。
それどころか、沖縄ブームの功罪について
大事なご指摘があると思っています。
沖縄ブームで破壊されてきているアイデンティティーに
ついても、沖縄の歴史についても、自分が外にいる
というだけでなく、ただ不勉強だと自覚しています。
そういう意味からもご指摘よろしくお願いします。
Posted by せきひろし at 2007年03月13日 06:45
始めまして。
私は日本語の歌詞の英訳サイトの管理人で、最近「島々寄清しゃ」のリクエストが来て本当に困っててどうしたらいいか迷ってました。だってウチナーグチ全然分かんないし。でもこのブログを見つけて助かりましたー!ありがとうございます。 (^_^)
Posted by Grace at 2007年04月23日 16:45
え?何で「島々寄清しゃ」になっちゃった!?勿論「島々清しゃ」のつもりでした。(汗)
Posted by Grace at 2007年04月23日 16:48
Graceさん
はじめまして。英訳をされているのですね。
沖縄文化の紹介、普及に役にたてるなら
うれしいです。ご活用ください。
Posted by せき(たるー) at 2007年04月25日 06:19
ところでGraceさん
もしよければ、島々美しゃを訳されたところを見たいのですが、おしえていただけませんか?
Posted by せき(たるー) at 2007年04月25日 06:23
たるーさん お久しぶりです。ぶながやこと倉茂 浩一です。

私は以下の様に読んだか聴いたかしたのですが、ちょっと思い出せなくて。
で、この様な説をタルーさんはお聴きになったことありますか?

月の美しゃですが、この唄の歌詞を文字通り取れば、女性が1番美しいのは17歳となりますが、それは作詞者の意図通りではありません。
作詞者はいなぐの幼な子に諭すようにこの唄を作りました。
幼な子にとって身近なわかりやすいネーネーとして17歳としたんです。
つまり女性は大人になって綺麗になるんで、いま鼻ぺちゃなお前さんも大人になれば、という唄なんです。
(鼻ぺちゃのくだりは倉茂が話を盛りました)

よろしくお願い申し上げます。
倉茂 浩一
Posted by 倉茂 浩一 at 2019年04月30日 11:38
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